光のもとでⅠ
16 Side Soju 03話
「あ、そこです」
簾条さんにそこ、と言われたのはずいぶんと古めかしい大きな門構えの家だった。
見たところ、旧家ぽい。
「すごい家だけど……」
「家だけですよ。簾条流――華道の家元ですから、外観はそれっぽいでしょう?」
と、どこか嘲笑を含む笑みをもらした。
「なんか、和服の人が出てきそうなイメージ」
「そうですね、お手伝いさんは皆着物を着ています。私も自宅に帰れば基本は着物で過ごしますし……」
制服を脱いだら着物、か……。
なんだか大変そうな家だけど、翠葉は喜びそうだ。
「今度、翠葉と着物を着て出かけてやってくれる? 絶対に喜ぶから。きっと寺院めぐりをしたいって言い出すに違いない」
「あら、すてき。楽しみにしてますからね?」
最後は念を押された感じだ。
「善処します」
彼女はにこりと笑い、
「今日はご馳走様でした」
「いや、こちらこそ。本当にありがとう」
心からの礼を……。
簾条さんが門の脇になる小さな戸口から中に入るのを見届けると、俺はそのまま学校へと向かった。
図書棟に入ると、入り口で作業員らしき人と秋斗先輩が何かをしていた。
「秋斗先輩、何してるんですか?」
「あぁ、蒼樹。ここのカードキーを外して指紋認証キーに付け替えたところ。動作確認してるからちょっと待ってて」
一通り動作確認が済むと作業員は図書棟を出ていった。
「蒼樹の指紋もデータ登録するから中に入って」
秋斗先輩は白衣を翻して図書室へ入っていく。
置くの仕事部屋でチェッカーに左右の中指、人差し指、薬指、計六本のデータを取ると、
「こっちの部屋も来月には変えるから」
と、かなりご機嫌だった。
「で……翠葉ちゃんは大丈夫なの?」
……俺、まだ何も言ってないけど……。
なんで知ってるんだろう、と不思議に思っていると、
「さっき湊ちゃんから連絡入って、バングルと携帯のGPSを起動するように言われたから」
あぁ、そういうことか……。
ということは、翠葉はバングルを付けることを了承したのだろう。
よく、受け入れたな……。
「今日が無理でも明日には帰れると思います」
「そっか……。で、俺は怒られるのかな?」
と、首を竦める。
それは、勝手にGPSを携帯に仕込んでいたことを言っているのだろう。
「……いいえ。だって、あれ、俺への誕生日プレゼントだったんでしょう? 結局は湊さんに持っていかれちゃいましたけど」
「そうなんだ、ひといよね? 俺があれにどれだけ時間割いたと思ってるんだか……」
言って、少し笑う。
「バングルも、ありがとうございます」
「あれは俺が翠葉ちゃんにプレゼントしたかったんだけど。確か、蒼樹の二日後くらいが誕生日だったよね」
よく覚えてるな……。
「翠葉は六月一日です。でも、プレゼントにGPSとバイタルチェックができるバングルってどうなんですか」
苦笑せずにはいられない。
「だからちゃんと唐草模様をモチーフにしたデザインになってたでしょ? 単なる直線の輪っかじゃなくてさ。イメージとして、ギリシア神話に出てくる女神がしてるような腕輪なんだけど。現物、見た? あれ、俺の力作のデザイン」
確かに、バイタルチェックなんて言われなければ普通のアクセサリーのように見えた。
「お礼を言わせてください」
「そんなかしこまらなくていいよ」
「いえ……。ありがとうございました」
腰からきっちり上体を折ると、
「これはさ、俺が好きでやったことだから気にしないで」
と、声をかけられた。
さもなんてことないふうに話すけど、そんなに簡単なことじゃないはずだ。
GPSに関してはそんなに難しいことじゃない。けど、バイタルチェックができるものをあそこまでデザイン性に優れたものにすることや軽量化させること。
とても一筋縄ではいかないものだと思うし、企業が手がければ数年単位かかるものだろう。
現に、そんなものは市場に出回っていない。
これ、特許を申請したら相当儲かるんじゃないか?
