エスメラルダ
 夜会の流れを見守りながらフランヴェルジュは唇に笑みをたたえていた。
 機嫌が悪いのである。
 そういう時こそ明るい顔をしていなければならないと徹底的に叩き込まれた所為で、フランヴェルジュはその美しい顔の眉間に皺すら寄せない。
 ブランシールが隣にいる事が救いだった。
 ブランシールはレーシアーナに追い払われるようにして、今、フランヴェルジュの隣にいるのだった。
 レーシアーナ曰く、「国王陛下の晴れの席に弟たる貴方様がいらっしゃらないのは精彩にかけますわ。どうぞ、わたくしにご遠慮なく。わたくしは一人で手配出来ますゆえに」との事だったが、ブランシールは自分が邪魔者のような気がその時既にしていたので、さっさと逃げだし兄の隣に来たのだ。
 それにしても兄上はどうなさったか?
 気にすまいと思いつつも、生まれた時からといっても良い位に兄に心酔し、そして全てを求めた事実はそう簡単に消えない。習慣のようになっているのかもしれないとブランシールは苦笑をかみ殺した。
 きっと、僕が生きている間は、兄上の事が気にならなくなる日はこないであろう。
「兄上、表情筋が強張りますよ」
 玉座の左横に立っていたブランシールがそっと兄に耳打ちする。
 フランヴェルジュはしっしと手を振った。
「もうがちがちに固まっているんだ。今更どうにもこうにもしようがない」
「何がつまらないんです?」
「いや、全部」
 夜会というだけあって飲み物は全ての客に行き渡り、人々は音楽にあわせダンスを楽しんでいた。
 尤もこの夜会は昼間のパーティーとは違いメルローアの貴族達しか出席していない。
 傍流の王族も雑じっており、人々はアクシデントに見せかけた恋の駆け引きを楽しんでいる。
 だが、フランヴェルジュはそんな光景に飽きてしまった。
 何故自分の生誕祭なのに自由に厠に行くことも許されないのか?
「もうそろそろかな」
 フランヴェルジュはぼそりと呟いた。
 見計らうタイミング。人々の熱意は最高潮。
 そしてこれから慈善事業を行うのである。
 これはメルローア建国以来、国王の生誕祭には必ず行われる事であった。
 何のことはない。踊っている男女の間を、給仕が銀の籠を持って歩くのである。
 客人は、その姿を見ると、身に着けていた宝石などをその籠の中に投げ入れるのだ。
 その利益は孤児院や施療院に割り振られる事になっている。
 そしてたっぷり歩いた給仕達が銀の籠を重そうに運んでくると玉座の足元に置いた。
 フランヴェルジュが立った。
 音楽が止まり、集る貴族たちは皆、国王の言葉を待つ。
「余が王に成って初めての生誕祭にこれ程の善意が寄せられた事、世は嬉しく思う。メルローアに光あれ!」
「「メルローアに光あれ!!」」
 人々は一斉に叫んだ。籠は十だったが、どれも宝石などで溢れんばかりだ。
 フランヴェルジュは母の影響で特に慈善事業に関心が強い。だから本当に有難かった。
 人々は、フランヴェルジュの次の言葉を待つように彼を見詰める。だがフランヴェルジュには何もない。
 その時、扉が開いた。エスメラルダである。
「余は」
 何というタイミングで現れる事だろう! フランヴェルジュの婚約者は!!
「余の婚約を今日の善き日に皆に伝えん」
 会場内が凍りついた。
 エスメラルダも硬直する。
 目立たないようにそっと入ってきたつもりの彼女はフランヴェルジュと目が合ってしまい笑うしかなかった。
「皆に紹介しようと思う、エスメラルダ・アイリーン・ローグ。此方へ」
 エスメラルダはそっと足を進めた。人の波が割れる。そこを、エスメラルダは顎を引き、堂々と歩いて見せた。まさしく、王妃に相応しい風格であろう。
「陛下にこれを」
 玉座の壇の下でエスメラルダは腰を折り、お辞儀した。そして水晶がはいった袋と書簡箱を献上する。
「ローグ家の娘の醜聞は余も伝え聞いておるところ。しかし、神はそのような醜聞は全くのでっち上げであると証言なされた。見よ、この全き水晶を」
 人々のざわめきは消えない。
 フランヴェルジュはエスメラルダを壇上に招いた。エスメラルダは恥ずかしそうに従う。
「余が隣に座するはこの娘以外おらず」
 フランヴェルジュは笑った。今度は本物の笑みだった。
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