光のもとでⅠ
「翠葉ちゃん、翠葉ちゃんの体のことは蒼樹が話したくて話したわけじゃないんだよ。ちょうど一年前の三月終わり頃だったよね? 翠葉ちゃんが倒れたの」
そんなふうに話を切り出した。
この言葉だけで彼女は動揺に身を揺らす。
きっと触れられたくないことだったのだろう。だから、蒼樹も今まで話さなかった……。
だけどね、俺も司と同じでずっと気にはしていたんだ。
いつもは冷静なこの男が、一本の電話で瞬時に顔色を変えたその理由を。
「その日、蒼樹も司もここにいたんだ。僕の仕事の手伝いをしてくれていてね。お昼過ぎくらいだったかな? 蒼樹の携帯が鳴って、それに出たこいつは傍目にわかるほど真っ青になった。電話を切るなり、かばんも持たずに走り出そうとするから止めたんだ。……どう見ても尋常じゃなかったからね。司とふたりがかりで押さえたよ。それでもだめで、湊――あ、司のお姉さんね。湊ちゃんが見るに見かねて引っぱたいたんだ。顔面蒼白なのには変わりなかったけど、少しは落ち着いたようで、『妹が意識不明で運ばれた』って答えた。そのまま行かせたらこいつが事故に遭いそうだったから、僕が車で病院まで送ったんだ」
そこまで話すと、彼女の近くまで行き膝をついて顔を見上げる。
そこには、涙をいっぱい溜めた目があった。
「蒼樹が話したわけじゃない。その場にいたから偶然知り得たことなんだ。……翠葉ちゃん、君の体は気をつけることさえきちんと守れば大事に至らないって聞いているよ。具体的にどんなことかはわからないけど。でも、近くにいれば、僕や司はそのあたりのフォローができると思うんだよね」
実際に、蒼樹からは何も聞いていない。
湊ちゃんが過去に見たことのあるカルテを思い出して口を滑らせただけ。
病院で彼女のカルテを見たことがある、と。
名前が珍しかったから覚えていたのだとか。
守秘義務とかで詳しいことは教えてもらえなかったけど、少し特殊な体質で、普段の生活に制約があることだけは教えてくれた。
「翠葉、話してなくてごめん。……翠葉のことを知っているのはここにいるふたりと司のお姉さんの三人だ。ほかは知らない」
彼女の細い肩を労わるように両手で支え、優しく言葉をかける。
蒼樹の手が大きいのか、彼女の肩が華奢すぎるのか――どっちともわからない、なんだかアンバランスな肩と手。
「――でも、それを知っているからと言って、私のフォローをしなくちゃいけないなんてことはないです」
声量は小さい。けれど、芯のある声で淡々と口にした。
あぁ、一線引かれていると感じたのは気のせいじゃなかった。
たぶん、彼女はそのことに触れられるのも嫌だし、それ以上に特別扱いされることが嫌なのだろう。
「何か勘違いしてないか? 秋兄は特別扱いするとは言ってない。ただ、何かあった際に対応ができるって話だ」
またしても司から、的確で容赦のない言葉が飛ぶ。
いつもはこんな口数が多い人間じゃないのに、どうしたものかな。
少し黙ってろ、と視線を送ったが見事にスルーされた。
気づいていながらこっちを見ない。司はじっと彼女に視線を定めていた。
「具合が悪くて学校休んだり、忙しくてみんなが走り回っているのにひとり走れなかったり……。そういうのは、必ずどこかでほかの人にしわ寄せがいくでしょう? それをわかっていてそんな人を入れるなんてどうかしてる。それ自体が特別扱いじゃないんですか?」
