エスメラルダ
第十六章・血族の予言
神殿の中では常に見張られているような気がして、レイリエは落ち着かなかった。
与えられた部屋は神殿の内部。
『かつての王族』でしかないレイリエは城の中に部屋を与えられる事は無かった。
神殿内での接待は賓客に与えるものとしては最高のものであるので文句も言えない。
『生まれ育ったお城にお部屋を頂けないかしら?』
そう、レイリエは勿論言ったのだが。
それにして清浄な空気とやらはレイリエと相性が悪い。魔法に満ちた清らかさ。
肌がぴしぴしとするのだ、静電気に触れているような気分だ。
嫌な気分。
折角メルローアにとどまることかなったというのに、レイリエは此処でも籠の鳥だった。
いや、まるで囚人と言い換えた方が良いかももしれぬ。
部屋から一歩出る時も誰かが付き従った。
部屋の中には巫女がいた。
あと五日。
レイリエが此処に身を寄せてはや五日になる。
後五日で、エスメラルダとフランヴェルジュの華燭の典だ。
「お前、爪を磨きたいの。道具を持ってきて頂戴」
レイリエは巫女に用を言いつけた。
巫女は隣の部屋からすぐにオレンジウッドのスティックやらやすりやらが入った小さな籐の箱を持ってきた。
「有難う」
「いえ、ファトナムール王太子妃殿下」
巫女は深々と腰を折るが、レイリエはその巫女を見やりもしない。名前を尋ねようともしない。
ただ、籐の箱の中から爪やすりを取り出して無心に磨く。
頭の中は忙しく、状況を見ていた。
空間転移を使って此方に使わされてきた第二の使者が告げるには───ハイダーシュ出立後に到着したのだが───ファトナムールを襲ったのは自然の嵐だったらしい。
政争でもなんでもない事に、レイリエは正直がっかりした。
国の中で足の引っ張り合いでもしていてくれたなら良かったのに。
そう考えるレイリエの脳裏には家を流されたり蓄えを台無しにされた民草の事はちらりとかする事もしなかった。
レイリエにとって民草とは、彼女のポートレイトを買い、彼女をあがめ、彼女の為に働いてくれるものであり、それ以上では決してないのである。
だから、思考には浮かばない。
戦争をとめる事は不可能なのかしら?
レイリエはそう思って絶望的な気分になった。
彼女の脳裏には民草の被害が甚大だったから戦争が取りやめられるという発想はない。
その考え方ははレイリエがさして賢くない女であるというだけでなく、当時のスゥ大陸における一般市民の地位の低さにも起因する事であろう。
ふぅ、と、レイリエは爪に息を吹きかけた。
メルローアで暮らしていた頃は自分で爪を磨いた事など無かった。侍女の仕事だった。ファトナムールの野暮ったさについてレイリエは真剣に考える。
まぁ、此処でわたくしが自分で爪を磨くのは神殿という場所柄を考えたらそうおかしくないわ。
戦争の事について考えていたかと思うと爪の事に思考が飛ぶ。レイリエは落ち着かない。
その時、巫女が悲鳴を上げた。
「きゃあああああ!!」
「五月蝿いわね!! どうしたっていうの!?」
言いながら、レイリエはやすりを取り落とした。肌に感じていた静電気のようなものが、不意に消えたのを感じる。
神殿中がすさまじい騒ぎに包まれていた。
何があったのだろうとレイリエは思う。
まさかもうファトナムールが攻め込んできたのだろうか?
