エスメラルダ


 夫の横に身体を横たえながら、レイリエは忙しく頭を働かせていた。
 まだ夜が始まったばかり。なのにハイダーシュは、今日の婚礼の席での惨状故に、何度も嘔吐し、その後は疲れて眠ってしまった。
 なんと頼りない男であろう、と、レイリエは思う。
 たかだか血に酔うなんて。
 それが普通の感覚であることがレイリエには解らない。レイリエはただ、残念に思うだけだ。エスメラルダが死ななかった事を。
 アシュレ・ルーン・ランカスター絡みの恨みも勿論あった。しかし、レイリエはそのためだけにあの日の午後、ブランシールを唆したのではなかった。
 あの日、を、思い出してレイリエの顔に微かに笑みが浮かぶ。
 たくましい身体を思い出し、ほんの一瞬、彼女の顔に情欲の炎がついた。
 ハイダーシュとは何もかも違う。ブランシールは女の扱い方を心得ていた。とりわけ、レイリエの悦ぶやり方を心得ていた。
 それはブランシールがレイリエを讃えていない事。
 先代の王、兄であるレンドルですらレイリエを讃えていた。心からアユリカナを愛していたというのに。
 だが、ブランシールはそういったところがなかった。
 最愛のアシュレとそっくりの顔で、アシュレのように彼女を讃えず、それなのにアシュレとは違いレイリエを抱くブランシールを、レイリエは愛しているといっても構わないかもしれなかった。レーシアーナに嫉妬はしなかったけれども。
 そう、何故レーシアーナは邪魔をしたのかしら? あの侍女風情が。
 また、レイリエの顔に苦々しい色が浮かぶ。
 レイリエはエスメラルダの死を利用し、内乱を起すつもりであった。
 レーノックスを使い、ルジュアインを擁立させ、フランヴェルジュを廃嫡に追い込むための内乱。
 そこにファトナムールを介入させ、この後子を授かる予定のないフランヴェルジュを追いやり、ブランシールを立てる為に動かし、その見返りを受け取るつもりだった。
 たとえどんなにブランシールがフランヴェルジュを愛していても、国の動きにまで逆らえない。そして、レイリエはこっそりと仕掛けをすればいい。フランヴェルジュにその花嫁を殺した下手人を知らせるための仕掛けを。
 きっとあの男は激昂するはず。
 全て上手く行くはずだったのに。
 エスメラルダさえ死ねば。
 内乱となれば舞台は王都カリナグレイになるであろう。で、あれば、簡単に考えてエリファスが受ける被害は最小で済む筈であったのに。
 忌々しい小娘。
 思って、しかし、レイリエは何とか事態を自分の思うがままに持っていこうと画策する。
 まだだ、まだ諦めない。
 大体、まともにファトナムールとメルローアが戦争になったら、ファトナムールが負けるに決まっているのに何を愚かしい事を考えているのだろう、夫といい舅といい、馬鹿としか言いようがない。
 エリファスに火の粉が降りかかる。
 ファトナムールは負け、レイリエは殺される。ロウバー三世に殺されるか、フランヴェルジュに殺されるかは知らないが、どう転んでも彼女は殺されるであろう。
 面白くない未来だ。
 そんな未来を容認できない。
 それに、ブランシールが国王となったならば、彼はレイリエには逆らえないであろう。
 その心はともかく、身体は。
 レイリエはその事に関しては自信があった。
 だから、ブランシールがこの国の玉座に昇れば、わたくしはこのつまらない夫と離婚して、メルローアに戻れるかもしれない。
 それはレイリエの甘い夢。
 命をとって彼女はメルローアを出たが、それでも、彼女はファトナムールを愛せなかった。ファトナムールの美質である質実剛健もレイリエから見たならばただの貧乏臭い人間の戯言にしか聞こえないし、見えない。
 そして、ハイダーシュへの失望。
 わたくしの手駒はレーノックス。
 それしか今のレイリエにはない。
 だが、宰相レーノックスは今日の悲劇の……喜劇のような悲劇の為に忙しくしているだろう。直接は会えない。
 それに鬱陶しい事限りない夫が、レイリエの近くにいる。
 だけれども、寝物語として聞かせなくとも、レーノックスはわたくしの為になら命をも差し出す筈だわ。
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