光のもとでⅠ
30
「体が弱いことは予想してたけど、半年以上も入院してたとは思わなかった」
海斗くんが口にする。
「私も。まさかそんなことになるとは思ってなかったよ」
ほんの少しだけ、笑みを添える。
「ねぇ、翠葉。どこが悪いの? 私、これ見ただけじゃわかんない」
飛鳥ちゃんに言われ、そうだよね、と思う。
「例えば……心臓が悪いとか腎臓が悪いとか、取り立ててそういったものはないの。ただ虚弱体質なだけって言うほうが当たっていると思う。そう……なんていうか、体質なんだよね」
飛鳥ちゃんが今にも泣きそうな顔をしていて、先を続けていいのか悩む。
やっぱり同年代の子には重い内容だっただろうか、と少し後悔をし始めていた。
「ダイエットする人が増えて低血圧の人が多くなったって聞くけど、その人たちは普通に生活しているでしょう? それとは別なの?」
桃華さんに訊かれると、湊先生が話に加わった。
「確かに、低血圧の人間なんてそこら辺にゴロゴロいるわ。けど、この子ほど低い人はそうそういない。この数値で普通に生活できてるほうが不思議なくらいなのよ。もし、海斗がこの数値になったら意識が朦朧としているか、倒れるわね。因みに、高血圧の人間がこの数値まで下がったら死ぬわよ」
湊先生はさらりと人の死を口にした。
「えっ!? そんなに低いのっ!?」
飛鳥ちゃんがさらに悲愴そうな表情になる。こういう雰囲気は好きじゃないんだけどな……。
でも、話すと決めたからには話さなくてはならない。
「……だからね、献血もできないんだよ」
少し冗談ぽく話してみた。
息を深く吸い、自分が普段気をつけなくてはいけない数々を話す。
「なんてことのないものなんだけど、普段の生活に制約があるの。動作はゆっくりっていうのもそのひとつ。私ね、立っているだけで血圧が下がっちゃうの。あと横になっていて起き上がるときや、座っていて立つとき。体の体制が変わるだけで血圧の数値が変わる。それは誰にでも起こる現象なんだけど、だいたいの人が一分くらいでもとの数値に戻どるんだって。だけど私の血圧は戻らない。……座っていて立ったときに眩暈を起こしたことない? あの症状なんだけどね、酷いときはこの間みたいに倒れちゃう。お風呂で体が温まっても血管が開いて血圧が下がっちゃうし、ご飯を食べたあとも、消化に血液を使われると血液循環量が足りなくて貧血起こしたり……。寒いところから暖かい屋内に入るのも、涼しいところから暑い屋外にでるのもかなりデンジャラス。気圧の高低差にも影響を受けやすいから、だから、キャンプには行けないの」
あまり深刻にならないように、と言葉を選びながら淡々と話したつもりだけど、やっぱりこの重い空気を変えることはできなかった。
「……この間、心臓が止まるかと思うほどびっくりしたわ」
桃華さんが震える体を押さえながら口にした。
「うん……。突然、目の前で倒れられたらびっくりするよね。本当にごめんなさい」
そこに湊先生のため息が聞こえ、
「あれはまだ軽いほうよ」
と、口を挟む。
「えっ!? もっとひどいとどうなるの?」
海斗くんが湊先生を仰ぎ見る。
「血圧の上が六十とか下が四十くらいかしらね。急性低血圧と言って――要は、ショック状態に陥る。その場合、昇圧剤を投与しなければ下手したら心不全になる。この子はね、もともとの血液循環量も少ないの。だから、運動して体内の血液循環量を増やさないといけいない状態になると、心臓のポンプ作用が追いつかなくなって、結果血圧が下がって貧血を起こしたり失神を起こすのよ。それが体育に出られない理由。れっきとしたドクターストップ」
湊先生はとてもわかりやすく説明をしてくれた。
私にはここまでわかりやすくは話せなかっただろう。
「治らないの?」
不安そうに飛鳥ちゃんに訊かれる。
「薬は飲んでるんだけどね……。基本的には体質と言っても過言じゃないから、根本的な治療は難しいの」
「一生付き合っていかなくちゃいけない症状なの?」
ここにきて初めて佐野くんが口を開いた。
「そうだね。少なくとも物心がついたときからの付き合いだけれど、何年経っても変わることはなかったかな」