恐怖は無かった。ただ何が起きているのだろうかと思うのみである。
「お前、魔法が使えるのでしょう? 落ち着きなさい! 落ち着いて、何があったかいいなさい!! 解らなかったら魔法で調べるのよ!!」
レイリエの言葉に巫女は震えるのみだったので、レイリエは立ち上がると踵を鳴らして巫女に近づき、平手打ちした。
ぱしん! と乾いた音。
その時、扉が開いた。
顔を覗かせたのはブランシールだった。
与えられた部屋は神殿の内部。
『かつての王族』でしかないレイリエは城の中に部屋を与えられる事は無かった。
神殿内での接待は賓客に与えるものとしては最高のものであるので文句も言えない。
『生まれ育ったお城にお部屋を頂けないかしら?』
そう、レイリエは勿論言ったのだが。
それにして清浄な空気とやらはレイリエと相性が悪い。魔法に満ちた清らかさ。
肌がぴしぴしとするのだ、静電気に触れているような気分だ。
嫌な気分。
折角メルローアにとどまることかなったというのに、レイリエは此処でも籠の鳥だった。
いや、まるで囚人と言い換えた方が良いかももしれぬ。
部屋から一歩出る時も誰かが付き従った。
部屋の中には巫女がいた。
あと五日。
レイリエが此処に身を寄せてはや五日になる。
後五日で、エスメラルダとフランヴェルジュの華燭の典だ。
「お前、爪を磨きたいの。道具を持ってきて頂戴」
レイリエは巫女に用を言いつけた。
巫女は隣の部屋からすぐにオレンジウッドのスティックやらやすりやらが入った小さな籐の箱を持ってきた。
「有難う」
「いえ、ファトナムール王太子妃殿下」
巫女は深々と腰を折るが、レイリエはその巫女を見やりもしない。名前を尋ねようともしない。
ただ、籐の箱の中から爪やすりを取り出して無心に磨く。
頭の中は忙しく、状況を見ていた。
空間転移を使って此方に使わされてきた第二の使者が告げるには───ハイダーシュ出立後に到着したのだが───ファトナムールを襲ったのは自然の嵐だったらしい。
政争でもなんでもない事に、レイリエは正直がっかりした。
国の中で足の引っ張り合いでもしていてくれたなら良かったのに。
そう考えるレイリエの脳裏には家を流されたり蓄えを台無しにされた民草の事はちらりとかする事もしなかった。
レイリエにとって民草とは、彼女のポートレイトを買い、彼女をあがめ、彼女の為に働いてくれるものであり、それ以上では決してないのである。
だから、思考には浮かばない。
戦争をとめる事は不可能なのかしら?
レイリエはそう思って絶望的な気分になった。
彼女の脳裏には民草の被害が甚大だったから戦争が取りやめられるという発想はない。
その考え方ははレイリエがさして賢くない女であるというだけでなく、当時のスゥ大陸における一般市民の地位の低さにも起因する事であろう。
ふぅ、と、レイリエは爪に息を吹きかけた。
メルローアで暮らしていた頃は自分で爪を磨いた事など無かった。侍女の仕事だった。ファトナムールの野暮ったさについてレイリエは真剣に考える。
まぁ、此処でわたくしが自分で爪を磨くのは神殿という場所柄を考えたらそうおかしくないわ。
戦争の事について考えていたかと思うと爪の事に思考が飛ぶ。レイリエは落ち着かない。
その時、巫女が悲鳴を上げた。
「きゃあああああ!!」
「五月蝿いわね!! どうしたっていうの!?」
言いながら、レイリエはやすりを取り落とした。肌に感じていた静電気のようなものが、不意に消えたのを感じる。
神殿中がすさまじい騒ぎに包まれていた。
何があったのだろうとレイリエは思う。
まさかもうファトナムールが攻め込んできたのだろうか?
恐怖は無かった。ただ何が起きているのだろうかと思うのみである。
「お前、魔法が使えるのでしょう? 落ち着きなさい! 落ち着いて、何があったかいいなさい!! 解らなかったら魔法で調べるのよ!!」
レイリエの言葉に巫女は震えるのみだったので、レイリエは立ち上がると踵を鳴らして巫女に近づき、平手打ちした。
ぱしん! と乾いた音。
その時、扉が開いた。
顔を覗かせたのはブランシールだった。