エスメラルダ
レーシアーナはいつ、自分に託された手紙を渡そうかと考えながら二杯目の紅茶を味わっていた。紅茶が好きな主人を持ち、なおかつその主人と一緒に紅茶を日々味わっているレーシアーナにも、それは満足出来る味だった。
エスメラルダは舌も肥えているようね。だけれども、わたくしどうしたら……。
レーシアーナは茶会に呼ばれたのではない。使者として送り出されると茶会の準備が滞りなく行われていたのだ。
だから困る。どう対応して良いのやら。
わたくしは客人としてもてなされているけれども、客人ではないわ。使者よ。
だけれどもメルローアでは茶会において客人はかくありきといった決まり事があった。
曰く、もてなす側が主人なのだと。
主人が話を選ぶ権利を持つ。主人が差し向けた話題に答えを返すのが一般的な茶会の在り方だった。
だが『使者』であるレーシアーナにはそんな事を言っている余裕がないのだが。
そうよ、わたくし、招かれたんじゃないわ。わたくし自身がブランシール様の命を受けてここまできたのだわ。
「あの……エスメラルダ」
「貴女が何を言いたいか解っていてよ」
レーシアーナの言葉を、エスメラルダは一瞬のうちに封じてしまう。
「解っているし、貴女がそれを果たせないうちは帰る事も出来ないって、わたくし、知っていてよ」
「それなら何故……!!」
思わず、レーシアーナは吠えた。
エスメラルダは悲しそうに微笑む。
「お茶を……楽しみたかったの。だからよ。貴女と二人で政治や殿方がたの思惑に巻き込まれる事なく。そんなものにわたくしは興味ないの。でも貴女を困らせたいんじゃないわ。お友達になってもらいたいと願う貴女を苛めるつもりはないの。貴女の用事は午餐の後に伺うわ」
「午餐ですって!? 貴女、冗談でしょう? 冗談よね? 貴女は知っているじゃない!! ブランシール様がお一人ではお食事をとる事が出来ない事を!!」
レーシアーナの言葉に、エスメラルダは顔を伏せた。
「わたくしは……」
「見て頂戴! いいえ、見なくてはならないわ!! ブランシール様直筆のお手紙よ!! 畏れ多い事だわ!!」
レーシアーナは茶会の礼儀を完全に無視してエスメラルダに手紙をつきつける。
エスメラルダはそのエメラルドの瞳を伏せたまま、手紙を受け取った。
エスメラルダはさぁっと書面に目を走らせると顔をあげぬまま溜息を一つ、零す。
「殿方というものは……どうして道理をわきまえるという事をなさらないのでしょうね。女の浅知恵浅はかさはよく言われたものだけれども殿方の無分別さも手におえないわ」
「貴女、それはブランシール様にむかって言っているの!? 不敬だわ!!」
レーシアーナの憤る姿に、ようやっと顔をあげたエスメラルダは肩を竦めた。
「独り言よ。怒らないで」
そしてエスメラルダは花開くように笑った。
「貴女はブランシール様がお好きなのね」
レーシアーナの頬が紅潮する。
「わたくしは……尊敬しているわ。主ですもの」
「それだけじゃないでしょう? 熱い紅茶をもう一杯如何? そして聞かせて下さらない? ブランシール様の事について」
エスメラルダのその表情は清々しかった。レーシアーナは思わず微笑み返してしまう。
エスメラルダって、なんて綺麗に笑う娘なのかしら?
エスメラルダはテーブルの上にある若葉色に着色された蜜蝋に手紙をかざした。みるみるうちに燃えていく手紙を、彼女は空の皿の上に乗せる。炎はあっという間に手紙を舐め尽くし、灰と化した後、燃やすものがなくなり自然と消えた。
レーシアーナは複雑な思いでそれを見ていた。
自分が使者にと遣わされる程の大事である。手紙の内容は秘匿せねばならないものであろう。解ってはいるけれども、ブランシールが簡単にあしらわれたようで胸が苦しかった。
こんなので『お友達』になれるのかしら?
レーシアーナは無理だと思う。だけれども、さっき手紙を渡したときのように激情に走るのはもうやめようと思った。レーシアーナは『お友達ごっこ』をしなくてはならない。この美しい少女と。ブランシールにも伝えなくてはならない事であるがエスメラルダはあまりに宮廷内部に詳しすぎた。
大体、どんな優秀な諜報部員を忍び込ませているのであろう。自分が来る時間まで把握してお茶の準備まで。
エスメラルダが席を立った。そして彼女自らレーシアーナのカップに、まだ十分熱いお茶を注ぎ入れる。それから自分のカップにも。
「お砂糖は三つで良かったのよね。ミルクをどうぞ、レーシアーナ」
「あ、有難う」
レーシアーナはまた驚く。砂糖を三つ。自分からは口に出していない。それだけエスメラルダは彼女を把握しているのだ。
先程まで茶を飲む時、レーシアーナはエメラルドの瞳に観察されていたのだと知る。
わたくしに似ているわ。
ふと、レーシアーナはそう思った。
ブランシールに仕える自分は彼の先を読まなくてはならなかった。書斎で読み物をしていたらガウンと膝掛けを、喉が渇いていれば夏は冷たい檸檬水を、冬は砂糖抜きのストレートティーを、レーシアーナは命令される前から準備してきた。それがレーシアーナにとって、『このお方に必要なものだと思われたい』という気持ちの発露であった。先手を打つ事、それがレーシアーナなりの仕え方だったのである。
そしてそれにブランシールが満足している事も、レーシアーナは気付いていた。
だから更に頑張る。
嫌われたくない。
必要とされていたい。
エスメラルダも笑っているけれども本当は怯えているのではないかしら?
