光のもとでⅠ
 俺と翠の間にはそれしかないんだ。
 翠の記憶がなくなったとき、俺は何も失うものはないと思った。
 何かがかわるほどの関係を築けていたわけではなかった、とそう思っていた。
 秋兄は失うもののほうが多すぎるくらいだっただろう。
 俺はそんなに多くのものは持っていなかった。
 そのはずだったんだ……。
 でも、ひとつだけ――唯一呼び名というものがあった。
 再度、「ツカサ」と呼んでもらうまでに時間はかからなかったけれど、それでも四月に出逢ってから八月まで時間を要した。
 記憶がなくなったことは不可抗力と認める。が、あんな呼び出しのひとつやふたつで覆されることがたまらなく腹立たしい。
 俺はこんな人間だっただろうか……。
 ふと疑問に思い、すぐに考えることをやめる。
 そうだ――いつだって翠が絡めば俺は自分のペースが保てなくなる。
 いくら表面を繕ってみても、心の中までは律することができない。
 いつか、何もかも繕えなくなりそうで、少し怖い……。
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