「もし倒れたら、私たちにできることはある?」
桃華さんに尋ねられ、これには湊先生が答えてくれた。
「学校内なら私に連絡をくれればいい。ここに緊急時に対応できるように器具や薬は一通り揃えたから。ショック状態でも最低限の処置はできるようにしたわ。問題は学校外での発作時ね。まずは救急車を呼んで藤宮病院へ搬送してもらえるように頼むこと。救急隊員が病院へ問い合わせをすれば彼女のカルテはすぐに上がってくるようになっているから。その状態で処置が遅れることも、処置を誤ることもないはずよ」
あ、それなら……。
学生証と一緒に入れているカードを取り出した。
「これね、病院から発行されているカードなんだけど……。倒れたときにこれを救急隊員の人が見つけられるようにって持たされているの」
カードには、名前や住所、生年月日、身長、体重、血液型、通常血圧、かかりつけの病院と主治医の名前、診察券番号、持病等が書かれている。
「救命カードね。確かに、それを見せればまず間違いないわ」
「翠葉ぁ、大丈夫なの!?」
隣に座っている飛鳥ちゃんが手をぎゅっと握ってくる。
「うん……制約さえきちんと守っていれば。あとは具合悪いときに無理さえしなければ、かな」
「そこよね? 蒼樹さんも気にしているのは」
桃華さんが口にすると、
「あれはシスコンが過ぎるのよ」
と、湊先生が切り捨てた。
「ま、シスコンにもなるだろ。これだけの心配の種ぶら下げてたらさ」
と、海斗くん。
「ひとつ疑問なんだけど……」
黙っていた佐野くんが口を開いた。
「……何?」
佐野くんは本当に不思議そうな顔をしていた。
「確かにこれって人に言いふらすようなことじゃないけど、話しておいたほうが御園生は安心じゃない? なのに、なんであんなに隠したがったの? そもそも、知られてないほうが恐怖じゃない? いつどこで自分が倒れてもびっくりされるだけなんだからさ。処置だって遅れるかもしれない。それを考えたら隠しているほうが不自然」
言われてドキッとした。
違うな……。ドキ、よりもヒヤリ、かな……。
話している最中に泣いてしまうかもしれないと思ったのは、体の症状そのものに対してではなかった。違う問題があって、だから病気のことを話したくなかったのだ。
そのことに気づかされて唖然とする。
「……佐野くんは鋭いな」
直視したくないものを突きつけられた。
「そうだよな、なんか符合しないっていうか……」
海斗くんも飛鳥ちゃんも首を捻っている。
「……話したら特別扱いを受けることが多くなるからじゃないの?」
桃華さんがサラッと口にし、私は見て取れるくらいに動揺した。
「え? いいじゃん、特別扱い」
海斗くんが言うと、
「うんうん、羨ましいけどな」
飛鳥ちゃんも同意する。
そのふたりを見て、佐野くんが深くため息をついた。
「特別扱いってさ、されたくてしてるわけじゃないと思うし、実際にされると疎外感感じるものだよ」
このとき、もしかしたら佐野くんは特待枠やそういう面での特別扱いをされてきた人なのだろうか、と思った。
蒼兄の話では今一番注目されているスプリンターだという。
だとしたら、そういう扱いを受けていないわけがない。でも、それを言うなら海斗くんだって同じじゃないだろうか。仮にも藤宮財閥の血縁者なのだから。
「うーん……俺は利用できるものは利用するし、面倒なものは切り捨てて考えるからなぁ……」
海斗くんは宙を見ながら答えた。
なるほど、と思う。
自分というものをしっかり持っている人は、特別扱いなど些細なことでしかないのだ。そうでなければ、今の言葉は口にできないだろうし、「俺は俺だから」とは言えないだろう。
ついつい傍観してしまい、慌てて我に返る。
「あ、えと……大体は佐野くんと桃華さんが言ったとおりかな。特別扱いは嫌なの。疎外感っていうか……それが原因でクラスから浮いちゃうことが多かったから」
「どうして?」
と、不思議そうな飛鳥ちゃんの視線が痛い。
やっぱりこれも話さなくちゃいけないだろうか……。
「翠葉、つらければ全部話す必要はないわよ?」
桃華さんが労わるように背中を優しくさすってくれた。
なんて優しいんだろう……。
じわりと涙が滲む。