言い終わると同時、決意したかのように顔を上げ、キッ、と司を見返した。
今にも泣きそうなのに、いつ涙がこぼれてもおかしくないほど涙を湛えているのに、司から視線を外しはしない。――そんな表情が鮮烈に映った。
ただ、弱い子なだけではないのだろうか。
大勢の中での自分の存在というものをわかっていながら、擁護されることを拒んでいるような――。
これか……。彼女が俺らに一線を引く理由。
相手に一線引かれる前に自分から引いてしまうのだろう。いわば、自分が傷つかないための防衛手段、かな。
「生徒会の中には表立って仕事する人間、予算組んだり報告書を作成する人間に分かれる。御園生さんが入った場合は後者。――適材適所、そのくらいの采配ができなかったら生徒会が機能しない」
司は淡々と話す。
相手を擁護するなんて甘い行動には出ない。あくまで冷たく容赦なく突き放す。
そんな中、俺は蒼樹の真似をして、ポン、と彼女の頭に手を乗せた。
彼女は少しビクッ、として上目遣いでこちらを見る。
「因みにね、現生徒会の内訳的にはフリーランスに動き回る人間を仕切るトップが生徒会長。予算案や報告書作成のブレーンの要は司なんだ。だから、翠葉ちゃんがうまいこと生徒会の中で機能できるかどうかは司の力量次第ってことになるね」
司が鞭を買って出るのなら、俺は飛び切り甘い飴になろう。
「余計なことを……。得て不得手を見分けて人を動かす。それが俺のやり方」
司が面白くなさそうに吐き捨てる。
でも、お前がそういう態度に出たからこうなったんだろ? という視線を投げると、それを認めるように小さくため息をついた。
「どう? やってみない?」
とどめを刺すように甘い笑顔で訊いてみたけれど、彼女といえば、後ろにいる兄に助けを求めて視線を投げる始末。
蒼樹はちょっと複雑そうな顔をしているけれど、優しく慈しむような目で妹を見ていた。
「やってみたら? 生徒会はいい経験になると思うよ。……俺としては限りなく安全な待ち合わせ場所が確保できて嬉しい限りなんだけど」
きっと後半が本音。
「――ただし、二ヶ月間の未履修分野の課題と試験をクリアするのが先決。それをクリアできないと学園生活の危機」
司がテーブル脇に置いてあるテキスト一式を指差した。
「そうだった。外部生は最初の二ヶ月間が勝負だからね」
「生徒会の選抜会議は六月だから考える時間はある。ただ、六月頭にある全国模試の成績や学年総合順位によっては生徒会入れないから。うちの生徒会は"特別扱い"で人を入れられるほど甘くはない」
今日学んだこと。司の口数が増えるといいことはない。
俺は慣れていても、間違いなく彼女はこんな話し方をする人間に会ったことはないのだろう。
「そうなんだよねぇ……。僕としてはかわいい女の子をぜひとも入れたいところなんだけど、うちの生徒会、学年で上位二十位に入ってないと加入権が得られないんだ。ひどいときは男ばかりなんだから困るよ」
まだまだ困惑してると言わんばかりの顔。
この子、まだ一度も笑ってないな……。
そんなことを考えていると、不安そうな声でこんなことを尋ねられた。
「あの、私の体のことや年のこと、誰にも言わないでいただけますか?」
警戒態勢続行中の女の子に、
「もちろん!」
と、答えたのは俺。
「言ったところで得する話でもないだろ」
愛想のあの字も含まれない返事は司。
お前さ、いい加減それ打ち止めにしたほうがいいと思うけど? 警戒通り越して嫌われちゃうよ?
