光のもとでⅠ
蒼兄と並んで公園を歩いていると、芝生がスプリンクラーの水を受けてキラキラと輝いて見えた。
「翠葉は本当に緑を見るのが好きだな?」
「うん。なんかね、心が洗われる気がするの。それに、見ているとほっとする色」
言うと、「やっぱり前世は葉っぱだな」と烙印を押された。
でも、それでもいいかもしれない。
前世は葉っぱ、か……。
周りにはどんなお花が咲いていただろう。そこからはどんな景色が、空が見えただろう。
考えていると、
「今日、ずっと外だったけど大丈夫だったか?」
顔を覗き込まれる。
実のところは体かとても熱い。でも、あとは家に帰るだけだから大丈夫。
「うん、大丈夫。とっても楽しかったし」
そう答えたにも関わらず、隣から額に向かって手が伸びてきた。
「日焼け、ってわけじゃなさそうだな。熱、あるんじゃないのか?」
目が、嘘はつくな、と言っていた。
「少しだけだよ。少しだけ、体が熱い」
すると、やっぱり、という顔をされた。
「翠葉……どうして言わないんだ? いつもギリギリまで……」
どうして……か。
簡単なようで簡単じゃない質問。
今まで何度となく訊かれてきた。でも、自分の中でこれ、という答えは見つけられなくて、答えられたことはない。
今なら片鱗くらいは答えられるだろうか……。
「心配をかけたくなから……。でも、それだけじゃないよ」
一度言葉を切り、心にある想いを言葉へ変換しようと試みる。
「蒼兄が心配している顔を見ると悲しくなるから……。あとは、具合が悪いって自分で認めてしまったら、自分が自分に負けちゃう気がするから……」
「……難しいな。俺はいつだって心配しているし、具合が悪いって言われたら、傍目に見てわかる程度には心配そうな顔をしているんだろうし……。自分に負けちゃう気がするっていうのはわからなくはないけど、それはやっぱり危ないと思う。熱いくらいならそんなこともないだろうけれど、ほかの場合、処置が早いほうがいいことは翠葉だってわかっているだろ?」
諭すように話され、「うん、そうだよね」と返事をする。けれども、気持ちが伴わない返事だった。
「本当は言ってほしい……。でも、それが翠葉にとってつらいことならいい。……顔を見てればだいたい気づけるから」
「っ……」
「俺も、翠葉観察歴が長いだけなわけじゃないよ」
最後に甘やかされるのはいつものこと。
きっと、負い目を感じているのだろう。本当は私がいけなかったのに。私の不注意だったのに……。
「蒼兄、あのね――あの日、私が倒れたのは誰のせいでもないんだよ? 蒼兄も、お母さんもお父さんも悪くない。ただ、私が自分の体温調節ができなかっただけで……。写真を撮ることに夢中で、休憩もせず立ちっぱなしだったのがいけないの。全部私がいけなくて、蒼兄たちが負い目を感じることなんて何もないんだよっ!?」
「――翠葉、ずっとそんなふうに思っていたのか?」
頷くと、重力に負けて目から涙が零れた。
「悪い……気づかなかった。でも、あのときは確かに負い目と感じていたけど……今は少し違う。ただ、嫌なんだ。自分の知らないところで具合が悪くなってたら……って考えるのが。いわば保身のために翠葉の側にいる。ほら、先輩たちにも言われてるけど、兄バカだからさ」
言いながらシャツの袖で涙を拭ってくれた。
「でも、そのせいで蒼兄の時間をもらいすぎている気がするの」
「……高校の行き帰りのことか?」
「うん……」
「それも五月いっぱいの話だよ。翠葉が生徒会に入ればまた変わってくる」
「でも、成績しだいではわからないし……。もし、生徒会に入れなかったら帰りはひとりで帰るってお父さんたちに言おうと思ってる」
「それは無理っ。俺が無理」
「でもっ」
「そんなことになるくらいなら、翠葉に大学に来てもらって研究室の隅にいてもらうほうが何百倍もマシ」
