微笑みと共に、世界は眠る



陽は沈み、空は次第に紺碧となっていく。冷たい風が、吹いた。

「暗くなってしまう前に戻ろう。体も冷えてしまう」

彼は少女の手を握り、扉へと歩きだす。彼女は手を振り払うわけでもなく、静かにそれに従った。

「どうして、さっきの話を俺に話そうと思ったんだ?」

「……さあ、どうしてかしらね。私もよくわからない。でもなぜか、話そうと思ったの」

この環境の中で生きてきて、自分とは全く関係のない人にでも、優しさを持てる。そんな人、此処にはもうほとんどいない。
だからこそ、彼の涙の理由を聞いた時、嬉しかった。少しだけでも、安心できた。まだ、いたのだと。

けれどその彼は、異常者。

「……異常者は、可哀想ね」

「その〝イジョウシャ〟って、一体何なんだ?」

きっと聞いても、君は教えてくれないだろうけど。

「――私のことを、覚えている人よ」

「……え?」

思わず青年は足を止める。階段だったために、彼の方が少女よりも一段下にいた。
彼女を見上げるが、薄暗くてよく表情は見えない。

またも言われた意味深な言葉にもだが、それより青年は彼女が答えたことに驚いていた。

しん、と静けさが二人を包む。突然、少女は繋いでいる手を引っ張るように下り始めた。

「あ、おい」

そこから先の言葉は出なかった。それは暗闇にも慣れ、先ほどよりも辺りが見やすい分、彼女の後姿がどこか寂しげだと感じたために。

「……夜がくる前に、早く帰りましょう」

無意識に、繋いでいる手に力が入る。

――ああ、悲哀なる異常者。私に、目をつけられてしまうなんて。

少女の瞳が潤んでいることを、彼が知ることはなかった。



< 30 / 122 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop