エスメラルダ
「申し訳ございませんでした、兄上」
「良い」
フランヴェルジュが答えている間に、扉が開いた。滑るような滑らかな足取りで、レーシアーナは入室すると一礼する。
最大級の敬意を込めた礼に、フランヴェルジュは手をひらひらと振った。
「よい、そなたは我が義妹ぞ。そして我が花嫁の親友。余にとっての宝なり……と思っているんだな、俺は。俺も堅苦しく喋るのはやめるからそんなに腰を曲げるな。そこの椅子に座れ。まだ体が万全ではないのだろう? すまないな。こんな日程の式で。しかもお前の大事な旦那様を昨日から独占してしまっている。……しかし美しいな、赤もよく似合う」
すらすらと並べ立てた義兄に、レーシアーナはにっこりと笑って、腰を伸ばした。
そして「失礼致します」と言い、フランヴェルジュの前に座る。
ブランシールはフランヴェルジュの横に立っている。
正直、レーシアーナは夫をまともに見ることが出来るかどうか不安だった。
夫はまさか、自分の見ている夢までは把握してはおるまい。
夢、そう、みな夢なら良いのに。
だが、このやり取り自体が、レーシアーナに毎夜訪れていた夢が、正夢だと告げる。
繰り返し見聞きしたやりとり。
自分の答えも決まっている。
「陛下には……お義兄様には善き日、善き妃をお迎えになられますこと、お喜び申し上げまする」
運命を変えようなどと思ってはいけない。
自分の知っている事がフランヴェルジュにばれたら、レーシアーナの愛するもの、守りたい物は、どうなる事か想像もつかない。
「有難う、レーシアーナ」
フランヴェルジュは笑った。
「たった一言が申し上げたかったが為だけに、控えにまで押しかけて申し訳ありません」
自分と決して目をあわそうとしないブランシールを、レーシアーナは見ないように視線をそらせた。ただ、フランヴェルジュだけを見る。
「その一言が金銀宝石よりも尊いのだ、レーシアーナ。本当に嬉しい」
さっきまで惚けていたくせに、フランヴェルジュの舌の回り具合は大変宜しい。
レーシアーナは笑った。
「エスメラルダはもうすぐ参りますのね」
「予定ではな。正直、何だかそわそわするな。こんな格式ばった奴ではなく、わーっと騒いで結婚完了、みたいな形だったら良かったんだがな。王妃の座に座る為が為に、戴冠も、華燭の典の後すぐに行われる予定だし、その後はパレードだ。お前達も経験済みのアレだな。その後は夜会で、それから明日は披露宴で、それから……」
数えだすとうんざりするのを、フランヴェルジュは止められなかった。
本当に厄介だ。
それでも、それがエスメラルダと自分を結びつけるものならば。
儀式も何もかもやってやろうじゃないかとフランヴェルジュは思うのだった。例えそんなものに何の価値も見出せなくとも。
それに女性は婚礼に憧れると言う。
それゆえ精一杯豪華に、エスメラルダを迎えたいと思うのだ。
ファトナムールの王太子妃が嫉妬する位には、したい。そう考える自分は意地が悪いのだろうかとフランヴェルジュは思わないでもなかったが、都合の悪い事は彼は頭から消し去る能力を持っている。
よくそれで、『考えなくてはいけない事』をブランシールに押し付けたなと、ふと、フランヴェルジュは思った。
しかし、今更そのことについて詫びたり礼を言ったりするのも気恥ずかしい。
「お義兄様」
レーシアーナが呼びながら微笑んだ。
優しい優しいその笑みを、フランヴェルジュは生涯忘れないだろう。
「エスメラルダのお友達としての御願い事を聞いてくださいますか?」
「なんだ?」
問い返すフランヴェルジュの目を、レーシアーナは真っ直ぐに見詰める。
「エスメラルダに幸福の涙以外流させない事と、エスメラルダより先に死なない事です」
『死』という言葉にブランシールは戦いた。
「レーシアーナ! 今日は善き……」
「あい解った」
ブランシールの言葉を遮って、フランヴェルジュは返事をした。
「難しい願いではあるが、最善をつくそう」
「有難うございます」
レーシアーナは礼を言いながら、夫のほうを見やった。今度は目が合った。
