エスメラルダ
 カスラの報告を聞き、また質問し、気付けば日付が変わっていた。
「ご免なさいね、疲れたでしょう。わたくしったら自分の都合ばかり」
 エスメラルダが謝るとカスラは首を振った。
「主を戴く身であるという事は幸せな事です。カスラの一族はエスメラルダ様の為なら何でもするでしょう。本来なら命令違反で一族郎党皆死を言い渡されたとしてもレイリエを始末すべきだったのです」
「カスラ……」
「我々の忠誠は貴女様が思っていらっしゃるようなものではないかもしれません。貴女様の望みとはまるで違う事をするかもしれません。それでも、これだけはご理解下さい。我々は貴女様を愛しているのです、エスメラルダ様」
「ええ」
 重い気分を抱えて、エスメラルダは返事をした。
 愛は感じる。だから余計辛い。
 何故そこまでしてくれるの?
「カスラ……」
 エスメラルダは隻腕の女を呼んだ。
「何でしょう、エスメラルダ様」
 エスメラルダは言いたかった言葉を飲み込む。ああ、たった一言であるのに!
『主を戴く身であるという事は幸せな事』
 その言葉を聞く前ならば言えたかもしれない一言。それとも、逃げているだけか?
「……今日はわたくしももう寝ます。お前もお休み。そして明日からハイダーシュから目を離さないで」
「は! 心得ましてございまする。……明日からはさぞかし賑やかになる事になるでしょうね」
「あら? どういう意味?」
「宮廷雀なんて可愛らしいものではありません。雀蜂の大群がロマンスの末に国を捨てたレイリエを持ち上げるでしょうね。あれだけ『氷姫』と忌み嫌っていたにも拘らず、哀れ可憐な姫君と陛下を責めるものが出てくるやも知れませぬ」
「噂好きのクソババァ共の事を忘れていたわ。思い出させてくれて有難う、カスラ。で、その場合はどう対処したら良いのかしら?」
「政治や社交の場では時として沈黙が尤も効果的です。何を言われても顔色一つ変えず、淡々とんなすべき事をなされば宜しいのです。人は時として噂陰口誹謗中傷に悩まされるが余りなすべき事もなせず、信用を失ってしまいます。常に誠実である事も大切な事です」
「有難う、カスラ。今度こそ、本当にお休み」
「は! では御前失礼致します」
 すぅっとカスラが影に溶けた、と、思うと再び現れた。
「どうしたの? カスラ」
 今までにない事にエスメラルダは驚く。
「申し訳ありません、大切な事をお伝えし忘れていました。我々は神殿には入れません」
 カスラの言葉にエスメラルダは驚いた。カスラが入ってこられないところがあるだなんて!? 何故!?
「何故なの?」
「結界が張ってあるのです。マーデュリシィの結界を超える力は、残念ながら我々には」
「でももう神殿に行く事なんてないと思うわ。わたくし達の結婚式までは。だから大丈夫よ」
「そうだと宜しいのですが。くれぐれもお気をつけ下さいまし」
 そう言うと今度こそカスラは影に溶けた。
 エスメラルダは少しばかりその影をじっと凝視する。
 目が痛くなるまでそうしていたが、やがて何度か瞬きを繰り返し、独り言を呟く。
「明日はアユリカナ様との時間を何としてでも設けないとね。アユリカナ様なら他の事も知っていらっしゃるかもしれないもの」
 エスメラルダはそのまま寝台の布団に倒れこんだ。
 結婚式って忙しいものなのね。
 わたくしの時はどうなるのかしら?
 そこでエスメラルダははたと気付く。
 婚約はした。
 だけれども何時結婚するのだろう?
 これも明日確かめなければならないわ。
 何て忙しい一日!
 泥のように疲れていた身体は貪欲に眠りを要求してきた。そしてそのままエスメラルダを飲み込んだ。


 レイリエとハイダーシュの婚姻は二月十九日、レイリエの強い要望でエスメラルダの誕生日に行われた。
 その日、フランヴェルジュはエメラルドの指輪をエスメラルダに贈り、彼女を正妃と迎えるという正式文書を発表、式は四月十日と定められた。
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