君に届くまで~夏空にかけた、夢~
「おれは野球しに桜花に来たんすよ! 恋愛しに来たわけじゃねっす!」


へらへらしていた菊地先輩も、きゃらきゃら笑っていた鞠子も、落雷を受けたかのようにぴたりと動きを止めた。


「付き合ってないっす! んな事にうつつ抜かしてるような余裕なんてねっす!」


んな事に時間割いてる余裕なんかないっす、そう言った瞬間、2日ぶりに菊地先輩と目が合った。


「……言うねえ。つうか、お前さ、もっとこう言い方ってのが」


あるだろうよ、と先に目を反らしたのは、菊地先輩だった。


「な……なあ、鞠ちゃん……やだねえ、こういう石頭は」


と菊地先輩が口元を引きつらせながら、鞠子を見つめる。


どういう意味なのか分からなかった。


苦笑いする菊地先輩の視線の先には、茫然とする鞠子が居た。


「あ……そうだよ……やだ、そうですよ」


鞠子は掴んでいたおれのユニフォームをぱっと離して、


「恋だの愛だの、そんな事言ってる場合じゃないですよ! ほ、ほら、来月は大切な秋季大会ですよ。勝って、東北大会行かなきゃ!」


とぎくしゃくしたぎこちない笑顔でおれから離れた。


「春の選抜がかかってる大切な試合だもん……ねえ」


語尾が車の蛇行運転のようにグダグダの鞠子の声が、夜に吸い込まれて行った。


重く、じっとりとした沈黙がおれたちをまるまると包み込む。


「あっ……じゃあ、わたし、帰る。また明日」


お疲れ様でした、とぺこんと頭を下げて、鞠子は逃げるように駆け出した。


「あ、おい、鞠子!」


呼び止めても、鞠子は振り向かなかった。


一目散に、真っ暗な小道を走って行った。


走り去る鞠子の着ていたポロシャツの背中に刺繍されている【桜花大附】が、やけに大きく見えた。


「おいおい、あれはちょっと無かったんじゃねえの?」


奥歯に物の挟まった言い方をした菊地先輩が、おれの肩を叩いてグラウンドの方へ歩き出す。


「鞠ちゃん、かわいそう」


「何がですか! 意味が分かんないっす!」


菊地先輩、とその背中を呼び止める。


いつ見ても、でっかい背中だ。


「どこ行くんですか!」


それでも、菊地先輩はすたすた歩いて行く。

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