エスメラルダ
その走り書きが届けられるまでは、レイリエはブランシールが自分を恨んでいるか、少なくとも嫌っているかと思っていたけれども。
男は薄情だとその時レイリエは思ったのだった。確かに、男というものは妻をなくした翌日に新たな妻をもらう事もある生き物だ。
最愛の妻を殺させた自分を想うと胸が張り裂けそうだなんて、なんとまぁ……と、レイリエは呆れる。だがそこが可愛いのだと彼女は思ったのだった。
それなのに、ブランシールは何かがおかしかった。
「ブランシール、離しなさい!!」
レイリエは軽い恐怖に見舞われる。
男が怖いと想ったのは生まれて初めてだった。男とは可愛がり、遊んでやり、微笑みかけ、掌の上で転がすものだったから。
それなのにこれは、まるで。
反乱、だ。
「決して逃げられないようにしないと……だから、離しません」
「苦しいって言っているでしょう!! 逃げやしないわ!」
レイリエの金切り声に、しかしブランシールは淡々とした態度を崩さない。
「貴女が今までしてきた事を考えて、僕はとても自己嫌悪に陥った。貴女はあの時、『真白塔』で殺しておくべきだった」
ふん、と、レイリエは鼻を鳴らした。
「今はもう、殺せないわ。そうでしょう? わたくしはファトナムールの王太子妃なのだから。それに……貴方の身体はわたくしを抱こうとはしても殺そうとは出来ないはずよ」
レイリエのその自信には何人もの、いや、何十人もの男の人生を狂わせてきたという裏打ちがある。
「……その通りだ」
言って、ブランシールは腕の力を抜いた。しかしその腕を解きはしなかった。
「『僕』は殺せない、貴女を」
しかし、ブランシールのその言葉の意味は別にある。
もうレイリエを抱きたいとは思わない。しかし確かに彼女を殺す事はブランシールには出来ない。
ファトナムールとの戦争は避けられない事だとブランシールは予測している。
レイリエが如何に姦計を巡らせようが無駄だ。だが、『攻められては』ならない。
ブランシールはレイリエが何をするか大体の見当はつけていた。
その為にレイリエがレーノックスを使うであろう事も考慮していた。
正気にかえってまず最初にしなくてはならないと思った事は、レーノックスの排除である。
しかしそれは奇しくも兄が既に手をうっていた。
やり方は確かにあまりよくなかったかもしれない。しかしあの程度の失策なら幾らでも挽回できる。
兄にそれだけの力が有る事はブランシールが一番よく知っている。
『攻められる』口実を作らなければ、後は。
「貴方の大事なエリファスは戦場になるでしょう」
ブランシールのその言葉に、レイリエは青い瞳を思いっ切り見開いた。
その表情が、ブランシールには小気味良かった。
「戦争は、わたくしが起こさせやしないわ! 戻ります!! 戯言はもう沢山だわ!! 貴方とはもう口を利きたくない!!」
ブランシールを押しのけて出口に進もうとしたレイリエを、ブランシールは押さえ込み、抱き締めた。
「何を!!」
唇が、ふさがれる。
鐘が、鳴り響いた。
十六時の鐘だ。
それは、『待ち合わせ』の時間でも合った。
巧みな口づけに、レイリエは頭がぼうっとなるのを感じた。その口づけに欲望がこもらない事に、レイリエは気付かなかった。
こんな風に口づけてくる男はブランシール以外にいない。
硝子の割れる音がして、レイリエは目を開ける。
硝子の壁を叩き割って、ハイダーシュがその場に乗り込んできたのだ。
それこそが、ブランシールの『待ち人』
ブランシールは口づけをやめない。
レイリエは夫の姿に瞠目する。
ハイダーシュは剣を抜いた。
ブランシールは腰の剣に手をかけようともせず、『その時』を待つ。
ブランシールがファトナムール王太子妃を殺したのなら、『攻められる』原因になる。
だがハイダーシュがレイリエを殺し、ブランシールをも殺したのであれば?