そんな視線を向けても態度が改まるわけがなく……。
彼女に視線を戻せば眉間にしわを寄せて司を見ていた。
……それ見たことか。
彼女は司にいい感情は抱いていないだろう。
ただ、司はどうなのかな。無愛想は無愛想だけど、普段見るそれとは違う接し方が新鮮に思えた。
……そりゃそうか。この学校で一番人気のある王子様をこんな目で見る女の子はまずいない。そりゃ新鮮だよな。
なんだか楽しくなりそうだ。
蒼樹、こんな子ならもっと早くに連れて来いよ。
蒼樹に視線を向けると、ただただ妹を優しく見つめる兄の顔がそこにはあった。
確かにね――。
この子を超える子が現れないかぎり、お前は彼女を作っても続きはしないよ。
蒼樹との付き合いも八年になるけど、今、それがよぉくわかった。
そんなふうに話を切り出した。
この言葉だけで彼女は動揺に身を揺らす。
きっと触れられたくないことだったのだろう。だから、蒼樹も今まで話さなかった……。
だけどね、俺も司と同じでずっと気にはしていたんだ。
いつもは冷静なこの男が、一本の電話で瞬時に顔色を変えたその理由を。
「その日、蒼樹も司もここにいたんだ。僕の仕事の手伝いをしてくれていてね。お昼過ぎくらいだったかな? 蒼樹の携帯が鳴って、それに出たこいつは傍目にわかるほど真っ青になった。電話を切るなり、かばんも持たずに走り出そうとするから止めたんだ。……どう見ても尋常じゃなかったからね。司とふたりがかりで押さえたよ。それでもだめで、湊――あ、司のお姉さんね。湊ちゃんが見るに見かねて引っぱたいたんだ。顔面蒼白なのには変わりなかったけど、少しは落ち着いたようで、『妹が意識不明で運ばれた』って答えた。そのまま行かせたらこいつが事故に遭いそうだったから、僕が車で病院まで送ったんだ」
そこまで話すと、彼女の近くまで行き膝をついて顔を見上げる。
そこには、涙をいっぱい溜めた目があった。
「蒼樹が話したわけじゃない。その場にいたから偶然知り得たことなんだ。……翠葉ちゃん、君の体は気をつけることさえきちんと守れば大事に至らないって聞いているよ。具体的にどんなことかはわからないけど。でも、近くにいれば、僕や司はそのあたりのフォローができると思うんだよね」
実際に、蒼樹からは何も聞いていない。
湊ちゃんが過去に見たことのあるカルテを思い出して口を滑らせただけ。
病院で彼女のカルテを見たことがある、と。
名前が珍しかったから覚えていたのだとか。
守秘義務とかで詳しいことは教えてもらえなかったけど、少し特殊な体質で、普段の生活に制約があることだけは教えてくれた。
「翠葉、話してなくてごめん。……翠葉のことを知っているのはここにいるふたりと司のお姉さんの三人だ。ほかは知らない」
彼女の細い肩を労わるように両手で支え、優しく言葉をかける。
蒼樹の手が大きいのか、彼女の肩が華奢すぎるのか――どっちともわからない、なんだかアンバランスな肩と手。
「――でも、それを知っているからと言って、私のフォローをしなくちゃいけないなんてことはないです」
声量は小さい。けれど、芯のある声で淡々と口にした。
あぁ、一線引かれていると感じたのは気のせいじゃなかった。
たぶん、彼女はそのことに触れられるのも嫌だし、それ以上に特別扱いされることが嫌なのだろう。
「何か勘違いしてないか? 秋兄は特別扱いするとは言ってない。ただ、何かあった際に対応ができるって話だ」
またしても司から、的確で容赦のない言葉が飛ぶ。
いつもはこんな口数が多い人間じゃないのに、どうしたものかな。
少し黙ってろ、と視線を送ったが見事にスルーされた。
気づいていながらこっちを見ない。司はじっと彼女に視線を定めていた。
「具合が悪くて学校休んだり、忙しくてみんなが走り回っているのにひとり走れなかったり……。そういうのは、必ずどこかでほかの人にしわ寄せがいくでしょう? それをわかっていてそんな人を入れるなんてどうかしてる。それ自体が特別扱いじゃないんですか?」
言い終わると同時、決意したかのように顔を上げ、キッ、と司を見返した。
