光のもとでⅠ
第02章 兄妹
01
あれから二週間――微熱を出すことはあるけど、倒れるようなことはない。
それは、いつも行動を共にしている四人が蒼兄並みの小姑さを発揮しているからほかならない。気づけば、クラス中が小姑のようになっていた。
私が体のことを話したのはあくまでも四人だけなのに、誰も何を訊くでもなく、やんわりとストッパーになってくれている。
そういえば一度だけ、「体育の授業出ないの?」と、訊かれたことがあった。
私は、「激しい運動はできなくて……」としか答えられなかったのに、「じゃぁ、レポートがんばらなくちゃね」という答えが返ってきた。
中には、「いいなー」という声もあったけど――それだけ。
とくにクラスの中で浮くことも、変な目で見られることもない。どちらかと言うと、一緒にお弁当を食べる人が増えたくらい。
うちのクラスはとても仲がいいと思う。
お昼の時間はところどころにグループができるものの、教室の前と後ろ、対角線で話していたり、端と端で話していることも少なくない。そして、みんながその話を聞いて笑って、どこからともなく話に加わったり……。
とても穏やかなクラスなのだろう。
小学校や中学校との雰囲気とははずいんぶんと違う。
あの頃、クラスの中は女子と男子で分かれるに留まらず、女子の中でもいくつかのグループに分かれて対立していた。
いつも殺伐としていて、"楽しいクラス"や"明るいクラス"という形容詞からはかけ離れていたと思う。
それとも――学校を楽しいと思えなくなっていた私が自分にフィルターをかけてしまっていただけなのか……。
ところ変われば人も変わるって、こういうことを言うのかな……。
"It's getting better all the time."
「いつだってどんどん良くなっているよ」と言ったのは誰だっただろうか。
私も今、その中にいるのかな。そうだったら、嬉しい――。
そういえば、先週の金曜日に加納先輩がうちのクラスまでお迎えにきてくれました。
「なんの?」って、写真部への勧誘に。
迎えに来られなくても行くつもりだったのだけど、ニコニコ笑顔で迎えに来てくれた。
部室に入って、加納先輩が必死に勧誘していた理由がわかった気がした。
部室には男子が九人と女子が四人。その中に新入生は含まれない。
「今年、新入部員来なくって……」
加納先輩が苦笑した。
つまり、部室にいる人は皆先輩で、新入部員は私しかいないという現状。だから……というわけではないと思うけど、手厚い歓迎を受けた。
まだ、大勢の中へ入っていくのは勇気がいるから、このくらいの人数が私にとっては都合が良かった。
笑顔で歓迎されたのなんてどれくらい久しぶりだろう。
少し考えてみたけれど、思い出せそうにはなかった。
ゴールデンウィークを目前にした今日、学校では春の球技大会が行われている。
完全なクラス別対抗ということもあり、先輩も後輩もない。ひたすら勝ち上がりトーナメントのため、とても白熱している。
私はというと、競技に参加することはできないので、朝からずっと応援に徹しています。
「翠葉ーっ! 私の勇姿見ててくれたっ!?」
バスケットコートで飛鳥ちゃんがこっちを見て飛び跳ねている。
飛鳥ちゃんはさっきから何度もゴールを決めていた。
「見てるよっ! がんばって!」
少し前までの私なら、遠くにいる人に向かってこんな大声を出すことなんてなかっただろう。
友達って――環境ってすごい。
もうひとりの麗しき方、桃華さんはどこにいるかというと、現在はほかのコートでバレーの審判をしている。
