光のもとでⅠ
08
翌朝も、何も変わることなく蒼兄と一緒に登校する。
まだ、ひとりで電車通学、というのは実現していない。
やってみたいとは思う。でも、いざとなるとチャレンジする勇気が出ない。
トライするなら土曜日の帰りかな、とかプランを考えないわけではない。でも、テスト期間に倒れたら、と考えると実行する日はきちんと選ばなくちゃいけない気がした。
上履きに履き替え図書棟へ向かうと、図書棟前に秋斗さんが立っていた。
図書室は相変わらず写真だらけで、小路のように床が見えるのみ。それはまるで迷路のよう。
きっと、今日も放課後も生徒会メンバーが集って作業をするのだろう。
昨日聞いた話だと、いったい何枚あるのかわからない写真を今週中に千枚までに絞り、翌週から広報委員が加わって六百枚に絞るのだという。
それなら最初から広報委員も一緒に仕事をすればいいのに、と思っていたら、「それじゃダメなのよ」と里見先輩が教えてくれた。
「表に出しちゃまずいような写真も中には紛れていたりするから、それをピンはねするのも仕事のうち。まずい写真は大人数にさらすものじゃないでしょ?」
言われて納得。
「それに、これだけの枚数だからね……。広報委員の入るスペースなんてないのよ」
と、荒川先輩があたりを見回して「最悪」って顔をした。
確かに……生徒会メンバーですら小路しか歩けない状態なのに、そこへ広報委員が入るスペースなどない。
じゃぁ場所を変えれば……なんて言えないくらいの分量に、ここでの作業が妥当だと思わざるを得なかった。
仕事部屋に入ると、
「まずはお茶にしようか」
秋斗さんに言われて私が淹れることにした。
時間はまだ八時を回ったところなので始業時間ではない。
あと三十分ほどはのんびりできる。
そこまで考えて、「あれ?」と思った。
私が早く来ているから秋斗さんも早いのだろうか……?
「秋斗さんのお仕事は何時からなんですか?」
「ん? 始業時間は九時だけど?」
「もしかして、今日も昨日も早くにいらしてくださってたり……しますよね」
秋斗さんはクスリと笑う。
「少しだけね。でも、家は近いから気にしなくていいよ」
「すみません……」
ここに通ってくるのも今日が最後なので、謝ることしかできなかった。
「翠葉ちゃんはさ、そういうところには気づくのにそのほかは色々と鈍いよね?」
「え……?」
「いや、こっちの話。……君のアンテナがどの辺についていて、どんなことに反応するのかはちょっと興味がある」
「……意味がわからないです」
「うん、わからなくていいよ」
「それはなんだか面白くないです……」
むぅっと頬を膨らませると、さらに笑われた。
「あ、そういえば……昨日初めて知りました。バイタルチェックの受信側のシステム?」
昨夜、蒼兄から見せてもらって携帯の話をする。と、
「あぁ、これね」
秋斗さんは自分の携帯を見ながら答えた。
「それ、私の携帯でも見られるようにできますか?」
「できるけど……?」
「……お願いしてもいいですか?」
自分自身が血圧や体温を知ることができれば、もう少し色んなことを回避できる気がした。
「いいけど……急にどうしたの?」
「……ただ、そのほうがもっと自分が自分に気をつけられる気がするから……。今の状態だと、全部人任せみたいな気がして……」
「……そんなことはないんだけどね。でも、翠葉ちゃんが望むなら設定するよ」
秋斗さんに携帯を渡すと、携帯を手にした秋斗さんは不思議そうに携帯を眺めていた。
「どうかしましたか?」
「いや、女子高生らしからぬ携帯だと思って」
その返答の意味もわからない。
携帯に女子高生らしいってあるのだろうか……。
「最近の子はさ、デコレーションでこってこてにしていたり、ストラップがじゃらじゃらついていたりするじゃない?」
……そう言われてみれば、飛鳥ちゃんの携帯はラインストーンで豪華に彩られていたし、希和ちゃんの携帯にはぬいぐるみのキーホルダーのようなものがいくつもついていた。
桃華さんはシンプルなラインストーンが虹色にグラデーションになっているものをつけている。
「そう言われてみると……そうですね?」
まるで他人事のように答える。
「ストラップ、僕がプレゼントしたら使ってくれる?」
笑顔で訊かれ、私は秋斗さんをじっと観察する。
「ねぇ……この間は何かな。……いや、訊かなくてもなんとなくはわかるんだけど……」
「いえ、あえて訊きます。何か仕掛けつきですか?」
「くっ……やっぱりか……。いいえ、もう仕掛けはしません。ねぇ、僕って実は結構信用なくしてる?」
苦笑いで訊かれる。
「いえ、そういうわけではないんですけど……。湊先生に注意しなさいって言われたので……」
「出所は湊ちゃんか……」
秋斗さんは、「まいったな」と頭を掻いた。
「今回は本当に仕掛けなし。どう?」
「……でも、いただきものばかりで申し訳ないです」
一番はこのバイタルチェックのバングルだ。
「じゃぁさ、またあのクッキー焼いて?」
クッキーって……この間のフロランタンのこと?
