エスメラルダ


 ふらふらと、ブランシールは歩いていた。
 侍女や従僕、貴族達とすれ違うが誰もとめようとはしなかった。
 歩いていると、拘束されたレーノックスが引っ張ってこられるのが見えて、ブランシールは片眉をあげた。
 縄をかけられこそしなかったが、左右から衛兵に腕を組まれ、背後に逃げられないようもう一人、合計三人が
 かつん、こつん。
 レーノックスは引き摺られているわけではない。威厳を持って歩いている。衛兵の具足が鳴る音だけでなく、華奢な踵の高い靴が立てる足音は確かに聞こえた。
 ブランシールはにっこりと笑う。
 レーノックスと目が合った。
 王弟だと気付いた衛兵が慌てて礼をとる。レーノックスを引き摺るように跪く。
 ブランシールは手をふってそれをとめさせた。
「苦しゅうない。その者、如何致した?」
「王の花嫁を侮辱した罪により、監獄に」
 ああ、と、ブランシールは思い当たった。
 そして、笑えない事態になったと気付いてしまう。
 この権力欲の塊のような男が、ただ、エスメラルダを侮辱して身に破滅を招いたはずがない。
 全て計算づくだ。
 流石はレイリエの手駒だとブランシールは思った。恐らく自分と同じようにレイリエに命令されたのだろう。
 哀れな奴だと、ブランシールは思った。
 哀れで情けない奴。それでも、自分より数段マシな人間だ。
「宰相とは親交があった。少しだけ話しても良いか?」
 ブランシールの問いに、しかし衛兵達は嫌々をするように全員がかぶりを振った。
「例え王弟殿下でも、お許しにはならないでしょう。陛下は今、強い怒りを抱えておいでです」
「よう言うた」
 ブランンシールはにっこりと笑うとつかつかとレーノックスに近づいた。
 そして思いっ切りその顎を蹴り飛ばす!
 どさ、という音と共にレーノックスは倒れ伏した。両腕を支えられているので、完全に地面に伸びる事もできない。
「王弟殿下!?」
 衛兵達が声を上げるのを、ブランシールは笑顔で制した。
「王の花嫁は私の義姉になるお方だ。王である陛下が無闇に暴力を振るえぬのなら、兄の代わりに仕置きするのも弟の務めぞ、さぁ、立て」
 ぐいっと、ブランシールはレーノックスの襟首を掴むと無理やり立たせた。
 何をしていたのか、レーノックスから聞き出したかった。しかし、レイリエに絶対の服従を誓う彼から何が得られよう?
「立ち上がらせよ」
 ブランシールの命に、衛兵達は左右からレーノックスを立たせるように引っ張りながら立ち上がった。
 そのレーノックスの着衣の乱れをブランシールは直してやる。
 そして、胴着のポケットに、『何か』を入れた。衛兵達は気付かなかった。レーノックスは気付いた。
 襟を治してやりながらブランシールはレーノックスに囁く。
「心配しないで。レイリエは僕が殺すから君は己の死を待てばいいだけの話だ」
 その言葉にレーノックスは今まで覚えた事のない恐怖を覚えた。
 ブランシールはやるといったらやる。
「王弟殿下!!」
 思わず叫んだレーノックスは、しかし無視された。
「連れて行け。目障りだ」
「は!!」
 三人の衛兵が胸を叩いた。
 そして今度は本当に引き摺っていく。レーノックスはもはや歩く気力がないようだった。
 僕は慈悲を施したんだよ? レーノックス。
 ブランシールは心の内で笑う。
 ちゃんと君のポケットに入れておいてあげたのだから。致死の毒薬が詰められたからくり細工のピアスを。
 しかし、ブランシールにはのんびりしている暇がなかった。
 レーシアーナの所に行かなくては。
 自分が正気でなかった時間の記憶はやけにはっきりと覚えている。
 もしフランヴェルジュが、『レーシアーナが迷う』と言わなければブランシールは正気に返ること叶わなかった事であろう。
 だがしかし。
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