「あのさ、ひとつ訊きたいんだけど」
「なんですか?」
「翠葉ちゃん、具合が悪くなっても人に助けを求めないって本当?」
この話の流れでいきなりそれか。
でも、湊さんだってさすがにそこまで話さないと思うんだけど……。
「前に倒れて病院に連れて行ったとき、学校に帰ってきたら司がそんなことを言ってたんだ。あんな状態なのに、とても助けを求めてるようには見えなかったって。それどころか、気づかれないようにしていた節があるって。司が、あれじゃいつか死ぬよって、そんなことを蒼白な顔をして言ってた」
……そういうことか。
司も変に鋭くて困るやら助かるやら……。
「今日、その話を紫先生と湊さんにされてきたところなんです。これには正直、自分もまいってしまって……。自殺願望ほどはっきりした感情ではないそうです。ただ、人に迷惑をかけたときや、自分に向けられる心配に押しつぶされそうになると、自分が消えてしまえばいいと思うことはあるようで……。結果、具合が悪くなっても人に助けを求めないのだろう、と……」
「……なるほどね。素直だしいい子なんだけど、それがゆえってやつかなぁ……。まぁ、湊ちゃんがついているから大丈夫でしょ。湊ちゃんが持ってるモバイルにはこういうのが表示されるんだ」
と、自分のパソコンを俺に見せてくれた。
そこには小さなウィンドウが開いていて、脈拍数、血圧数値、体温が表示されていた。
「血圧や脈拍に異常を感知するとアラートがなる仕組み。短時間で作った割りには精密にできてると思う。パソコンで見るシステムの構築は終わった。仮にこの窓を閉じてもツールバーに常に表示される。隣の赤いボタンをクリックすれば現在地が出る」
すごい……。
「先輩、セキュリティ会社なんてやめて、この筋の会社立ち上げたらどうですか?」
「あぁ、儲かりそうだよね? でも、面倒くさいのは苦手なんだ。蒼樹がその面倒な部分を一切合切引き受けてくれるならいいよ? でも、俺はやりたい仕事しかしないけど」
相変わらず本気なのか冗談なのかわからない。
「これ……携帯でチェックできるように改良できますか?」
「あ、いいね。よりモバイルに特化した感じが。ちょっとやってみてすぐにできそうだったら連絡する。誕生日プレゼントはそれでいい?」
「……高価すぎて、先輩の誕生日に何を贈ったらいいのか悩みそうですね」
言いながら、先輩と自分にコーヒーを淹れた。
「そうだなぁ……。翠葉ちゃんをお嫁さんにちょうだい」
これは冗談なのか本気なのか……。とりあえず、
「翠葉はものではないので、差し上げかねます」
「じゃー……翠葉ちゃんと一日デート権とか?」
「先輩……どこまでふざければ気が済むんですか……」
「え? ふざけてるつもりはないんだけど」
と、コーヒーを受け取りながら笑った。
どうやら翠葉は秋斗先輩に気に入られてしまったようだ。
それがどんな分野での"興味"なのかはわからない。
でも、手ごわい相手であることに違いはない。
もう一度パソコンのモニターに目をやる。
自分からしてみたらとても便利な装置……。
けれど、翠葉にとっては監視されているようなものなのかもしれない。
それでも、翠葉が今までよりも自由に動けて、もっと世界を広げることができるのなら、これだけは許してほしい――。
帰る間際、先輩にCDを渡された。
「これあげる。プレゼントの一端」
家に帰って内容を見るとデータの嵐だった。
先輩のパソコンに表示されていたツールバーを設定するためのデータ。
早速作業に取り掛かり、自分のパソコンからもチェックできるように設定した。
すでに起動されているそれには翠葉のバイタルが表示される。
「やっと三十七度台まで下がったか……」
血圧もこれなら普段とさほど変わりはない。
ほっとすると同時に思いつく。
これ、父さんと母さんのパソコンにも設定しとくかな、と。
そしたら、父さんたちも遠くにいても多少は近くに翠葉を感じることができるだろう。
翠葉、近くにいなくても限りなく近くにいるから――。
