エスメラルダ
「マーグ。そんなに悲観する事ではないわ。白いドレスがあったでしょう? 色のついたドレスでなければ構わないのだからそれを着るわ。その間、仕立て屋のクラレンスには黒い布地と格闘してもらいましょう」
 エスメラルダは嘆くマーグと侍女に言い聞かせる。
 レイリエの『おいた』がこの程度ですんで良かったではないか。
 考えると浮かぶ笑みで、エスメラルダはマーグだけでなくほかの侍女も労った。
 よく眠る事が必要だわ。
 今日のような、一日には。
 そう思い、エスメラルダは床に就いた。
 ベッドには、いつもどおりポプリが敷き詰められていた。その香りを吸い込んだら、いつもならすぐに眠れた筈であった。ランカスターとの夜も。独りの夜も。
 何故眠れないのか考えてみるが、さっぱり解らない。
 二人の王子の事も、エスメラルダはレイリエの『おいた』の後では大して意識のうちに残らなかった。二人があんなに自分達の事を印象付けようとしていたのに、である。
 その夜から、影のように忍びやかに噂が走った。
 エスメラルダは正式にはランカスターと婚姻の契りを結んだ訳ではない。
 喪に服す理由はなかった。本来なら。
 だから、社交界では凄まじい勢いで噂が広まる。
 『事実婚』はあったのだと。
 しかも、エスメラルダはランカスターの精気を吸い取る魔女の様に毎夜の交わりを強制し、そしてその交わりにおいてエスメラルダが如何に淫乱で好色であったかと言う事まで吹聴された。
 噂の出所はレイリエであった。
 残酷ではあるが大して賢くはない彼女には、兄まで貶めても阻止せねばならぬ事があった。
 それはエスメラルダが王宮に、仮に妾妃としてでも迎え入れられる事である。
 レイリエは現国王の妹。そして二人の王子には叔母に当たる。だが、エスメラルダが妾妃にでもなったら、傍流のレイリエは一生、エスメラルダに頭を垂れて生きていかなくてはならない。
 それだけはレイリエには許せなかった。最も、兄が馬鹿者のように言われるのは耐え難かったが。
 レイリエは訴えた。兄は何も悪くない。魔女に魔法で魅入られただけなのだと。
 そのレイリエが囁き垂らす毒の味は、楽しい醜聞として宮廷内に一気に広がった。人々は美談より醜聞を好むものだとレイリエはよく知っていた。
 しかし、二人の王子、フランヴェルジュとブランシールは意にも介さなかった。
 対極の性格をもつ二人の王子は、しかし、一度求めたなら、何処までも貫き通す心だけは同じだったのである。
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