エスメラルダ
「メルローア国王陛下に申し上げる」
 唐突にハイダーシュがそういったのでフランヴェルジュは吃驚する。だが告げられた内容は吃驚ではすまないものであった。
「先の王妹にして貴方様の叔母上、レイリエ・シャロン・ランカスターを妻とする事をお許し願いたい。レイリエ殿は今我が宮廷におられる。何でも、かの方が仰るには、陛下に私との婚姻を反対された故に国を出奔なされたとの事。私が夫では何の不都合がありましょうや? 先程の淑女達はまだレイリエ殿が静養中だと疑っていなかったとか。ですから私は真実を話しました」
 フランヴェルジュの頭の中には『?』マークが凄まじい勢いで山のように飛び交った。
 レイリエが、生きている……!?
 そう、フランヴェルジュは未だに『真白塔』でレイリエは焼け死んだと思っていたのだった。だから、まずそこから混乱する。
「あの、貴方が仰る女性がレイリエ・シャロン・ランカスターであるという証は?」
 混乱の中で、フランヴェルジュは取り合えず考えうる事の出来る状況全てを当たっていかないといけないと判断した。
 死体の埋葬の手配などはブランシールがやった。だからフランヴェルジュは何処にレイリエ(と、つい今までフランヴェルジュが信じていた女性の遺体)が葬られているのかも知らないし、敢えて聞く事はしなかった。
 レイリエが死んだ事が外部に漏れたのだろうか。そしてレイリエという女を仕立て上げているのだろうか?
 だがその可能性は頭の中ですぐに棄却する。
 レイリエは王位継承権を放棄したのだ。利用価値など殆どない。
 では、本物のレイリエが?
 生きて?
「貴方は必ず証を求められるであろうとレイリエ殿は仰っていた。これが証になるはずだとも」
 ハイダーシュは首筋に手を突っ込むと、一本の銀鎖を取り出した。そのトップは。
「緋蝶城の鍵……!」
 フランヴェルジュは思わず大声を出していた。緋色に着色された蝶々の意匠がその証拠。
 子供の時から見慣れていたその鍵は今はこの世に一本しかない筈であった。
 エスメラルダが持っていた鍵とランカスターの鍵はアシュレ・ルーン・ランカスターの棺の中に入れられたのである。
 だが、鍵だけで全面的に信じてよいものか。
「貴方が私達の恋を邪魔なさったというので関税を上げました。本気をお見せしたくて。お許しくださるなら明日にでも、ファトナムールの輸出品はいつもの価格に戻します」
「レイリエ叔母に会いたいと思いまする。全ては……」
「なりません。あの方は陛下を恐れておいでだ。十三まで時々おねしょをしていた話を誰彼構わず喋り倒されたくなければ……」
 それは脅迫というものだろう。
 だがその事実を知る物は殆どいない。
 その話題が出た時点でレイリエである事は確定した。
 おねしょ布団の始末をしてくれていたのは母、アユリカナである。侍女たちも知らない事実だ。着替えなどもアユリカナが用意してくれた。そして恥じる事はないのだと泣いている自分にいつも言い聞かせてくれたものだ。
『フランヴェルジュは人より過敏に出来ているだけ。神経質すぎるのは良くないけれども王となるのであればそれはまた美質。他人の気付かぬところまで心、配れると言う事ですもの。おねしょはそのうち治ります、大丈夫、きっとだから』
 その事をアユリカナ以外で知っているのはアシュレ、レイリエであった。
「叔母上はご壮健であらせられるでしょうか?」
「はい、とても」
 ハイダーシュの笑みは凍るよう。
 流石は『氷姫』を妻に迎えようとする男。
 フランヴェルジュは急いで決断してしまわなくてはならなかった。レイリエが生きているという話で事を進めるか或いは……。
 隣国の金鉱は魅力的だな、とふと思ってしまい、フランヴェルジュは慌ててその考えを頭から振り払った。戦で疲弊するのは所詮民なのだ。今は群雄割拠の時代ではない。フランヴェルジュもこのメルローアを守れたらそれで満足であった。
 身に過ぎた野心は破滅の元。
 そう、教育されてきた。
「で、メルローア国王陛下。私達の婚儀を許して頂けるのでしょうか?」
 フランヴェルジュに否やが言える訳もなかった。必死で無難な言葉を選ぶ。
「反対などしていなかったのです。ただ感性の鋭い人だから誤解なされたのではないかと。どうぞ、貴方の花に加えて下さいますよう」
< 110 / 185 >

この作品をシェア

pagetop