ピッ、と笛を吹く様がかっこいい。
これが終わると、男子バスケ準決勝の試合がある。それには海斗くんが出るのでみんなで応援に行く予定。
ピピーーーッッッ。
笛の音が鳴り響き、女子バスケの試合が終わった。
この試合が準決勝だったので、負けたうちのクラスは三位になったようだ。かなり点数は取っていたのだけれど、六点差で負けてしまった。
コート内の飛鳥ちゃんは少し悔しそうな表情をしている。
試合終了の挨拶をすると、試合に出ていたクラスメイトがだーっと駆け寄ってきて、びっくりして身を引いたら手が伸びてきた。
「な、何っ!?」
「私がいっちばーん!」
と、飛鳥ちゃんに抱きつかれる。
最近、クラスの中で流行っていること。それは、ことあるごとに私に抱きつくこと。
どうしてそんなことになったのかは未だ不明だけれども、最初は飛鳥ちゃんだけだったのが、今では女子大多数。これには時々桃華さんも参戦する。
それには理由があって――。
先日、調子に乗った男子にも抱きつかれ、それにびっくりした私はフリーズしてしまったのだ。それ以来、そんな気配を察すると、誰よりも早く桃華さんに掻っ攫われる。
苦手、と言うほど男子に苦手意識を持っているつもりはなかったし、そんな話をしたわけでもないのだけど、敏感な桃華さんは何かを感じ取ってくれたみたい。
そんな優しさに甘えていいのかな、と心がふわふわと漂う。
クラスの女の子たちにもみくちゃされていると、審判をしていた桃華さんが戻ってきた。
「あら、翠葉ったら相変わらず人気者ね」
ニコリと笑って水分補給。
「も、桃華さん、助けてっ」
「ふふ、かわいがられていらっしゃい」
涼しい顔をして、もう一口スポーツ飲料を口にした。
桃華さんはこういう場合、たいていは助けてくれない。手を出す場所とそうでない場所をきちんと区別している感じ。
それで、かな。特別扱いをされている気分にならないでいられるのは。
"友達"という距離感を、くすぐったいくらいに全身で感じていた。
クラスメイトの顔も名前も全部覚えた。
今、私はとても楽しい学校生活を送っている。
"It's getting better all the time."
きっと、誰もがその"時"の中にいるのだと思う。
そして、幸せだと感じれば感じるほどに、私の中では別のものも大きくなる。
光を強く感じれば、闇が色濃くなるのは必然だから――。
私は、ずっとここにいられるのかな……。
「おーい! 女子っ! 次、応援頼むなーっ」
サッカーが終わり、次のバスケに向けて桜林館に入ってきた海斗くんたち。
「負けたら許さないっ!」
飛鳥ちゃんが大声で答える。
今日はクラスメイトみんなが生き生きとして見える。
普段の授業風景からは想像できないほどに。
なんというか、"お祭り騒ぎ"と言う言葉がぴったりなくらい。
運動が得意でない子はこのクラスにもいる。それでも、苦手なりにがんばろうと努力しているし、フォローしようという意気込みがひしひしと伝わってくる。
このクラスのそういうところが好きだな、と思った。
「桃華さん、次の男子バスケの準決勝ってどこと当たるの?」
手にトーナメントのあらましが書かれている用紙を持っていた桃華さんに訊くと、
「次は……二年A組。――海斗っ、負けるとか絶対許さないわよっ」
少し離れた場所にいる海斗くんを呼びつけるも、言葉からは想像できない美しい笑顔を貼り付けているわけで……。
応援というよりも若干脅迫じみている。
二年A組って何かあるのかな?