これが最後――体中の勇気を総動員して話し始める。
海斗くんが口にする。
「私も。まさかそんなことになるとは思ってなかったよ」
ほんの少しだけ、笑みを添える。
「ねぇ、翠葉。どこが悪いの? 私、これ見ただけじゃわかんない」
飛鳥ちゃんに言われ、そうだよね、と思う。
「例えば……心臓が悪いとか腎臓が悪いとか、取り立ててそういったものはないの。ただ虚弱体質なだけって言うほうが当たっていると思う。そう……なんていうか、体質なんだよね」
飛鳥ちゃんが今にも泣きそうな顔をしていて、先を続けていいのか悩む。
やっぱり同年代の子には重い内容だっただろうか、と少し後悔をし始めていた。
「ダイエットする人が増えて低血圧の人が多くなったって聞くけど、その人たちは普通に生活しているでしょう? それとは別なの?」
桃華さんに訊かれると、湊先生が話に加わった。
「確かに、低血圧の人間なんてそこら辺にゴロゴロいるわ。けど、この子ほど低い人はそうそういない。この数値で普通に生活できてるほうが不思議なくらいなのよ。もし、海斗がこの数値になったら意識が朦朧としているか、倒れるわね。因みに、高血圧の人間がこの数値まで下がったら死ぬわよ」
湊先生はさらりと人の死を口にした。
「えっ!? そんなに低いのっ!?」
飛鳥ちゃんがさらに悲愴そうな表情になる。こういう雰囲気は好きじゃないんだけどな……。
でも、話すと決めたからには話さなくてはならない。
「……だからね、献血もできないんだよ」
少し冗談ぽく話してみた。
息を深く吸い、自分が普段気をつけなくてはいけない数々を話す。
「なんてことのないものなんだけど、普段の生活に制約があるの。動作はゆっくりっていうのもそのひとつ。私ね、立っているだけで血圧が下がっちゃうの。あと横になっていて起き上がるときや、座っていて立つとき。体の体制が変わるだけで血圧の数値が変わる。それは誰にでも起こる現象なんだけど、だいたいの人が一分くらいでもとの数値に戻どるんだって。だけど私の血圧は戻らない。……座っていて立ったときに眩暈を起こしたことない? あの症状なんだけどね、酷いときはこの間みたいに倒れちゃう。お風呂で体が温まっても血管が開いて血圧が下がっちゃうし、ご飯を食べたあとも、消化に血液を使われると血液循環量が足りなくて貧血起こしたり……。寒いところから暖かい屋内に入るのも、涼しいところから暑い屋外にでるのもかなりデンジャラス。気圧の高低差にも影響を受けやすいから、だから、キャンプには行けないの」
あまり深刻にならないように、と言葉を選びながら淡々と話したつもりだけど、やっぱりこの重い空気を変えることはできなかった。
「……この間、心臓が止まるかと思うほどびっくりしたわ」
桃華さんが震える体を押さえながら口にした。
「うん……。突然、目の前で倒れられたらびっくりするよね。本当にごめんなさい」
そこに湊先生のため息が聞こえ、
「あれはまだ軽いほうよ」
と、口を挟む。
「えっ!? もっとひどいとどうなるの?」
海斗くんが湊先生を仰ぎ見る。
「血圧の上が六十とか下が四十くらいかしらね。急性低血圧と言って――要は、ショック状態に陥る。その場合、昇圧剤を投与しなければ下手したら心不全になる。この子はね、もともとの血液循環量も少ないの。だから、運動して体内の血液循環量を増やさないといけいない状態になると、心臓のポンプ作用が追いつかなくなって、結果血圧が下がって貧血を起こしたり失神を起こすのよ。それが体育に出られない理由。れっきとしたドクターストップ」
湊先生はとてもわかりやすく説明をしてくれた。
私にはここまでわかりやすくは話せなかっただろう。
「治らないの?」
不安そうに飛鳥ちゃんに訊かれる。
「薬は飲んでるんだけどね……。基本的には体質と言っても過言じゃないから、根本的な治療は難しいの」
「一生付き合っていかなくちゃいけない症状なの?」
ここにきて初めて佐野くんが口を開いた。
「そうだね。少なくとも物心がついたときからの付き合いだけれど、何年経っても変わることはなかったかな」
「もし倒れたら、私たちにできることはある?」
