絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅳ
 盗まれる化粧道具、隠される私服、逆に、見せしめのようにテーブルに並べられる予備下着。それだけではない。客を取られたこと、客の前で恥をかかされたこと、ホテルでアフターをするよう仕組まれたこと……。きりがない。
 だが、香月がそのことで精神的に追い込まれるようなことはなかった。そもそも、ホステスになりたかったわけではないし、ナンバーワンを目指しているわけでも、誰かを蹴落としたいわけでもない。あくまでも、二千万を返すということが目的であったからだ。
 ただにこにこと笑顔で笑って酒を注ぎ、朝方まで水野に抱かれる日々。その絶え間ない屈辱の中で、自分を維持していくことが無理になり、簡素化されたせいで、なんとかうまくいっているのだろう。
 その日、新しい靴のせいで靴擦れをし、ほんの数分脱いだだけの間に靴を片方どこかに隠されてしまった。履ける靴はもう片方のハイヒールだけ。初めて気づいた。靴は片方だけあっても、機能しない。
 数分迷って、靴はとりあえずロッカーにしまい、バック片手に裸足で帰ることにした。自分が主役、の銀座の街では他人が裸足で歩いたって、誰も何も思わないだろうし、そんなことにも気づかないだろう。
 しかし、外に出てから気づいた。空は雨。手にはバックのみ……。外まで出る間に既に、足の裏が痛かったせいで、もう一度店内に戻り、傘を取って来る気になれなかった香月は、そのまま濡れて帰ることにした。
 すれ違う人は皆、もちろん傘をさしており、暗い中、彼女のことを気にする者など誰もいない。
 5月の終わりだが、蒸し暑いわけでもなく、十分冷たいと感じた。ああ、生きているんだと思えた。
 真っ直ぐ家に帰ればいいのに、ふらつきながらも、アクシアの前に来てしまった。香月が勤める店と同じくらい有名な会員制クラブ。巽が手にしていたものは、香月からは見えなかっただけで、どれほども大きかったのだ。
 高級クラブでは夜毎何百万も使い果たす客で溢れる。アフターでも更に、ただの余興に数十万使って見せる客もいた。巽とはまた違う、豪快な金の使い方を初めて知った香月にとって、巽が見せてくれていたものが、基準になっていることを知り、実際彼は稀な成功者であることを実感したのだった。
 それに比べて、自分は二千万の借金を返そうと、毎日千円から頑張って金額を上げていくホステス……。今までそんなこと、気にしたこともなかったが、身分違いも甚だしかった。
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