不思議に思いながら、一番端のコートへと応援席を移す。
その間もクラスの女の子たちにもみくちゃされる。
私、これで結構な体力を奪われているような、培われているような……。
そんなことを思っていると、後ろから二年A組と思われる対戦相手の男子たちが下りてきた。
「あ、藤宮先輩……」
「そうよ。だから、負けたら許さない……」
桃華さんの髪の毛がメドゥサの蛇のように見えたのは気のせいだと思いたい。
この、藤宮先輩に対する桃華さんの執着? 執念? には恐ろしいものがある。
藤宮先輩……あなた相当恨まれてますよ。
なんとなしに目で追いかけていると、藤宮先輩と目が合い、集団から外れてこちらにやってきた。
「久しぶり」
にこりと笑いかけられ、格好いいと思うのと同時に背筋がゾクリとした。
少し警戒して、
「お久しぶりです」
「あぁ、半月ぶりくらいじゃないか?」
思っていたよりも普通の会話に警戒が緩む。
言われてみたら、秋斗さんの仕事部屋でケーキを一緒に食べて以来かもしれない。
「で、翠は今日はどっちを応援するつもり? 命の恩人と、ただのクラスメイト」
少し小首を傾げ、「どっち?」と笑みを深める。
もう、やだ……。
文句なしの爽やかな笑顔で究極の二者択一とかやめてほしい。
「ちょっと……"翠"って何よ」
すかさず桃華さんににじり寄られた
「あの、御園生さんだと蒼兄と区別できないっていう理由で、"翠"って呼ばれることになったの。でも、呼ばれたのは今が初めて……かな?」
誰かに助けを求めたいのに、みんな驚いた顔をしていて誰にも求められない。
「ちょっと奥さん聞きました? "スイ"ですって」
どうしてか、海斗くんがおば様口調で桃華さんに耳打ちする。
「聞いたわ。うちのかわいい翠葉を"スイ"なんて呼んでいるらしいわね」
桃華さんが海斗くんのノリに付き合って答える。
「ちょっと、警戒網を敷かなくちゃなんないすかね、大将!」
「そうね、ガンガンに敷いてちょうだいっ。……ていうか、"スイ"だなんて馴れ馴れしいっ」
まるで、「汚らわしい」と言い捨てるかの如く、桃華さんが吐き捨てる。
「そういうの気にしないから。翠自身に警戒されると心が痛むけど、翠はそんなことしないと思ってる」
作られた、完璧な笑みを向けられて硬直する。
どうしてこういう場面で笑顔を使うのか、と抗議したくなる。
桃華さんと藤宮先輩が揃うと私は困る運命なのかもしれない。
「ちょっと、うちのクラスの男どもっ。翠葉取られたくなかったらがんばりなさいよねっ!?」
もう何を言われているのかわけがわからない。
桃華さんの藤宮先輩の敵対視はいつもこんな感じで、少々人格が変わる傾向にある。
「やろーどもっ、行くぜぇっ!」
海斗くんの号令に、「おーーーっっっ!!」と声が集うあたり、うちのクラスは意外と体育会系なのか、はたまたお祭り好きなのか――。
見ている分には楽しいので、どちらであってもかまわない。
けれど、まだ右に爽やかな笑顔を振りまく藤宮先輩と、左に麗しい桃華さんの笑顔が残っているわけで……。
「どっちも怖いです」
正直に心境を述べたところ、
「それ、答えになってないけど?」
「それ、答えになってないわよ?」
きれいにはもった声に鳥肌が立った。
「あの……団体はクラスを応援します。でも、個人的には藤宮先輩も応援する方向じゃダメでしょうか?」
恐る恐る訊くと、
「まぁ、いいけど」
と、藤宮先輩はそのまま階段を下りて、コートへと足を踏み入れた。
ひとつ文句を言いたい。
どっちでもいいなら最初から二者択一よろしくつきつけないでくださいっ。
「いまいち納得はできないけど、翠葉いじめても仕方ないし……」
藤宮先輩がいなくなるといつもの桃華さんに戻った。
ちょうどその頃、佐野くんと飛鳥ちゃんが一緒にジュースを買いに行っていたようで、そのふたりが戻ってきた。
遠くから手を振ってみたけれど、何かおかしい。
いつもなら肩組んでふざけていたりするのに、なんだか微妙な距離を感じる。
じっとふたりを見ていると、飛鳥ちゃんが途中から猛ダッシュで戻ってきた。
「飛鳥ちゃん、どうかした?」
訊くと、
「……んと、あとでお話聞いてもらいたいかも」
「うん、いいよ。でも……大丈夫?」
「うん、平気」
この顔はなんと言ったらいいのか――。
さっきまで笑顔大爆発だったのに、急に鎮火しちゃったような、そんな感じ。
でも、飛鳥ちゃんと桃華さんと私、三人揃っての応援は今日初めてだし、応援していたらそのうち元に戻るかもしれない。
さ、元気だして応援っ!