だから、もっと羽を伸ばしていいよ。
今まで、窮屈な思いをさせてごめん。
それでもやっぱり、手放すことはできないんだ――。
簾条さんにそこ、と言われたのはずいぶんと古めかしい大きな門構えの家だった。
見たところ、旧家ぽい。
「すごい家だけど……」
「家だけですよ。簾条流――華道の家元ですから、外観はそれっぽいでしょう?」
と、どこか嘲笑を含む笑みをもらした。
「なんか、和服の人が出てきそうなイメージ」
「そうですね、お手伝いさんは皆着物を着ています。私も自宅に帰れば基本は着物で過ごしますし……」
制服を脱いだら着物、か……。
なんだか大変そうな家だけど、翠葉は喜びそうだ。
「今度、翠葉と着物を着て出かけてやってくれる? 絶対に喜ぶから。きっと寺院めぐりをしたいって言い出すに違いない」
「あら、すてき。楽しみにしてますからね?」
最後は念を押された感じだ。
「善処します」
彼女はにこりと笑い、
「今日はご馳走様でした」
「いや、こちらこそ。本当にありがとう」
心からの礼を……。
簾条さんが門の脇になる小さな戸口から中に入るのを見届けると、俺はそのまま学校へと向かった。
図書棟に入ると、入り口で作業員らしき人と秋斗先輩が何かをしていた。
「秋斗先輩、何してるんですか?」
「あぁ、蒼樹。ここのカードキーを外して指紋認証キーに付け替えたところ。動作確認してるからちょっと待ってて」
一通り動作確認が済むと作業員は図書棟を出ていった。
「蒼樹の指紋もデータ登録するから中に入って」
秋斗先輩は白衣を翻して図書室へ入っていく。
置くの仕事部屋でチェッカーに左右の中指、人差し指、薬指、計六本のデータを取ると、
「こっちの部屋も来月には変えるから」
と、かなりご機嫌だった。
「で……翠葉ちゃんは大丈夫なの?」
……俺、まだ何も言ってないけど……。
なんで知ってるんだろう、と不思議に思っていると、
「さっき湊ちゃんから連絡入って、バングルと携帯のGPSを起動するように言われたから」
あぁ、そういうことか……。
ということは、翠葉はバングルを付けることを了承したのだろう。
よく、受け入れたな……。
「今日が無理でも明日には帰れると思います」
「そっか……。で、俺は怒られるのかな?」
と、首を竦める。
それは、勝手にGPSを携帯に仕込んでいたことを言っているのだろう。
「……いいえ。だって、あれ、俺への誕生日プレゼントだったんでしょう? 結局は湊さんに持っていかれちゃいましたけど」
「そうなんだ、ひといよね? 俺があれにどれだけ時間割いたと思ってるんだか……」
言って、少し笑う。
「バングルも、ありがとうございます」
「あれは俺が翠葉ちゃんにプレゼントしたかったんだけど。確か、蒼樹の二日後くらいが誕生日だったよね」
よく覚えてるな……。
「翠葉は六月一日です。でも、プレゼントにGPSとバイタルチェックができるバングルってどうなんですか」
苦笑せずにはいられない。
「だからちゃんと唐草模様をモチーフにしたデザインになってたでしょ? 単なる直線の輪っかじゃなくてさ。イメージとして、ギリシア神話に出てくる女神がしてるような腕輪なんだけど。現物、見た? あれ、俺の力作のデザイン」
確かに、バイタルチェックなんて言われなければ普通のアクセサリーのように見えた。
「お礼を言わせてください」
「そんなかしこまらなくていいよ」
「いえ……。ありがとうございました」
腰からきっちり上体を折ると、
「これはさ、俺が好きでやったことだから気にしないで」
と、声をかけられた。
さもなんてことないふうに話すけど、そんなに簡単なことじゃないはずだ。
GPSに関してはそんなに難しいことじゃない。けど、バイタルチェックができるものをあそこまでデザイン性に優れたものにすることや軽量化させること。
とても一筋縄ではいかないものだと思うし、企業が手がければ数年単位かかるものだろう。
現に、そんなものは市場に出回っていない。
これ、特許を申請したら相当儲かるんじゃないか?
