微笑みと共に、世界は眠る
――ああ、あれは、彼じゃない。カンナじゃない。
一歩、また一歩と、彼女は後ずさる。
あれはカンナの姿をした、まったく別の者。
廃家の壁に背が当たり、そのままずるずると地面に座り込む。悲しげに笑い、紫紺の空を見上げた。
「……本当に、世界は残酷ね」
( 君は、何も悪くない )
もう、彼はいない。優しかった彼は、もうどこにもいない。
( 〝カンナ〟――それが、俺の名前だよ )
そっと、首に触れる。
ああ、彼は本当に、消えてしまった。唯一見つけた、最後の希望なのに。
( 俺は君の、味方だから )
脳裏で響く、優しい声。少女は静かに立ち上がった。
廃れた街中を、白銀の髪を靡かせ一人進んでいく。立ち止まってしまえば、今この世界に存在するのは自分だけかのような孤独に襲われてしまうだろうと、彼女は呆然と思った。
見慣れた廃墟ビルが目に入る。中は相変わらず薄暗かった。
そこでは心地良いそよ風を感じることがなければ、瞳に映る鮮明な景色を見ることもない。
立ち止まってしまえば音すらも消え、そこはまるで無の世界となる。
そうなってしまわないように、目の前に広がる暗闇の中、彼女はひたすら階段を上がり続けた。
錆びれた扉のドアノブをおもむろに回し、古びた音を立てながら、扉を開ける。
吸い込まれるように流れ込んできた風が、髪を靡かした。
「――……」
壮大に広がる空と、閑散とした街並み。
青の掛かった翡翠色の瞳に、それは鮮明に映る。気が付くと、唇を噛み締めていた。
目を据え、彼女は前に出る。
刹那、〝責任感〟と〝罪悪感〟が、少女の心に襲い掛かった。それでも彼女は、歩むのをやめない。
一段上がっているところにのぼり、そこでようやく立ち止まる。
――歪んだ世界を見つめ、少女は小さく笑った。
両腕を広げ、彼女は紫紺の空を見上げる。世界が、彼女を見つめた。
笑みを崩さず、少女は言う。切なげに言う。
「さあ、彼が愛したこの瞬間(トキ)と共に、もう眠りましょう」
疼く心に、〝世界〟の核に、そっと手を添える。
緩やかな風が頬を優しく撫で、白銀の髪を靡かせた。それを感じ、彼女は微笑む。
「さようなら、私の世界」
そして少女は、紫紺の空に身を投げた。