「蒼兄、大げさだよ……。私は一年遅れて高校生になれて、今という時間をとても楽しく過ごせてる。……すごく幸せだと思ってるよ。でもね、それで誰かにしわ寄せが行くのはつらいし、違うと思うの。そんなに人の手を借りなくちゃできないことなら、本当は諦めるべきことだったのかも、と思うの」
家族に心配されることが、とてもつらく悲しく圧し掛かる。自分が足枷にしか思えなくて苦しくなる。
今、自分が高校に通えているのは、家族や友達が助けてくれているからほかならない。
そこまでして自分が高校へ行く価値はあるのか……。
蒼兄のように、将来なんの仕事に就きたいとか、そういうものすらない。
なのに高校へ通う。それは私のわがままなんじゃないだろうか――時々、すごく不安になる。
と、蒼兄が足を止め、私の前に立った。
見上げると、ぎゅっ、と抱きしめられた。
「蒼、に……?」
「もしかしたら、俺はすごいエゴを翠葉に押し付けてるのかもしれない。でも……自分の手の届かないところに翠葉がいるのは嫌なんだ。不安でほかのことが手につかなくなる。だから――負い目とかそういうんじゃなくて、俺が安心して手を放せるようになるまでは側にいさせてくれないか?」
わがままを言っているのは私なのに、蒼兄は「自分のエゴ」だと言う。
どうしたら――どうしたら蒼兄を自分から解放してあげられるんだろう。
少なくとも、今はまだ何ひとつとして安心材料になりそうなものを私は持っていない。
もっと健康な体にならなくちゃ……。もっと普通の人と同じように動けるようにならなくちゃ……。
せめてこの先、倒れることだけは回避しなくちゃ……。
「蒼兄……ごめんね。いつもありがとう」
この言葉を言うと、蒼兄はいつもほっとした顔をしてくれる。そして、必ずこう言うの。
「バカだな。ありがとうだけでいい」
って。
そう言って少し悲しげに笑う。
何度この表情を見てきただろう……。
"There's always something you can do."
――いつだって何かできることはある。
今、私にできることは何?
蒼兄と手をつないで歩く。
このあたたかくて大きな手を放せないのは、蒼兄じゃなくて自分なのかもしれない――。
「翠葉は本当に緑を見るのが好きだな?」
「うん。なんかね、心が洗われる気がするの。それに、見ているとほっとする色」
言うと、「やっぱり前世は葉っぱだな」と烙印を押された。
でも、それでもいいかもしれない。
前世は葉っぱ、か……。
周りにはどんなお花が咲いていただろう。そこからはどんな景色が、空が見えただろう。
考えていると、
「今日、ずっと外だったけど大丈夫だったか?」
顔を覗き込まれる。
実のところは体かとても熱い。でも、あとは家に帰るだけだから大丈夫。
「うん、大丈夫。とっても楽しかったし」
そう答えたにも関わらず、隣から額に向かって手が伸びてきた。
「日焼け、ってわけじゃなさそうだな。熱、あるんじゃないのか?」
目が、嘘はつくな、と言っていた。
「少しだけだよ。少しだけ、体が熱い」
すると、やっぱり、という顔をされた。
「翠葉……どうして言わないんだ? いつもギリギリまで……」
どうして……か。
簡単なようで簡単じゃない質問。
今まで何度となく訊かれてきた。でも、自分の中でこれ、という答えは見つけられなくて、答えられたことはない。
今なら片鱗くらいは答えられるだろうか……。
「心配をかけたくなから……。でも、それだけじゃないよ」
一度言葉を切り、心にある想いを言葉へ変換しようと試みる。
「蒼兄が心配している顔を見ると悲しくなるから……。あとは、具合が悪いって自分で認めてしまったら、自分が自分に負けちゃう気がするから……」
「……難しいな。俺はいつだって心配しているし、具合が悪いって言われたら、傍目に見てわかる程度には心配そうな顔をしているんだろうし……。自分に負けちゃう気がするっていうのはわからなくはないけど、それはやっぱり危ないと思う。熱いくらいならそんなこともないだろうけれど、ほかの場合、処置が早いほうがいいことは翠葉だってわかっているだろ?」
