君に届くまで~夏空にかけた、夢~
「顔はね。確かにすっげ可愛いんだけど。気性の荒さが半端ねえんだな、これが」


恐ろしいったらもう、と菊地先輩はげらげら笑った。


「そうなんですか」


「おうよ」


「そんなふうには見えませんけど」


「何言ってんだよ」


と、菊地先輩は脇にペットボトルをゴンと叩きつけるように置いて、


「見ろ、これ! ひでえだろ!」


と練習着の袖をまくり上げ、筋肉質の右肩をずいっと突き出した。


顔を近づけて、ぎょっとした。


「うおっ……どうしたんすか、これ」


菊地先輩の肩には3本のひっかき傷がくっきりと刻まれていて、ちょうどかさぶたになりかけの生々しいものだった。


猫の爪ならまだ可愛い。


まるで野生の熊に一発ざっくりと引っかかれたような、深い傷跡が痛々しい。


「先週な、ちょっとケンカして。ひと思いにがりっと」


右手でひっかくジェスチャーをして、彼はイヒイヒ笑った。


「まあ、いつまでもうだうだ悩んでたおれが一番わるいんだけど。あいつのおかげで目が覚めた。まあ、感謝してるよ、おれのプリティーな珍獣には」


いや、怪獣か、と口では冗談全開なのに、その顔は完璧に引きつっている。


「時々、嫌になったりしないんですか。例え彼女だとしても、ケンカしたりすると疲れたり、嫌んなったりしないんすか」


「そりゃあ、まったくならないって言ったらやっぱ嘘になるし、別れた方がいいのかなとか、弱気になる時くらいあるよ」


菊地先輩は言い、スポーツドリンクをひと口飲んで、ぎゅっとキャップを閉めた。


「でも、別れねえ。千夏とだけは別れたりしないんだと思う」


その時、芝生を転がるような低飛行する夜風が吹いて、月が半分、雲に隠れた。


ずっとずっと遠くで、犬の遠吠えが聞こえる。


「だって、好きだからしょうがねえよな。惚れた方の負けだよ」


おれは驚いてしまった。


「最初なんて、まったく相手にしてもらえなかったんだぜ」


「えっ! 先輩が告られたんじゃないんですか?」


「あほう。おれが一方的に好きになって、おれが告ったんだ」


てっきり、惚れたのも告白したのも、彼女の方だと思っていたから。


驚いた。
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