「スライスアーモンドが乗ってるやつ。あれ、すごく美味しかったから」
「……ストラップを頂かなくても、あれくらいいつでも焼いてきますよ?」
「それじゃ意味がないよ。僕がストラップをあげるための口実なんだから」
なんだか腑に落ちない気もしたけれど、あまり気にするのはやめよう。
話している途中で始業チャイムが鳴り、私はローテーブルに移動し、秋斗さんはパソコンを稼動させて仕事を始めた。
今日から世界史の問題集に手をつける。
バスタイムや授業の空き時間に何度も教科書と参考書を読んだ。
覚えるのを拒否したくなるよう長い首都名や、口が回らなさそうなカタカナも何度も書いた。
それらを試すための問題集――。
未履修分野の試験は中間考査の午後に、と考えている。
中間考査の間は午前中四時間、四教科の試験で終わる。それが三日間。
うちの学校は中間も期末も関係なく全教科のテストが行われる。ただ、芸術選択だけは期末考査でのテストしかない。
それはテスト期間にその時間が振り分けられているわけではなく、普通授業の時間に実技試験を受けることになる。
テスト期間の午後はとくに予定もないし、どちらにせよ夕方までは蒼兄を待たなくてはいけない。
だから、先生の都合がつけば、その時間に未履修分野のテストを終わらせてしまおうと思っていた。
問題は苦手科目。
世界史と英語と古典。
とりあえず、これから問題集を解いてみて、手ごたえを確かめる予定。
数学と違い、計算をする工程が入らない分、内容さえ頭に入っていれば昨日ほどの時間は要しないはず。
どのくらいの時間で解けるか、というのもひとつのポイント。
テストにかける時間は決められてはいない。
五十分以内で解かなくてはいけない、という縛りがあるのみ。
今、目の前にある問題集は一冊三十ページほど。しかも、数学ではほとんどが計算問題で埋まっていたのに対し、こちらは文章問題の穴埋めが主なので、問題量は少ないはず。
今が八時半。三時間でどこまで解けるか――。
よしっ。
心の中で気合を入れ、心してページをめくった。
まだ、ひとりで電車通学、というのは実現していない。
やってみたいとは思う。でも、いざとなるとチャレンジする勇気が出ない。
トライするなら土曜日の帰りかな、とかプランを考えないわけではない。でも、テスト期間に倒れたら、と考えると実行する日はきちんと選ばなくちゃいけない気がした。
上履きに履き替え図書棟へ向かうと、図書棟前に秋斗さんが立っていた。
図書室は相変わらず写真だらけで、小路のように床が見えるのみ。それはまるで迷路のよう。
きっと、今日も放課後も生徒会メンバーが集って作業をするのだろう。
昨日聞いた話だと、いったい何枚あるのかわからない写真を今週中に千枚までに絞り、翌週から広報委員が加わって六百枚に絞るのだという。
それなら最初から広報委員も一緒に仕事をすればいいのに、と思っていたら、「それじゃダメなのよ」と里見先輩が教えてくれた。
「表に出しちゃまずいような写真も中には紛れていたりするから、それをピンはねするのも仕事のうち。まずい写真は大人数にさらすものじゃないでしょ?」
言われて納得。
「それに、これだけの枚数だからね……。広報委員の入るスペースなんてないのよ」
と、荒川先輩があたりを見回して「最悪」って顔をした。
確かに……生徒会メンバーですら小路しか歩けない状態なのに、そこへ広報委員が入るスペースなどない。
じゃぁ場所を変えれば……なんて言えないくらいの分量に、ここでの作業が妥当だと思わざるを得なかった。
仕事部屋に入ると、
「まずはお茶にしようか」
秋斗さんに言われて私が淹れることにした。
時間はまだ八時を回ったところなので始業時間ではない。
あと三十分ほどはのんびりできる。
そこまで考えて、「あれ?」と思った。
私が早く来ているから秋斗さんも早いのだろうか……?