それは、いつも行動を共にしている四人が蒼兄並みの小姑さを発揮しているからほかならない。気づけば、クラス中が小姑のようになっていた。
私が体のことを話したのはあくまでも四人だけなのに、誰も何を訊くでもなく、やんわりとストッパーになってくれている。
そういえば一度だけ、「体育の授業出ないの?」と、訊かれたことがあった。
私は、「激しい運動はできなくて……」としか答えられなかったのに、「じゃぁ、レポートがんばらなくちゃね」という答えが返ってきた。
中には、「いいなー」という声もあったけど――それだけ。
とくにクラスの中で浮くことも、変な目で見られることもない。どちらかと言うと、一緒にお弁当を食べる人が増えたくらい。
うちのクラスはとても仲がいいと思う。
お昼の時間はところどころにグループができるものの、教室の前と後ろ、対角線で話していたり、端と端で話していることも少なくない。そして、みんながその話を聞いて笑って、どこからともなく話に加わったり……。
とても穏やかなクラスなのだろう。
小学校や中学校との雰囲気とははずいんぶんと違う。
あの頃、クラスの中は女子と男子で分かれるに留まらず、女子の中でもいくつかのグループに分かれて対立していた。
いつも殺伐としていて、"楽しいクラス"や"明るいクラス"という形容詞からはかけ離れていたと思う。
それとも――学校を楽しいと思えなくなっていた私が自分にフィルターをかけてしまっていただけなのか……。
ところ変われば人も変わるって、こういうことを言うのかな……。
"It's getting better all the time."
「いつだってどんどん良くなっているよ」と言ったのは誰だっただろうか。
私も今、その中にいるのかな。そうだったら、嬉しい――。
そういえば、先週の金曜日に加納先輩がうちのクラスまでお迎えにきてくれました。
「なんの?」って、写真部への勧誘に。
迎えに来られなくても行くつもりだったのだけど、ニコニコ笑顔で迎えに来てくれた。
部室に入って、加納先輩が必死に勧誘していた理由がわかった気がした。
部室には男子が九人と女子が四人。その中に新入生は含まれない。
「今年、新入部員来なくって……」
加納先輩が苦笑した。
つまり、部室にいる人は皆先輩で、新入部員は私しかいないという現状。だから……というわけではないと思うけど、手厚い歓迎を受けた。
まだ、大勢の中へ入っていくのは勇気がいるから、このくらいの人数が私にとっては都合が良かった。
笑顔で歓迎されたのなんてどれくらい久しぶりだろう。
少し考えてみたけれど、思い出せそうにはなかった。
ゴールデンウィークを目前にした今日、学校では春の球技大会が行われている。
完全なクラス別対抗ということもあり、先輩も後輩もない。ひたすら勝ち上がりトーナメントのため、とても白熱している。
私はというと、競技に参加することはできないので、朝からずっと応援に徹しています。
「翠葉ーっ! 私の勇姿見ててくれたっ!?」
バスケットコートで飛鳥ちゃんがこっちを見て飛び跳ねている。
飛鳥ちゃんはさっきから何度もゴールを決めていた。
「見てるよっ! がんばって!」
少し前までの私なら、遠くにいる人に向かってこんな大声を出すことなんてなかっただろう。
友達って――環境ってすごい。
もうひとりの麗しき方、桃華さんはどこにいるかというと、現在はほかのコートでバレーの審判をしている。
ピッ、と笛を吹く様がかっこいい。