「あのさ、ひとつ訊きたいんだけど」
「なんですか?」
「翠葉ちゃん、具合が悪くなっても人に助けを求めないって本当?」
この話の流れでいきなりそれか。
でも、湊さんだってさすがにそこまで話さないと思うんだけど……。
「前に倒れて病院に連れて行ったとき、学校に帰ってきたら司がそんなことを言ってたんだ。あんな状態なのに、とても助けを求めてるようには見えなかったって。それどころか、気づかれないようにしていた節があるって。司が、あれじゃいつか死ぬよって、そんなことを蒼白な顔をして言ってた」
……そういうことか。
司も変に鋭くて困るやら助かるやら……。
「今日、その話を紫先生と湊さんにされてきたところなんです。これには正直、自分もまいってしまって……。自殺願望ほどはっきりした感情ではないそうです。ただ、人に迷惑をかけたときや、自分に向けられる心配に押しつぶされそうになると、自分が消えてしまえばいいと思うことはあるようで……。結果、具合が悪くなっても人に助けを求めないのだろう、と……」
「……なるほどね。素直だしいい子なんだけど、それがゆえってやつかなぁ……。まぁ、湊ちゃんがついているから大丈夫でしょ。湊ちゃんが持ってるモバイルにはこういうのが表示されるんだ」
と、自分のパソコンを俺に見せてくれた。
そこには小さなウィンドウが開いていて、脈拍数、血圧数値、体温が表示されていた。
「血圧や脈拍に異常を感知するとアラートがなる仕組み。短時間で作った割りには精密にできてると思う。パソコンで見るシステムの構築は終わった。仮にこの窓を閉じてもツールバーに常に表示される。隣の赤いボタンをクリックすれば現在地が出る」
すごい……。
「先輩、セキュリティ会社なんてやめて、この筋の会社立ち上げたらどうですか?」
「あぁ、儲かりそうだよね? でも、面倒くさいのは苦手なんだ。蒼樹がその面倒な部分を一切合切引き受けてくれるならいいよ? でも、俺はやりたい仕事しかしないけど」
相変わらず本気なのか冗談なのかわからない。
「これ……携帯でチェックできるように改良できますか?」
「あ、いいね。よりモバイルに特化した感じが。ちょっとやってみてすぐにできそうだったら連絡する。誕生日プレゼントはそれでいい?」
「……高価すぎて、先輩の誕生日に何を贈ったらいいのか悩みそうですね」
言いながら、先輩と自分にコーヒーを淹れた。
「そうだなぁ……。翠葉ちゃんをお嫁さんにちょうだい」
これは冗談なのか本気なのか……。とりあえず、
「翠葉はものではないので、差し上げかねます」
「じゃー……翠葉ちゃんと一日デート権とか?」
「先輩……どこまでふざければ気が済むんですか……」
「え? ふざけてるつもりはないんだけど」
と、コーヒーを受け取りながら笑った。
どうやら翠葉は秋斗先輩に気に入られてしまったようだ。
それがどんな分野での"興味"なのかはわからない。
でも、手ごわい相手であることに違いはない。
もう一度パソコンのモニターに目をやる。
自分からしてみたらとても便利な装置……。
けれど、翠葉にとっては監視されているようなものなのかもしれない。
それでも、翠葉が今までよりも自由に動けて、もっと世界を広げることができるのなら、これだけは許してほしい――。
帰る間際、先輩にCDを渡された。
「これあげる。プレゼントの一端」
家に帰って内容を見るとデータの嵐だった。
先輩のパソコンに表示されていたツールバーを設定するためのデータ。
早速作業に取り掛かり、自分のパソコンからもチェックできるように設定した。
すでに起動されているそれには翠葉のバイタルが表示される。
「やっと三十七度台まで下がったか……」
血圧もこれなら普段とさほど変わりはない。
ほっとすると同時に思いつく。
これ、父さんと母さんのパソコンにも設定しとくかな、と。
そしたら、父さんたちも遠くにいても多少は近くに翠葉を感じることができるだろう。
翠葉、近くにいなくても限りなく近くにいるから――。
だから、もっと羽を伸ばしていいよ。
今まで、窮屈な思いをさせてごめん。
それでもやっぱり、手放すことはできないんだ――。