レイリエが口づけから逃れて叫んだ。
「待って、貴方!! 違うの! これは……!!」
男は薄情だとその時レイリエは思ったのだった。確かに、男というものは妻をなくした翌日に新たな妻をもらう事もある生き物だ。
最愛の妻を殺させた自分を想うと胸が張り裂けそうだなんて、なんとまぁ……と、レイリエは呆れる。だがそこが可愛いのだと彼女は思ったのだった。
それなのに、ブランシールは何かがおかしかった。
「ブランシール、離しなさい!!」
レイリエは軽い恐怖に見舞われる。
男が怖いと想ったのは生まれて初めてだった。男とは可愛がり、遊んでやり、微笑みかけ、掌の上で転がすものだったから。
それなのにこれは、まるで。
反乱、だ。
「決して逃げられないようにしないと……だから、離しません」
「苦しいって言っているでしょう!! 逃げやしないわ!」
レイリエの金切り声に、しかしブランシールは淡々とした態度を崩さない。
「貴女が今までしてきた事を考えて、僕はとても自己嫌悪に陥った。貴女はあの時、『真白塔』で殺しておくべきだった」
ふん、と、レイリエは鼻を鳴らした。
「今はもう、殺せないわ。そうでしょう? わたくしはファトナムールの王太子妃なのだから。それに……貴方の身体はわたくしを抱こうとはしても殺そうとは出来ないはずよ」
レイリエのその自信には何人もの、いや、何十人もの男の人生を狂わせてきたという裏打ちがある。
「……その通りだ」
言って、ブランシールは腕の力を抜いた。しかしその腕を解きはしなかった。
「『僕』は殺せない、貴女を」
しかし、ブランシールのその言葉の意味は別にある。
もうレイリエを抱きたいとは思わない。しかし確かに彼女を殺す事はブランシールには出来ない。
ファトナムールとの戦争は避けられない事だとブランシールは予測している。
レイリエが如何に姦計を巡らせようが無駄だ。だが、『攻められては』ならない。
ブランシールはレイリエが何をするか大体の見当はつけていた。
その為にレイリエがレーノックスを使うであろう事も考慮していた。
正気にかえってまず最初にしなくてはならないと思った事は、レーノックスの排除である。
しかしそれは奇しくも兄が既に手をうっていた。
やり方は確かにあまりよくなかったかもしれない。しかしあの程度の失策なら幾らでも挽回できる。
兄にそれだけの力が有る事はブランシールが一番よく知っている。
『攻められる』口実を作らなければ、後は。
「貴方の大事なエリファスは戦場になるでしょう」
ブランシールのその言葉に、レイリエは青い瞳を思いっ切り見開いた。
その表情が、ブランシールには小気味良かった。
「戦争は、わたくしが起こさせやしないわ! 戻ります!! 戯言はもう沢山だわ!! 貴方とはもう口を利きたくない!!」
ブランシールを押しのけて出口に進もうとしたレイリエを、ブランシールは押さえ込み、抱き締めた。
「何を!!」
唇が、ふさがれる。
鐘が、鳴り響いた。
十六時の鐘だ。
それは、『待ち合わせ』の時間でも合った。
巧みな口づけに、レイリエは頭がぼうっとなるのを感じた。その口づけに欲望がこもらない事に、レイリエは気付かなかった。
こんな風に口づけてくる男はブランシール以外にいない。
硝子の割れる音がして、レイリエは目を開ける。
硝子の壁を叩き割って、ハイダーシュがその場に乗り込んできたのだ。
それこそが、ブランシールの『待ち人』
ブランシールは口づけをやめない。
レイリエは夫の姿に瞠目する。
ハイダーシュは剣を抜いた。
ブランシールは腰の剣に手をかけようともせず、『その時』を待つ。
ブランシールがファトナムール王太子妃を殺したのなら、『攻められる』原因になる。
だがハイダーシュがレイリエを殺し、ブランシールをも殺したのであれば?
レイリエが口づけから逃れて叫んだ。
「待って、貴方!! 違うの! これは……!!」