これが終わると、男子バスケ準決勝の試合がある。それには海斗くんが出るのでみんなで応援に行く予定。
ピピーーーッッッ。
笛の音が鳴り響き、女子バスケの試合が終わった。
この試合が準決勝だったので、負けたうちのクラスは三位になったようだ。かなり点数は取っていたのだけれど、六点差で負けてしまった。
コート内の飛鳥ちゃんは少し悔しそうな表情をしている。
試合終了の挨拶をすると、試合に出ていたクラスメイトがだーっと駆け寄ってきて、びっくりして身を引いたら手が伸びてきた。
「な、何っ!?」
「私がいっちばーん!」
と、飛鳥ちゃんに抱きつかれる。
最近、クラスの中で流行っていること。それは、ことあるごとに私に抱きつくこと。
どうしてそんなことになったのかは未だ不明だけれども、最初は飛鳥ちゃんだけだったのが、今では女子大多数。これには時々桃華さんも参戦する。
それには理由があって――。
先日、調子に乗った男子にも抱きつかれ、それにびっくりした私はフリーズしてしまったのだ。それ以来、そんな気配を察すると、誰よりも早く桃華さんに掻っ攫われる。
苦手、と言うほど男子に苦手意識を持っているつもりはなかったし、そんな話をしたわけでもないのだけど、敏感な桃華さんは何かを感じ取ってくれたみたい。
そんな優しさに甘えていいのかな、と心がふわふわと漂う。
クラスの女の子たちにもみくちゃされていると、審判をしていた桃華さんが戻ってきた。
「あら、翠葉ったら相変わらず人気者ね」
ニコリと笑って水分補給。
「も、桃華さん、助けてっ」
「ふふ、かわいがられていらっしゃい」
涼しい顔をして、もう一口スポーツ飲料を口にした。
桃華さんはこういう場合、たいていは助けてくれない。手を出す場所とそうでない場所をきちんと区別している感じ。
それで、かな。特別扱いをされている気分にならないでいられるのは。
"友達"という距離感を、くすぐったいくらいに全身で感じていた。
クラスメイトの顔も名前も全部覚えた。
今、私はとても楽しい学校生活を送っている。
"It's getting better all the time."
きっと、誰もがその"時"の中にいるのだと思う。
そして、幸せだと感じれば感じるほどに、私の中では別のものも大きくなる。
光を強く感じれば、闇が色濃くなるのは必然だから――。
私は、ずっとここにいられるのかな……。
「おーい! 女子っ! 次、応援頼むなーっ」
サッカーが終わり、次のバスケに向けて桜林館に入ってきた海斗くんたち。
「負けたら許さないっ!」
飛鳥ちゃんが大声で答える。
今日はクラスメイトみんなが生き生きとして見える。
普段の授業風景からは想像できないほどに。
なんというか、"お祭り騒ぎ"と言う言葉がぴったりなくらい。
運動が得意でない子はこのクラスにもいる。それでも、苦手なりにがんばろうと努力しているし、フォローしようという意気込みがひしひしと伝わってくる。
このクラスのそういうところが好きだな、と思った。
「桃華さん、次の男子バスケの準決勝ってどこと当たるの?」
手にトーナメントのあらましが書かれている用紙を持っていた桃華さんに訊くと、
「次は……二年A組。――海斗っ、負けるとか絶対許さないわよっ」
少し離れた場所にいる海斗くんを呼びつけるも、言葉からは想像できない美しい笑顔を貼り付けているわけで……。
応援というよりも若干脅迫じみている。
二年A組って何かあるのかな?