「良い」
フランヴェルジュが答えている間に、扉が開いた。滑るような滑らかな足取りで、レーシアーナは入室すると一礼する。
最大級の敬意を込めた礼に、フランヴェルジュは手をひらひらと振った。
「よい、そなたは我が義妹ぞ。そして我が花嫁の親友。余にとっての宝なり……と思っているんだな、俺は。俺も堅苦しく喋るのはやめるからそんなに腰を曲げるな。そこの椅子に座れ。まだ体が万全ではないのだろう? すまないな。こんな日程の式で。しかもお前の大事な旦那様を昨日から独占してしまっている。……しかし美しいな、赤もよく似合う」
すらすらと並べ立てた義兄に、レーシアーナはにっこりと笑って、腰を伸ばした。
そして「失礼致します」と言い、フランヴェルジュの前に座る。
ブランシールはフランヴェルジュの横に立っている。
正直、レーシアーナは夫をまともに見ることが出来るかどうか不安だった。
夫はまさか、自分の見ている夢までは把握してはおるまい。
夢、そう、みな夢なら良いのに。
だが、このやり取り自体が、レーシアーナに毎夜訪れていた夢が、正夢だと告げる。
繰り返し見聞きしたやりとり。
自分の答えも決まっている。
「陛下には……お義兄様には善き日、善き妃をお迎えになられますこと、お喜び申し上げまする」
運命を変えようなどと思ってはいけない。
自分の知っている事がフランヴェルジュにばれたら、レーシアーナの愛するもの、守りたい物は、どうなる事か想像もつかない。
「有難う、レーシアーナ」
フランヴェルジュは笑った。
「たった一言が申し上げたかったが為だけに、控えにまで押しかけて申し訳ありません」
自分と決して目をあわそうとしないブランシールを、レーシアーナは見ないように視線をそらせた。ただ、フランヴェルジュだけを見る。
「その一言が金銀宝石よりも尊いのだ、レーシアーナ。本当に嬉しい」
さっきまで惚けていたくせに、フランヴェルジュの舌の回り具合は大変宜しい。
レーシアーナは笑った。
「エスメラルダはもうすぐ参りますのね」
「予定ではな。正直、何だかそわそわするな。こんな格式ばった奴ではなく、わーっと騒いで結婚完了、みたいな形だったら良かったんだがな。王妃の座に座る為が為に、戴冠も、華燭の典の後すぐに行われる予定だし、その後はパレードだ。お前達も経験済みのアレだな。その後は夜会で、それから明日は披露宴で、それから……」
数えだすとうんざりするのを、フランヴェルジュは止められなかった。
本当に厄介だ。
それでも、それがエスメラルダと自分を結びつけるものならば。
儀式も何もかもやってやろうじゃないかとフランヴェルジュは思うのだった。例えそんなものに何の価値も見出せなくとも。
それに女性は婚礼に憧れると言う。
それゆえ精一杯豪華に、エスメラルダを迎えたいと思うのだ。
ファトナムールの王太子妃が嫉妬する位には、したい。そう考える自分は意地が悪いのだろうかとフランヴェルジュは思わないでもなかったが、都合の悪い事は彼は頭から消し去る能力を持っている。
よくそれで、『考えなくてはいけない事』をブランシールに押し付けたなと、ふと、フランヴェルジュは思った。
しかし、今更そのことについて詫びたり礼を言ったりするのも気恥ずかしい。
「お義兄様」
レーシアーナが呼びながら微笑んだ。
優しい優しいその笑みを、フランヴェルジュは生涯忘れないだろう。
「エスメラルダのお友達としての御願い事を聞いてくださいますか?」
「なんだ?」
問い返すフランヴェルジュの目を、レーシアーナは真っ直ぐに見詰める。
「エスメラルダに幸福の涙以外流させない事と、エスメラルダより先に死なない事です」
『死』という言葉にブランシールは戦いた。
「レーシアーナ! 今日は善き……」
「あい解った」
ブランシールの言葉を遮って、フランヴェルジュは返事をした。
「難しい願いではあるが、最善をつくそう」
「有難うございます」
レーシアーナは礼を言いながら、夫のほうを見やった。今度は目が合った。