光のもとでⅠ
「弾いてみるかい?」
「でも、もう時間が遅いし……」
「私の部屋はこのピアノが置いてある関係上、ほかの部屋よりも防音設備が厳重なんだ。夜中に弾いても大丈夫だよ」
 嘘……。
「弾けば?」
 司先輩に言われる。
 静さんはすでに椅子を引いて待っていた。
「本当に……?」
「あぁ、好きなだけ弾けばいい」
 言うと、柔らかく微笑みかけられた。
「リクエスト、ありますか?」
 何を弾いたらいいのか迷ってしまい、リクエストを求めた。
「……ショパンの幻想即興曲」
 口を開いたのは司先輩。
 まさか、そんなハイレベルな曲を要求されるとは思っていなかっただけに、少し不安にもなる。
「最近ちゃんと練習していないからミスタッチあるかもしれませんけど、ご愛嬌で許してくださいね」
 司先輩の手を離れて椅子に座る。
「最初にキータッチだけ確認させてください」
 静さんに断りを入れてから鍵盤に手を乗せると、先日と同じように即興で全音域を確認するように鍵盤を沈めていく。
 うちにあるピアノや先日弾いたベーゼンドルファーよりも鍵盤が重い。細やかな表現をするのは難しいかもしれない。
 そんなことを考えながら弾くのをやめる。
「今のは?」
「キータッチを確認するために適当に弾いていただけです」
「ほぉ、これはまた稀有な特技を持っているね」
 と、笑みを深める。
 どうしてだろう……。
 この一族のこの手の笑顔には危機感を覚える。
 次にどんな言葉が飛び出てくるのかが怖くて、すぐにピアノに向き直った。
 鍵盤に手を乗せ、記憶の中にある幻想即興曲を弾き始める。
 左の低音のあとに始まる右手の早いパッセージ。
 この曲が弾きたくてピアノの練習を重ねていた時期を思い出す。
 幻想即興曲というけれど、私には森を駆け巡る風のように思えた。思うがまま、自由に激しく走り去るような、そんな風――。
 途中、湖のほとりで休むかのようにたゆたう旋律。そして再び激しく走り抜けるようなパッセージ。
 まるで、人の人生をあらわすかのような曲。
 最後には、人生の最後を振り返るようにゆっくりと低音が鳴る。
 私の人生はいったいどんなものとなって終わりを迎えるのだろうか。
 そのとき、私は満足をしているのか、それとも――不完全燃焼と思うのだろうか。
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