不思議に思いながら、一番端のコートへと応援席を移す。
その間もクラスの女の子たちにもみくちゃされる。
私、これで結構な体力を奪われているような、培われているような……。
そんなことを思っていると、後ろから二年A組と思われる対戦相手の男子たちが下りてきた。
「あ、藤宮先輩……」
「そうよ。だから、負けたら許さない……」
桃華さんの髪の毛がメドゥサの蛇のように見えたのは気のせいだと思いたい。
この、藤宮先輩に対する桃華さんの執着? 執念? には恐ろしいものがある。
藤宮先輩……あなた相当恨まれてますよ。
なんとなしに目で追いかけていると、藤宮先輩と目が合い、集団から外れてこちらにやってきた。
「久しぶり」
にこりと笑いかけられ、格好いいと思うのと同時に背筋がゾクリとした。
少し警戒して、
「お久しぶりです」
「あぁ、半月ぶりくらいじゃないか?」
思っていたよりも普通の会話に警戒が緩む。
言われてみたら、秋斗さんの仕事部屋でケーキを一緒に食べて以来かもしれない。
「で、翠は今日はどっちを応援するつもり? 命の恩人と、ただのクラスメイト」
少し小首を傾げ、「どっち?」と笑みを深める。
もう、やだ……。
文句なしの爽やかな笑顔で究極の二者択一とかやめてほしい。
「ちょっと……"翠"って何よ」
すかさず桃華さんににじり寄られた
「あの、御園生さんだと蒼兄と区別できないっていう理由で、"翠"って呼ばれることになったの。でも、呼ばれたのは今が初めて……かな?」
誰かに助けを求めたいのに、みんな驚いた顔をしていて誰にも求められない。
「ちょっと奥さん聞きました? "スイ"ですって」
どうしてか、海斗くんがおば様口調で桃華さんに耳打ちする。
「聞いたわ。うちのかわいい翠葉を"スイ"なんて呼んでいるらしいわね」
桃華さんが海斗くんのノリに付き合って答える。
「ちょっと、警戒網を敷かなくちゃなんないすかね、大将!」
「そうね、ガンガンに敷いてちょうだいっ。……ていうか、"スイ"だなんて馴れ馴れしいっ」
まるで、「汚らわしい」と言い捨てるかの如く、桃華さんが吐き捨てる。
「そういうの気にしないから。翠自身に警戒されると心が痛むけど、翠はそんなことしないと思ってる」
作られた、完璧な笑みを向けられて硬直する。
どうしてこういう場面で笑顔を使うのか、と抗議したくなる。
桃華さんと藤宮先輩が揃うと私は困る運命なのかもしれない。
「ちょっと、うちのクラスの男どもっ。翠葉取られたくなかったらがんばりなさいよねっ!?」
もう何を言われているのかわけがわからない。
桃華さんの藤宮先輩の敵対視はいつもこんな感じで、少々人格が変わる傾向にある。
「やろーどもっ、行くぜぇっ!」
海斗くんの号令に、「おーーーっっっ!!」と声が集うあたり、うちのクラスは意外と体育会系なのか、はたまたお祭り好きなのか――。
見ている分には楽しいので、どちらであってもかまわない。
けれど、まだ右に爽やかな笑顔を振りまく藤宮先輩と、左に麗しい桃華さんの笑顔が残っているわけで……。
「どっちも怖いです」
正直に心境を述べたところ、
「それ、答えになってないけど?」
「それ、答えになってないわよ?」
きれいにはもった声に鳥肌が立った。
「あの……団体はクラスを応援します。でも、個人的には藤宮先輩も応援する方向じゃダメでしょうか?」
恐る恐る訊くと、
「まぁ、いいけど」
と、藤宮先輩はそのまま階段を下りて、コートへと足を踏み入れた。
ひとつ文句を言いたい。
どっちでもいいなら最初から二者択一よろしくつきつけないでくださいっ。
「いまいち納得はできないけど、翠葉いじめても仕方ないし……」
藤宮先輩がいなくなるといつもの桃華さんに戻った。
ちょうどその頃、佐野くんと飛鳥ちゃんが一緒にジュースを買いに行っていたようで、そのふたりが戻ってきた。
遠くから手を振ってみたけれど、何かおかしい。
いつもなら肩組んでふざけていたりするのに、なんだか微妙な距離を感じる。
じっとふたりを見ていると、飛鳥ちゃんが途中から猛ダッシュで戻ってきた。
「飛鳥ちゃん、どうかした?」
訊くと、
「……んと、あとでお話聞いてもらいたいかも」
「うん、いいよ。でも……大丈夫?」
「うん、平気」
この顔はなんと言ったらいいのか――。
さっきまで笑顔大爆発だったのに、急に鎮火しちゃったような、そんな感じ。
でも、飛鳥ちゃんと桃華さんと私、三人揃っての応援は今日初めてだし、応援していたらそのうち元に戻るかもしれない。
さ、元気だして応援っ!