エスメラルダ
 しかし、あれでも叔母なのだから始末が悪かった。その始末を何とかして、エスメラルダを迎えに行きたい。
「エスメラルダは私には激しすぎる、兄上。まるで火傷をしそうだった。好きですがね、見て愛でるぐらいが丁度良い」
 ブランシールはパンを千切りながら言った。
 本当は手に入れたい。だけれども、ブランシールの台詞は決して嘘ではなかった。
 炎のようなエスメラルダ。
 ランカスターはどのようにしてエスメラルダを愛でたのだろう? エスメラルダを知ってから、ブランシールは時々、この考えにふけってしまう。
 彼の部屋にある『望月』では白いマーメイドラインのドレスを着て、花冠を頂き、微笑んでいる。背景は勿論、欠ける事なき満月だ。
 だが、その微笑ときたら!
 幸せそうに唇を持ち上げている。だけれども、それは唇だけの微笑。
 そこには静けさと優しさがあった。
 エスメラルダは二面を持ち合わせる娘なのだろう。だからエスメラルダの絵は全て対になっているのだ。
 ブランシールは優しく微笑むエスメラルダが見たいと思った。
 それだけだと自分に言い聞かせた。
「兄上らしくもない。さらっておしまいになれば良いのに」
「それも考えた」
 フランヴェルジュは溜息を吐いた。
「あの馬鹿女の所為でエスメラルダは醜聞に塗れた。王家に迎えるには相当な準備が必要だ。だからいっそ、エスメラルダをさらって何処かに逃げようかとも考えた。他の国に、誰も俺達を知らない国に行って二人で暮らす事も考えた。だが、エスメラルダの心はどうなる? 想像もつかん。あれはそれで幸せなのか?」
 エスメラルダの幸せ?
 ブランシールは深く深く恥じた。
 エスメラルダの心など、ただの一度も慮った事がなかった為に。
 そして兄を誇らしく思った。
 王太子でありながら、人一人の幸せを考える事の出来る優しさを持った男が自分の兄なのだと思うと誇らしかったのである。
 しかし、少し心配でもあった。
 ブランシールも兄同様の帝王教育を施されている。その中の、『王者は時として非情であれ』と言う言葉が頭をよぎるのだ。
 兄は優しすぎるのではないかと、ブランシールは心配になったのである。
 だけれども、暴君である事を考えたらまだ、優しすぎる位が丁度良いのかもしれなかった。
「兄上はお優しい」
「別にそんなんじゃない」
 耳を赤く染めて、ミルクを飲み干す兄が、ブランシールには心から愛しく思えた。
 本当に可愛いお方だ。
「兄上、エスメラルダの事、彼女の幸せになるかどうか解りませんが、もしかしたら、醜聞からは救い出せるかもしれません」
「何!? ブランシール、どういうことだ!?」
 フランヴェルジュはミルクの入っていたグラスを叩き付けるように机に置いて問う。
「神殿で、『審判』を」
 ブランシールの顔を見て、フランヴェルジュはその言葉が冗談ではない事を知った。
「……………本気なのか?」
「当たり前ですよ」
 ブランシールは感情の篭らない声で言う。
「では噂が本当であった時には?」
 フランヴェルジュの声は震えていた。
「本当であっても兄上は彼女がお好きなのでしょう? でもその確率は低い。叔父上の性格ですよ? 夜な夜な身体を重ねるくらいなら裸婦画を描いておられる事でしょうよ。そして、そんな絵はなかった」
 ブランシールは落ち着いている。
「問題はエスメラルダが『審判』を拒んだ時ですよ。『審判』は神殿内の事柄。神殿内に王族の権威を振り回すのは禁じられておりますからね、一言嫌だと言われたならそれで終わりです」
「俺なら『審判』などご免だ」
「エスメラルダもそう言うかも知れません」
 だが、エスメラルダが仮に潔白だったとして、レイリエの流した毒を洗い流してくれるだろうか?
 『審判』を、どうやったらエスメラルダに行わせる事が出来るだろうか?
「しかし兄上。他に手はありますか?」
 フランヴェルジュは頭を抱えた。
 暫く低く唸った後、ぱっとフランヴェルジュは顔を上げた。
「母上にお知恵を借りに行こう。母上は『審判』を受けた事がおありだ」
 決めたら、フランヴェルジュは席を立った。
「急いで食え。お前も来るのだからな」
< 21 / 185 >

この作品をシェア

pagetop