君に届くまで~夏空にかけた、夢~
「あの……鞠子……」


おそるおそる声を掛けると、


「……しゅっ!」


大粒の目をさらにぎょっとさせて、


「嘘! 何で! 最悪!」


顔を真っ赤に沸騰させ、菊地先輩を突き飛ばした。


「帰って下さい!」


そう吐き捨てた鞠子は玄関に飛び込んで、乱暴にドアを閉めてしまった。


「鞠ちゃん! 待ってよ、おれたちの話聞いて」


慌てて、菊地先輩がドアを叩く。


「ごめんなさい! 帰って下さい!」


「鞠ちゃん!」


「何? ふたり揃って! バカにしないで!」


「違うよ、そういうんじゃないんだって! 鞠ちゃん!」


「あの、菊地先輩」


何度もドアをノックし続ける先輩の手を捕まえると、


「おれに話させて下さい」


先輩は声には出さずにこくりと頷いて、おれに譲ってくれた。


そして、ただ一度だけおれの背中をぽんと弾くように押して、門扉の外に出て行った。


ひとつ、深呼吸をして、辺りを見渡す。


なんて雑雑としていて、寂しげな空間に鞠子は住んでいるのだろう。


「鞠子」


覚悟はしていた。


返事が来ない事くらい、想定内だった。


「突然、押し掛けるような真似して、ごめん。けど、やっぱ直接伝えておきたくて。本当にごめん」


返事はない。


でも、このたった一枚のドアの向こう側に鞠子が居る事はすぐに分かった。


かたっ、と小さな物音がしたからだ。


ごめん、と先に謝ってから、おれは話し始めた。


「おれ、デリカシーとかなくてさ」


帽子を取って、真っ白なドアに一礼した。


ごめん、鞠子。


なぜか、胸の奥のそのまた奥の隅っこの辺りがぎゅうっと締め付けられた。


「鞠子の気持ちは、本当に嬉しかったんだ、おれ」


返事はやっぱり、ない。


それでも、おれは続けた。


返事がなくても聞いてもらえるだけで、それだけでも幸せな事だと思った。


何より、今のおれの気持ちを伝えたかった。


「でも、今は誰かを好きになるとか、付き合うとか。考えられない。頭がおかしくなるくらい野球に没頭したい」


ごめん、とうつむきかけた時、ドアの向こうでさっきより明らかに大きな物音がして、とっさに顔を上げた。
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