エスメラルダ
 フランヴェルジュはむっつりとした顔で自室へと下がっていった。
 制約がかけられているなら仕方のない事だ、そう思う半面、息子の煩悶を何とかする為に制約を破ってくれはしないのかと思ってしまう。フランヴェルジュ二十一歳。まだ彼は真実の意味での『制約』を知らない。
 ブランシールも自室へと下がった。
 そして、侍女を呼ぶ。
 ブランシールが呼ぶ侍女は一人だけだ。
 レーシアーナ・フォンリル・レイデン。
 ブランシールと同じ十九歳の少女。
 淡い金髪に青い瞳。美少女といっても差し支えない。だが、本人は自分の美貌を自覚していない。そこがまた愛らしいのだといってしまえばそれまでなのだが。
 ブランシールは人嫌いだ。周囲に人が侍っていると窒息しそうになる。
 それも王子なのだから仕方ないと言われたならそうなのだが、式典や何かのイヴェント時以外はレーシアーナ以外の侍女を側に置かない。断固として。
 周囲は良い顔をしなかった。レーシアーナとブランシールの間は完璧に綺麗な関係なのだが、ベッドの中でも仕えているのだろうと揶揄されがちだ。
 だが、レーシアーナは気にしない。レイデン家は名門だが、とっくに没落しているのでレーシアーナが働いて稼ぐ金が必要だった。生家は、ブランシールが望むのなら、いや、それこそが本望なのだろうが、娘を妾妃として差し出す事に何の異論もなかった。
「レーシアーナ、頼みがある」
「頼みだなんて勿体無いお言葉。わたくしは出来る事なら何でも致します故にどうかご命令下さいませ」
 レーシアーナは微笑んだ。
 その微笑みがブランシールには痛い。
 いつかレーシアーナを妻として娶るつもりであった。そして、小さくても良いから領地を分けてもらい、慎ましやかに過ごすのが夢であった。
 エスメラルダに出会う前は。
「これから手紙を書くから、それを間違いなく本人に届けて欲しいんだ」
 こくり、と、レーシアーナは頷いた。
 侍女や執事、従僕に預けた場合、握りつぶされることもある。
 それでは、侍女として行くわけには行かないとレーシアーナは思う。レイデン侯爵令嬢としていかなくては。
 だが、相手は誰なのだろう?
「どなたに手渡せば宜しいのですか?」
「エスメラルダ・アイリーン・ローグ嬢だ。今は叔父上の王都での邸の一つ、緑麗館に住んでおいでだ。叔父上がローグ嬢に残した財産だからね、流石のレイリエ叔母も追い出す事が出来ないでいるんだよ」
 ブランシールの言葉を受けて、レーシアーナはちらりと飾られている絵を見つめ、頭を忙しく働かせた。
 綺麗な顔の女だこと。でも、頭のほうはどうかしら?
 自らが醜聞にまみれている事も知らないのか、知っていて何の手も打たないのか、どちらにせよ、レーシアーナの考え方でいくと、無能な女に思えてしまう。
 それでも、ブランシールからの命令だ。
「わたくしに侍女を貸して頂けますでしょうか? それから、馬車も紋章入りではない、上品なものを」
「手配させよう」
「わたくしは着替えて参ります。ブランシール様のお名前を出せば大事になりますが没落貴族のレイデン家の娘が訪ねていっても身分故に追い返せないでしょうし、でも、大きな噂になる事もないでしょう」
「お前は賢い、レーシアーナ」
 どくんっと、レーシアーナの胸が高鳴った。
 褒められるだけでも、こんなに嬉しい。
 側に居られるだけでも、こんなに幸せ。
「お前が言ったようにレイデン家の令嬢として訪ねてもらおうと思っていたんだよ。そしていいかい? 大事な事だよ? 返事を貰うんだ。是か否かだけでいい。手紙の内容は、お前は知る必要のない事だ」
「解りました、ブランシール様」
 レーシアーナは一礼すると一旦退出した。その間に、ブランシールは大慌てで手紙を書く。ゆっくり考えて書く事は出来なかった。正気で書くには内容が無茶な話である故に。
 書き終わるのとレーシアーナが着替えて戻ってくるのと、時間的にはそう大差なかった。
 海の色のドレスを着た少女に手紙を託す。封蝋には印章指輪の跡。
「必ずお届け致します」
 レーシアーナの『必ず』は『絶対』だ。
 安心してブランシールは手紙を託した。
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