エスメラルダ
武官達に連れられて『誓句の間』についたフランヴェルジュは、すぐさま、今日の喜びを表現してみせた。
後世の歴史に、吟遊詩人もかくやと言わしめた、フランヴェルジュ一世一代の大演説であった。
聞いている者がこのように愛したい、愛されたいと思う演説。妬みや嫉みを産まず、強い共感だけを呼び起こしたその様は見事と言えよう。
そして、控えに下がって、フランヴェルジュは待つ。花嫁の訪れを。
『誓句の間』の舞台の上では、様々な人間が控えていたが、舞台の下、貴賓席にも様々な国からの使者がつめかけ、吃驚するような縁談や、普通では考えられないような政治協定が結ばれていたりした。
それらに、フランヴェルジュも、アユリカナとバジリルも、間諜を放ってある。エスメラルダもそうであった。神殿内での事柄にカスラは干渉できないといったが、今日この時ばかりは、結界が解かれて開放されているこの場所に忍び込む事は出来ない事ではなかった。
尤も、今日の夜明けまではカスラの一族もフランヴェルジュの間諜も神殿に足を踏み入れる事叶わなかったのであるが。
フランヴェルジュはぼんやりと待つ。
磨き上げられた胡桃材の椅子は、材料こそただの胡桃であるがその彫刻は一級のもの。
その彫刻に何とはなしにフランヴェルジュは指を添わせ、弄ぶ。
無意識の行動。心は既に此処にない。
使者同士の席次などを考え、繰り広げられている会話を想像して楽しむ事が、ブランシールの婚礼の時には出来たのだ。
だが、今のフランヴェルジュにはそんな器用な芸当が出来そうになかった。
そんなフランヴェルジュはやはり白い衣装に身を包んでいる。
花嫁と違い、装飾をダイヤでまとめるのが婚礼のしきたりだった。
王冠にあしらわれた宝石は元々ダイヤ。それ故の決まりごとなのかもしれないがフランヴェルジュは自分の格好などどうでも良かった。
君主として恥ずかしくない格好であるとだけ解っていれば良い。
そんな兄を見るブランシールの目は悲しみに満ちている。
その悲しみの理由を兄は永久に知る事がないのだと思うと、胸が痛くてたまらなかった。
痛い、痛い、痛い。
だけれども、ブランシールは巧みに心を押し隠す。今のフランヴェルジュなら、ブランシールが少々様子がおかしくても気づくはずはないだろうが、それでも、もし後で回想などで『結びついたら』……。
兄上には、愛されたい。
ブランシールはそう思うのだ。
たとえ、それが兄弟のものであったとしても、愛されたい。
大体、もうしかけはとめられないのだ。
こん、こん、とノックの音がして、フランヴェルジュが顔を上げた。
「誰ぞ?」
誰何するフランヴェルジュに答えたのは、鈴の音のようなレーシアーナの声だった。
「祝福を申し上げたく、参りました」
ブランシールの背中を電流が走り抜けた。
レーシアーナ!! いけない!!
「入れ」
「無礼に当たるぞ!!」
フランヴェルジュとブランシールの声が重なる。
レーシアーナには今の自分は見られたくないとブランシールは思うのだ。なのに。
扉の前で、レーシアーナが戸惑う姿がブランシールには見えるようだった。
フランヴェルジュは眉を寄せる。
「嫁しては夫に従うが妻の役目。しかし我がメルローアに生きるものである以上、最優先されるは余の命である。レーシアーナ、入室を許可する」
フランヴェルジュがそういい、扉の前で控えている武官達に扉を開けるよう顎をしゃくる。
なおも言い募ろうとしたブランシールを、フランヴェルジュは王者の顔で睨みつけた。
「レーシアーナの何処が無礼だ? 産褥熱が引いたばかりでまだ弱っていると言うのに、直に俺に会いに来てくれたんだぞ? ブランシール、『無礼』の意味を履き違えるな。『無礼』なのはお前だ。俺の意見も聞かず無礼と決め付けるな。何が礼儀にかなっていて何がそうでないかは俺が決めること。それをせず『無礼』と断ずる事こそ『無礼』だ」
ブランシールはすぐに頭を下げた。