エスメラルダ
「神の御意志か。よくもそのような世迷言が吐けよう。レーノックス。そなた一人の主張か? レーノックスと意を同じゅうするものがあらば、手をあげよ」
 ぱらぱらと、手が上がった。
 朝議の間にいる事を許されたのは上級貴族か、特殊技能に秀でたものたちばかりである。
 その勢力は侮れない。
 そのうち手を挙げたのは四分の一程だった。
 手をあげたものの顔を、フランヴェルジュは睨むように見詰める。
 その顔を忘れてなるものか。
 その無礼を忘れてなるものか。
 侮れなくとも、潰せぬ勢力ではない。
 フランヴェルジュは今初めて政治に私情を挟んだ。 それがどんなに危険な事か知らない彼ではなかったけれども。
「……宰相、話にならんな。議会の意志は尊重しよう。しかし、余に対して発言権を持つためには過半数以上の承認が必要であるはず、違ったか?」
 レーノックスは顔色一つ変えない。
「しかし、家臣とは王の過ちを正すためにおりまする。これだけの者が、王の妃にエスメラルダ・アイリーン・ローグは相応しくないと申し上げております。賢君と呼ばれるものならその事を尊重するはずです」
 ぎり、と、フランヴェルジュは歯を噛み締めた。
「余の妃は余が選んだあの娘ただ一人だ。レーノックス、そして手を挙げた者全てに申し伝える。エスメラルダを我が妻と認めないのならば、それはメルローア王家に対する反乱であると余は理解する」
 挙げられていた手が、ぱたぱたと落ちるように下げられた。
 フランヴェルジュは一種傲慢とも呼べる表情を浮かべる。
「では反対に聞こう。余の妃を歓迎する者は手を挙げよ」
 ざっと音がした。
 袖が肘にまくれあがる衣擦れの音だ。
 そして、さっき挙手したものまでが手を挙げていた。
 レーノックスを除いて。
「そなたは反逆罪、だな」
 フランヴェルジュは歌うように言った。
「あながちそなたが王弟妃を殺めたのかも知れぬ、衛兵!!」
 ぱん、とフランヴェルジュは手を打った。
「こやつを幽閉せよ。拷問の必要は今のところない。長年この国に尽くした功労者だ。丁重に連れて行け」
「はっ!!」
 部屋の端から駆け寄ってきた衛兵達がフランヴェルジュの側で跪いた。
 そして、三人がかりでレーノックスを拘束する。
 レーノックスは抵抗しなかった。
 毒はもう撒き散らしてある。メルローアだけでなく、国外にも。
 動く必要はない。時期が来たならば、熟れた果実のようにレーノックスの掌に全てが収まる事だろう。
 レイリエが、レーノックスに約束したように。そう、彼女はレーノックスがただの書記官であった頃に宰相の地位を約束してくれた。そしてそれは現実になったのだから。
 そう、何も恐れる事はない。
「陛下がせめて呪いに冒されることなきよう祈り奉りまする。ご機嫌よう、我が君」
 ずるずると引っ張っていかれながらも、レーノックスは威厳を持ってそう言い、そして高らかに笑った。
 ご機嫌よう。そして永久にさようなら。
 フランヴェルジュは見向きもしなかった。
 扉の音がする。開いて、閉じる。
 そしてそこにはもうレーノックスはいなかった。
 毒を早期に抜こうとすればリスクも高い。
 その事など、フランヴェルジュはしっかり忘れていた。
 平等で我慢強く、罰する前に反省の機会を与える王、それが今までのフランヴェルジュだった。
 だから家臣達はその豹変振りが怖い。
 今までレーノックスが何を言おうと、笑い飛ばすなりしてその場を和ませていた王らしく、なかった。
「葬儀の席次を決めよう。幸いな事に祝いに駆けつけた各国の貴賓達は殆どがメルローアに残ってくれている。エスメラルダには王妃の席を。王弟妃の死の直後ゆえ、今すぐ華燭の典のやり直しをするつもりはない。だが、式はやり直す。異存があるなら申してみよ」
 じっと、フランヴェルジュは回りを見回した。唇の微笑が余りに妖艶で恐ろしさが増す。
 ああ、面倒臭い、そうフランヴェルジュは思った。今までならブランシールがまとめておいてくれたのに、と、せん無い事を思い溜息が止まらない。
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