本編 そんな簡単に、言うこと聞いてくれないでしょ?
 言いながら、頬に柔らかなキス。無断の強引なキスに驚いて、右手をすぐにその頬に当て、顔を上げた。
「引っかかった」
 彼の笑う口が見えたなと思ったら、唇が重なっていた。
 優しい、触れるだけのキス。
 するだけして満足したのか、彼はすっと手を離して引き、元のシートの位置まですぐに戻る。
「君……何?」
 こんなことくらいで攻め立てては、こっちが経験不足だと思われそうと思いながらも、右手の頬を手で押さえたままで聞いた。
「好きだからに決まってるでしょ」
 前を見たまま答える彼に、どう対処すれば分からなくて、
「…………決まってって、でもあの、順序とか色々あって……。とにかく、キスだけしたいなら私はやめて」
 「だけ」という言葉を意識してしまう自分を制しながら、はっきりと言った。
「そんなつもりじゃないから、徐々に落としますよ」
 軽々しく吐きながらギアをバックに入れる姿に、眉間に皴を寄せた。一体どんなつもりなんだと、溜息をついて座り直す。
「他の人の者だったとしても、あんまり関係なかったな」
 言葉の重みがなっていない。冗談だと確信し、怒りを鎮めようか露わにしようか迷っているうちに、彼は私が座るシートの肩に手を乗せ、バックで駐車スペースから出はじめた。
「何です?」
 不信な顔をして見られていることにようやく気付いた彼は、その恰好のまま停止した。
「冗談言う相手、間違ってるわよ」
 こちらが真剣に怒っていると思われるのも嫌なので、無意味にもう一度座り直した。
「だから真剣に言ったら、最初から引いて話聞いてくれないでしょーが」
 再びアクセルに力を入れ、車はバックに動き出す。
「これでも作戦練って、口説いてるんですよ」

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