エスメラルダ
第二十章・優しい祈りと枕辺の謀
 肩と脇腹にぶつかってきた衝撃が、エスメラルダの身体をふっとばした。フランヴェルジュを巻き添えにして倒れこんだ彼女は、ぶつん、という不吉な音を聴いた。
 そして、空気を裂く音に続いての音!!
 落ちる音、ぶつかる音、くだける音、反響する音、何かが潰れる音───!!
 エスメラルダには何が起きたのか解らない。
 ただ、背中に痛みを感じた。熱かった。
 だが、しかし。
 一体何が起きたというのだろう?
 混乱しながらもエスメラルダは体勢を立て直そうとする。
 フランヴェルジュも、身体をよじる。

 そして、見た。

 エスメラルダが立っていた場所に落ちているシャンデリア。
 そして、その下に……!!
 殆どの蝋燭が、恐らくは落下の時の風圧で消えていた。
 一本だけ、エスメラルダの足元から拳二つ分はなれたところに転がり、絨毯を焦がしていた。そのうち火がつくだろう。
 だが、そんな事はエスメラルダにはどうでもよかった。
 それよりも。
 エスメラルダのトレインは、引き摺っている部分の三分の一ほどがシャンデリアの下敷きになっていて。
 そして、そこに、手の甲半分と、そこから伸びる指が、乗せられていた。
 白い指は血塗れで。
 それなのに、磨き上げられた桜色の小さな爪の色が何故かエスメラルダの目から離れなかった。
 真白な婚礼衣装が、その手の持ち主が流す血を吸い上げる。
 手から少しはなれたところに広がる、赤に塗れながらも鮮やかな金。
 『彼女』の身体が、シャンデリアに覆われていないところは、その手の先と頭の先のみ。

 その爪を磨くのを手伝った事があった。
 その髪を梳り、その見事な金色に憧れた事があった。

「………ブ……さ、ま……き……」

 沈黙の帳を、開いたのは『彼女』だった。

 ブランシールさま、すき。

「レーシアーナ……!!」
 エスメラルダが呼んだ。
 その刹那。
「いぎゃああああああああああああぐあああああああああああうううあああああああ!!」
 獣の咆哮のような叫びが、『誓句の間』を満たす。
 それはブランシールの、魂の叫びだった。
 彼は、世界を失ったのだ。
 足元に大切な兄がいた。
 自分が殺そうとしたエスメラルダがいた。
 だが、ブランシールには何も見えない。もう何も聞こえない。
 ただ、喪失の痛みに魂が声を上げるのだ。
 きっとそれは何より大切なもの。
 それを彼は自らの手で、壊したのだ。
「レーシアーナ、レーシアーナ、レーシアーナ、レーシアーナ……」
 エスメラルダは呼び続けている。
 背中の痛みなど気にならなかった。
 シャンデリアの反射鏡が割れて、その破片が背中に突き刺さっているのだが、エスメラルダは気付いていない。
 ただ、親友の名前を呼んだ。
 自分で選んだ、自分の初めての友達。
 きっと血より濃い絆で結ばれていると信じた親友。
 エスメラルダは手を伸ばす。
 その身体を、フランヴェルジュが押えるが、エスメラルダはそれを跳ね除ける。
 手の指に触った。
 エスメラルダの長手袋が血に染まる。
 その温もりが、手袋越しに伝わってくる。
 フランヴェルジュは、必死でエスメラルダの上半身を抱き締めた。彼女までが何処かへ行ってしまう恐怖に戦き。
 それでもエスメラルダの手はレーシアーナの手から離れなかった。
 何故?
 何故?
 何故?
 頭の中で問いがループする。
 ブランシールの声が、五月蝿かった。
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