桃華さんに尋ねられ、これには湊先生が答えてくれた。
「学校内なら私に連絡をくれればいい。ここに緊急時に対応できるように器具や薬は一通り揃えたから。ショック状態でも最低限の処置はできるようにしたわ。問題は学校外での発作時ね。まずは救急車を呼んで藤宮病院へ搬送してもらえるように頼むこと。救急隊員が病院へ問い合わせをすれば彼女のカルテはすぐに上がってくるようになっているから。その状態で処置が遅れることも、処置を誤ることもないはずよ」
あ、それなら……。
学生証と一緒に入れているカードを取り出した。
「これね、病院から発行されているカードなんだけど……。倒れたときにこれを救急隊員の人が見つけられるようにって持たされているの」
カードには、名前や住所、生年月日、身長、体重、血液型、通常血圧、かかりつけの病院と主治医の名前、診察券番号、持病等が書かれている。
「救命カードね。確かに、それを見せればまず間違いないわ」
「翠葉ぁ、大丈夫なの!?」
隣に座っている飛鳥ちゃんが手をぎゅっと握ってくる。
「うん……制約さえきちんと守っていれば。あとは具合悪いときに無理さえしなければ、かな」
「そこよね? 蒼樹さんも気にしているのは」
桃華さんが口にすると、
「あれはシスコンが過ぎるのよ」
と、湊先生が切り捨てた。
「ま、シスコンにもなるだろ。これだけの心配の種ぶら下げてたらさ」
と、海斗くん。
「ひとつ疑問なんだけど……」
黙っていた佐野くんが口を開いた。
「……何?」
佐野くんは本当に不思議そうな顔をしていた。
「確かにこれって人に言いふらすようなことじゃないけど、話しておいたほうが御園生は安心じゃない? なのに、なんであんなに隠したがったの? そもそも、知られてないほうが恐怖じゃない? いつどこで自分が倒れてもびっくりされるだけなんだからさ。処置だって遅れるかもしれない。それを考えたら隠しているほうが不自然」
言われてドキッとした。
違うな……。ドキ、よりもヒヤリ、かな……。
話している最中に泣いてしまうかもしれないと思ったのは、体の症状そのものに対してではなかった。違う問題があって、だから病気のことを話したくなかったのだ。
そのことに気づかされて唖然とする。
「……佐野くんは鋭いな」
直視したくないものを突きつけられた。
「そうだよな、なんか符合しないっていうか……」
海斗くんも飛鳥ちゃんも首を捻っている。
「……話したら特別扱いを受けることが多くなるからじゃないの?」
桃華さんがサラッと口にし、私は見て取れるくらいに動揺した。
「え? いいじゃん、特別扱い」
海斗くんが言うと、
「うんうん、羨ましいけどな」
飛鳥ちゃんも同意する。
そのふたりを見て、佐野くんが深くため息をついた。
「特別扱いってさ、されたくてしてるわけじゃないと思うし、実際にされると疎外感感じるものだよ」
このとき、もしかしたら佐野くんは特待枠やそういう面での特別扱いをされてきた人なのだろうか、と思った。
蒼兄の話では今一番注目されているスプリンターだという。
だとしたら、そういう扱いを受けていないわけがない。でも、それを言うなら海斗くんだって同じじゃないだろうか。仮にも藤宮財閥の血縁者なのだから。
「うーん……俺は利用できるものは利用するし、面倒なものは切り捨てて考えるからなぁ……」
海斗くんは宙を見ながら答えた。
なるほど、と思う。
自分というものをしっかり持っている人は、特別扱いなど些細なことでしかないのだ。そうでなければ、今の言葉は口にできないだろうし、「俺は俺だから」とは言えないだろう。
ついつい傍観してしまい、慌てて我に返る。
「あ、えと……大体は佐野くんと桃華さんが言ったとおりかな。特別扱いは嫌なの。疎外感っていうか……それが原因でクラスから浮いちゃうことが多かったから」
「どうして?」
と、不思議そうな飛鳥ちゃんの視線が痛い。
やっぱりこれも話さなくちゃいけないだろうか……。
「翠葉、つらければ全部話す必要はないわよ?」
桃華さんが労わるように背中を優しくさすってくれた。
なんて優しいんだろう……。
じわりと涙が滲む。
これが最後――体中の勇気を総動員して話し始める。