「秋斗さんのお仕事は何時からなんですか?」
「ん? 始業時間は九時だけど?」
「もしかして、今日も昨日も早くにいらしてくださってたり……しますよね」
秋斗さんはクスリと笑う。
「少しだけね。でも、家は近いから気にしなくていいよ」
「すみません……」
ここに通ってくるのも今日が最後なので、謝ることしかできなかった。
「翠葉ちゃんはさ、そういうところには気づくのにそのほかは色々と鈍いよね?」
「え……?」
「いや、こっちの話。……君のアンテナがどの辺についていて、どんなことに反応するのかはちょっと興味がある」
「……意味がわからないです」
「うん、わからなくていいよ」
「それはなんだか面白くないです……」
むぅっと頬を膨らませると、さらに笑われた。
「あ、そういえば……昨日初めて知りました。バイタルチェックの受信側のシステム?」
昨夜、蒼兄から見せてもらって携帯の話をする。と、
「あぁ、これね」
秋斗さんは自分の携帯を見ながら答えた。
「それ、私の携帯でも見られるようにできますか?」
「できるけど……?」
「……お願いしてもいいですか?」
自分自身が血圧や体温を知ることができれば、もう少し色んなことを回避できる気がした。
「いいけど……急にどうしたの?」
「……ただ、そのほうがもっと自分が自分に気をつけられる気がするから……。今の状態だと、全部人任せみたいな気がして……」
「……そんなことはないんだけどね。でも、翠葉ちゃんが望むなら設定するよ」
秋斗さんに携帯を渡すと、携帯を手にした秋斗さんは不思議そうに携帯を眺めていた。
「どうかしましたか?」
「いや、女子高生らしからぬ携帯だと思って」
その返答の意味もわからない。
携帯に女子高生らしいってあるのだろうか……。
「最近の子はさ、デコレーションでこってこてにしていたり、ストラップがじゃらじゃらついていたりするじゃない?」
……そう言われてみれば、飛鳥ちゃんの携帯はラインストーンで豪華に彩られていたし、希和ちゃんの携帯にはぬいぐるみのキーホルダーのようなものがいくつもついていた。
桃華さんはシンプルなラインストーンが虹色にグラデーションになっているものをつけている。
「そう言われてみると……そうですね?」
まるで他人事のように答える。
「ストラップ、僕がプレゼントしたら使ってくれる?」
笑顔で訊かれ、私は秋斗さんをじっと観察する。
「ねぇ……この間は何かな。……いや、訊かなくてもなんとなくはわかるんだけど……」
「いえ、あえて訊きます。何か仕掛けつきですか?」
「くっ……やっぱりか……。いいえ、もう仕掛けはしません。ねぇ、僕って実は結構信用なくしてる?」
苦笑いで訊かれる。
「いえ、そういうわけではないんですけど……。湊先生に注意しなさいって言われたので……」
「出所は湊ちゃんか……」
秋斗さんは、「まいったな」と頭を掻いた。
「今回は本当に仕掛けなし。どう?」
「……でも、いただきものばかりで申し訳ないです」
一番はこのバイタルチェックのバングルだ。
「じゃぁさ、またあのクッキー焼いて?」
クッキーって……この間のフロランタンのこと?
「スライスアーモンドが乗ってるやつ。あれ、すごく美味しかったから」
「……ストラップを頂かなくても、あれくらいいつでも焼いてきますよ?」
「それじゃ意味がないよ。僕がストラップをあげるための口実なんだから」
なんだか腑に落ちない気もしたけれど、あまり気にするのはやめよう。
話している途中で始業チャイムが鳴り、私はローテーブルに移動し、秋斗さんはパソコンを稼動させて仕事を始めた。
今日から世界史の問題集に手をつける。
バスタイムや授業の空き時間に何度も教科書と参考書を読んだ。
覚えるのを拒否したくなるよう長い首都名や、口が回らなさそうなカタカナも何度も書いた。
それらを試すための問題集――。
未履修分野の試験は中間考査の午後に、と考えている。
中間考査の間は午前中四時間、四教科の試験で終わる。それが三日間。
うちの学校は中間も期末も関係なく全教科のテストが行われる。ただ、芸術選択だけは期末考査でのテストしかない。
それはテスト期間にその時間が振り分けられているわけではなく、普通授業の時間に実技試験を受けることになる。
テスト期間の午後はとくに予定もないし、どちらにせよ夕方までは蒼兄を待たなくてはいけない。
だから、先生の都合がつけば、その時間に未履修分野のテストを終わらせてしまおうと思っていた。
問題は苦手科目。
世界史と英語と古典。
とりあえず、これから問題集を解いてみて、手ごたえを確かめる予定。
数学と違い、計算をする工程が入らない分、内容さえ頭に入っていれば昨日ほどの時間は要しないはず。
どのくらいの時間で解けるか、というのもひとつのポイント。
テストにかける時間は決められてはいない。
五十分以内で解かなくてはいけない、という縛りがあるのみ。
今、目の前にある問題集は一冊三十ページほど。しかも、数学ではほとんどが計算問題で埋まっていたのに対し、こちらは文章問題の穴埋めが主なので、問題量は少ないはず。
今が八時半。三時間でどこまで解けるか――。
よしっ。
心の中で気合を入れ、心してページをめくった。