エスメラルダ
深夜、レーノックスが異国の侍女の処女を奪い、涙にくれるその娘をおいて書斎で手紙を読んでいる頃、アユリカナはバジリルと話をしていた。
「そう、シャンデリアに仕掛けがしてあったのね。お前達は、この国の妃を守る役目がありながら、それを見落としていたのね」
アユリカナの声は重く、低い。
フランヴェルジュにその報告を知らせるべきだろうか? 迷うが、アユリカナの心はすぐに否の答えを出す。
今のあの子には、駄目だ。
まともな思考でまともな判断が下せる状況ではない。ならば、この件はわたくしが片をつけるしか、ない。
「平に、平に、ご容赦を……!!」
バジリルは土下座をし、なおかつその頭を石の床に何度も打ちつけていた。
血が滲んできたその額に、しかし、アユリカナも今は思いやりがもてそうにない。
「この国が、メルローアが、何を失ったのか、考えて御覧なさい」
冷たく、アユリカナは言い放つ。
レーシアーナが死んだ事は取り返しがつかない。
それに、もしかしたなら、『血杯の儀』を済ませた、エスメラルダが死んでいたかもしれなかったのだ。
アユリカナにとって、レーシアーナもエスメラルダも変わらない。息子が選んだ女性であり、自分の娘と呼ぶに相応しい美質を二人共に持っていた。
だが、メルローアという国にとっては違う。
レーシアーナは『王妃』ではないのだ。
「この事の決着がすみましたならば、この首掻っ捌いてお詫び申し上げまする……!!」
「うつけが!」
アユリカナの声に怒号が混じった。
「命で命が償えると思うか!! その考えを愚かと言う!! そなたの首で償えるものではない。そなたが死んでレーシアーナが生き返ると言うのならば、わたくしはとうにその首を刎ねておる!! 生きて、尽くせ! 血の一滴まで捧げ、王家に尽くすのが唯一の贖罪!!」
空気が震えたような気がした。
バジリルには不意に解ってしまう。
怒りながら、王太后は悲しんでいる。
本当は、彼女は誰よりも優しい。
「はは!!」
ばん、と、バジリルは床に額を打ち付けるとその顔を上げた。
血を流し、涙を浮かべ、アユリカナを見る。
そのアユリカナは、きっと拳を握り締めた。
「……取り乱しました。すみませぬ、バジリル。王は、如何に?」
「国葬の準備でお忙しく働いていらっしゃいましたが、疲労の色濃く見受けられましたので、侍女がもつ茶に、眠り薬を。此方に伺う直前の事。もうお休みになられていることでしょう」
「……そう、ですか」
エスメラルダがどうしているかは、アユリカナは聞かなくても知っている。
『真白塔』に戻ってくる直前まで、一緒に居たのだ。
エスメラルダは、今はレーシアーナの遺体に付き添っている。
血はレーシアーナが喜ばないと説得すると、着替えはした。黒いドレスは、ランカスターが死んで喪に服している時のドレスであった。
そう、あれから恐ろしく時が経ったような気がしたのに、よく考えたなら一年かそこら。エスメラルダは体型も変わってはいなかった。
そして、彼女は今涙も流さず、レーシアーナの側でルジュアインを抱いている。
乳の出る女はアユリカナが大急ぎで手配したのだが、その乳母に、授乳の時以外、エスメラルダは赤ん坊を抱かせなかった。
レーシアーナは白いドレスに着替えさせられ、棺に横たわっている。
防腐処理が施され、霊廟に祭られるのは王のみ。レーシアーナは王族の眠る霊園に埋葬される。
レーシアーナの親族であるレイデン侯爵家からは、何の言葉も無かった。
子供を残して逝くなんて、どれ程辛いことだったでしょうね。
アユリカナは思う。子供達が大きくなってその手を離れても、子供は子供。変わらず愛しく、大事で、心配の種。ましてやルジュアインは赤ん坊なのだ。
「ブランシールは……?」
アユリカナは我が子の事に思考を戻した。
「……意識を取り戻されてからは、変わらず」
バジリルの答えに、アユリカナは泣きたくなった。
ブランシールは惚けたようにレーシアーナの寝間着を抱き締めたまま、一言も発さないのだと言う報せは受けていた。
「……信じましょう。主の紡がれる運命が、子供たちに優しくあるようにと」