諭すように話され、「うん、そうだよね」と返事をする。けれども、気持ちが伴わない返事だった。
「本当は言ってほしい……。でも、それが翠葉にとってつらいことならいい。……顔を見てればだいたい気づけるから」
「っ……」
「俺も、翠葉観察歴が長いだけなわけじゃないよ」
最後に甘やかされるのはいつものこと。
きっと、負い目を感じているのだろう。本当は私がいけなかったのに。私の不注意だったのに……。
「蒼兄、あのね――あの日、私が倒れたのは誰のせいでもないんだよ? 蒼兄も、お母さんもお父さんも悪くない。ただ、私が自分の体温調節ができなかっただけで……。写真を撮ることに夢中で、休憩もせず立ちっぱなしだったのがいけないの。全部私がいけなくて、蒼兄たちが負い目を感じることなんて何もないんだよっ!?」
「――翠葉、ずっとそんなふうに思っていたのか?」
頷くと、重力に負けて目から涙が零れた。
「悪い……気づかなかった。でも、あのときは確かに負い目と感じていたけど……今は少し違う。ただ、嫌なんだ。自分の知らないところで具合が悪くなってたら……って考えるのが。いわば保身のために翠葉の側にいる。ほら、先輩たちにも言われてるけど、兄バカだからさ」
言いながらシャツの袖で涙を拭ってくれた。
「でも、そのせいで蒼兄の時間をもらいすぎている気がするの」
「……高校の行き帰りのことか?」
「うん……」
「それも五月いっぱいの話だよ。翠葉が生徒会に入ればまた変わってくる」
「でも、成績しだいではわからないし……。もし、生徒会に入れなかったら帰りはひとりで帰るってお父さんたちに言おうと思ってる」
「それは無理っ。俺が無理」
「でもっ」
「そんなことになるくらいなら、翠葉に大学に来てもらって研究室の隅にいてもらうほうが何百倍もマシ」
「蒼兄、大げさだよ……。私は一年遅れて高校生になれて、今という時間をとても楽しく過ごせてる。……すごく幸せだと思ってるよ。でもね、それで誰かにしわ寄せが行くのはつらいし、違うと思うの。そんなに人の手を借りなくちゃできないことなら、本当は諦めるべきことだったのかも、と思うの」
家族に心配されることが、とてもつらく悲しく圧し掛かる。自分が足枷にしか思えなくて苦しくなる。
今、自分が高校に通えているのは、家族や友達が助けてくれているからほかならない。
そこまでして自分が高校へ行く価値はあるのか……。
蒼兄のように、将来なんの仕事に就きたいとか、そういうものすらない。
なのに高校へ通う。それは私のわがままなんじゃないだろうか――時々、すごく不安になる。
と、蒼兄が足を止め、私の前に立った。
見上げると、ぎゅっ、と抱きしめられた。
「蒼、に……?」
「もしかしたら、俺はすごいエゴを翠葉に押し付けてるのかもしれない。でも……自分の手の届かないところに翠葉がいるのは嫌なんだ。不安でほかのことが手につかなくなる。だから――負い目とかそういうんじゃなくて、俺が安心して手を放せるようになるまでは側にいさせてくれないか?」
わがままを言っているのは私なのに、蒼兄は「自分のエゴ」だと言う。
どうしたら――どうしたら蒼兄を自分から解放してあげられるんだろう。
少なくとも、今はまだ何ひとつとして安心材料になりそうなものを私は持っていない。
もっと健康な体にならなくちゃ……。もっと普通の人と同じように動けるようにならなくちゃ……。
せめてこの先、倒れることだけは回避しなくちゃ……。
「蒼兄……ごめんね。いつもありがとう」
この言葉を言うと、蒼兄はいつもほっとした顔をしてくれる。そして、必ずこう言うの。
「バカだな。ありがとうだけでいい」
って。
そう言って少し悲しげに笑う。
何度この表情を見てきただろう……。
"There's always something you can do."
――いつだって何かできることはある。
今、私にできることは何?
蒼兄と手をつないで歩く。
このあたたかくて大きな手を放せないのは、蒼兄じゃなくて自分なのかもしれない――。