今にも泣きそうなのに、いつ涙がこぼれてもおかしくないほど涙を湛えているのに、司から視線を外しはしない。――そんな表情が鮮烈に映った。
ただ、弱い子なだけではないのだろうか。
大勢の中での自分の存在というものをわかっていながら、擁護されることを拒んでいるような――。
これか……。彼女が俺らに一線を引く理由。
相手に一線引かれる前に自分から引いてしまうのだろう。いわば、自分が傷つかないための防衛手段、かな。
「生徒会の中には表立って仕事する人間、予算組んだり報告書を作成する人間に分かれる。御園生さんが入った場合は後者。――適材適所、そのくらいの采配ができなかったら生徒会が機能しない」
司は淡々と話す。
相手を擁護するなんて甘い行動には出ない。あくまで冷たく容赦なく突き放す。
そんな中、俺は蒼樹の真似をして、ポン、と彼女の頭に手を乗せた。
彼女は少しビクッ、として上目遣いでこちらを見る。
「因みにね、現生徒会の内訳的にはフリーランスに動き回る人間を仕切るトップが生徒会長。予算案や報告書作成のブレーンの要は司なんだ。だから、翠葉ちゃんがうまいこと生徒会の中で機能できるかどうかは司の力量次第ってことになるね」
司が鞭を買って出るのなら、俺は飛び切り甘い飴になろう。
「余計なことを……。得て不得手を見分けて人を動かす。それが俺のやり方」
司が面白くなさそうに吐き捨てる。
でも、お前がそういう態度に出たからこうなったんだろ? という視線を投げると、それを認めるように小さくため息をついた。
「どう? やってみない?」
とどめを刺すように甘い笑顔で訊いてみたけれど、彼女といえば、後ろにいる兄に助けを求めて視線を投げる始末。
蒼樹はちょっと複雑そうな顔をしているけれど、優しく慈しむような目で妹を見ていた。
「やってみたら? 生徒会はいい経験になると思うよ。……俺としては限りなく安全な待ち合わせ場所が確保できて嬉しい限りなんだけど」
きっと後半が本音。
「――ただし、二ヶ月間の未履修分野の課題と試験をクリアするのが先決。それをクリアできないと学園生活の危機」
司がテーブル脇に置いてあるテキスト一式を指差した。
「そうだった。外部生は最初の二ヶ月間が勝負だからね」
「生徒会の選抜会議は六月だから考える時間はある。ただ、六月頭にある全国模試の成績や学年総合順位によっては生徒会入れないから。うちの生徒会は"特別扱い"で人を入れられるほど甘くはない」
今日学んだこと。司の口数が増えるといいことはない。
俺は慣れていても、間違いなく彼女はこんな話し方をする人間に会ったことはないのだろう。
「そうなんだよねぇ……。僕としてはかわいい女の子をぜひとも入れたいところなんだけど、うちの生徒会、学年で上位二十位に入ってないと加入権が得られないんだ。ひどいときは男ばかりなんだから困るよ」
まだまだ困惑してると言わんばかりの顔。
この子、まだ一度も笑ってないな……。
そんなことを考えていると、不安そうな声でこんなことを尋ねられた。
「あの、私の体のことや年のこと、誰にも言わないでいただけますか?」
警戒態勢続行中の女の子に、
「もちろん!」
と、答えたのは俺。
「言ったところで得する話でもないだろ」
愛想のあの字も含まれない返事は司。
お前さ、いい加減それ打ち止めにしたほうがいいと思うけど? 警戒通り越して嫌われちゃうよ?
そんな視線を向けても態度が改まるわけがなく……。
彼女に視線を戻せば眉間にしわを寄せて司を見ていた。
……それ見たことか。
彼女は司にいい感情は抱いていないだろう。
ただ、司はどうなのかな。無愛想は無愛想だけど、普段見るそれとは違う接し方が新鮮に思えた。
……そりゃそうか。この学校で一番人気のある王子様をこんな目で見る女の子はまずいない。そりゃ新鮮だよな。
なんだか楽しくなりそうだ。
蒼樹、こんな子ならもっと早くに連れて来いよ。
蒼樹に視線を向けると、ただただ妹を優しく見つめる兄の顔がそこにはあった。
確かにね――。
この子を超える子が現れないかぎり、お前は彼女を作っても続きはしないよ。
蒼樹との付き合いも八年になるけど、今、それがよぉくわかった。