そう思った瞬間、不意に甘い痛みが胸を覆った。
レーシアーナは可哀想にと思うのであった。
そんなに神経を張り詰めなくとも良いのよ。
でもそれを誇り高いこの少女に言うのは少し躊躇われた。だから代わりに、レーシアーナは微笑んでみせる。
「有難う、エスメラルダ」
レーシアーナがそう言った途端、エスメラルダの顔がぱぁっと明るくなった。まるで雲間から太陽がのぞくように。
エメラルドの瞳が細められ、レーシアーナを見つめる。
わたくしこそ有難うを言いたいわ、と、エスメラルダはそう思う。
だけれども、具体的に何に有難うと言えば良いのか解らないのでエスメラルダは微笑み返すにとどめた。
「ねぇ、レーシアーナ」
席に戻り座った途端エスメラルダは言った。
「やはり今日の午餐、ブランシール様には諦めて頂かなければならないことよ。だってわたくし、お返事を書かなくてはならないのにブランシール様の事について詳しく知らないのですもの。そんな状態で適当にお返事を書くのは礼を失した事だとは思わなくて? だからレーシアーナ、貴女は『使者』としてわたくしにブランシール様の事を語って下さらないといけないわ」
レーシアーナは返答に困った。エスメラルダの言う事にも一理ある。手紙の内容を知らぬレーシアーナは返事にこう書けば良いのよという事も出来ない。
エスメラルダは舌も肥えているようね。だけれども、わたくしどうしたら……。
レーシアーナは茶会に呼ばれたのではない。使者として送り出されると茶会の準備が滞りなく行われていたのだ。
だから困る。どう対応して良いのやら。
わたくしは客人としてもてなされているけれども、客人ではないわ。使者よ。
だけれどもメルローアでは茶会において客人はかくありきといった決まり事があった。
曰く、もてなす側が主人なのだと。
主人が話を選ぶ権利を持つ。主人が差し向けた話題に答えを返すのが一般的な茶会の在り方だった。
だが『使者』であるレーシアーナにはそんな事を言っている余裕がないのだが。
そうよ、わたくし、招かれたんじゃないわ。わたくし自身がブランシール様の命を受けてここまできたのだわ。
「あの……エスメラルダ」
「貴女が何を言いたいか解っていてよ」
レーシアーナの言葉を、エスメラルダは一瞬のうちに封じてしまう。
「解っているし、貴女がそれを果たせないうちは帰る事も出来ないって、わたくし、知っていてよ」
「それなら何故……!!」
思わず、レーシアーナは吠えた。
エスメラルダは悲しそうに微笑む。
「お茶を……楽しみたかったの。だからよ。貴女と二人で政治や殿方がたの思惑に巻き込まれる事なく。そんなものにわたくしは興味ないの。でも貴女を困らせたいんじゃないわ。お友達になってもらいたいと願う貴女を苛めるつもりはないの。貴女の用事は午餐の後に伺うわ」
「午餐ですって!? 貴女、冗談でしょう? 冗談よね? 貴女は知っているじゃない!! ブランシール様がお一人ではお食事をとる事が出来ない事を!!」
レーシアーナの言葉に、エスメラルダは顔を伏せた。
「わたくしは……」
「見て頂戴! いいえ、見なくてはならないわ!! ブランシール様直筆のお手紙よ!! 畏れ多い事だわ!!」
レーシアーナは茶会の礼儀を完全に無視してエスメラルダに手紙をつきつける。
エスメラルダはそのエメラルドの瞳を伏せたまま、手紙を受け取った。
エスメラルダはさぁっと書面に目を走らせると顔をあげぬまま溜息を一つ、零す。
「殿方というものは……どうして道理をわきまえるという事をなさらないのでしょうね。女の浅知恵浅はかさはよく言われたものだけれども殿方の無分別さも手におえないわ」
「貴女、それはブランシール様にむかって言っているの!? 不敬だわ!!」
レーシアーナの憤る姿に、ようやっと顔をあげたエスメラルダは肩を竦めた。
「独り言よ。怒らないで」
そしてエスメラルダは花開くように笑った。
「貴女はブランシール様がお好きなのね」
レーシアーナの頬が紅潮する。
「わたくしは……尊敬しているわ。主ですもの」
「それだけじゃないでしょう? 熱い紅茶をもう一杯如何? そして聞かせて下さらない? ブランシール様の事について」
エスメラルダのその表情は清々しかった。レーシアーナは思わず微笑み返してしまう。
エスメラルダって、なんて綺麗に笑う娘なのかしら?
エスメラルダはテーブルの上にある若葉色に着色された蜜蝋に手紙をかざした。みるみるうちに燃えていく手紙を、彼女は空の皿の上に乗せる。炎はあっという間に手紙を舐め尽くし、灰と化した後、燃やすものがなくなり自然と消えた。
レーシアーナは複雑な思いでそれを見ていた。
自分が使者にと遣わされる程の大事である。手紙の内容は秘匿せねばならないものであろう。解ってはいるけれども、ブランシールが簡単にあしらわれたようで胸が苦しかった。
こんなので『お友達』になれるのかしら?
レーシアーナは無理だと思う。だけれども、さっき手紙を渡したときのように激情に走るのはもうやめようと思った。レーシアーナは『お友達ごっこ』をしなくてはならない。この美しい少女と。ブランシールにも伝えなくてはならない事であるがエスメラルダはあまりに宮廷内部に詳しすぎた。
大体、どんな優秀な諜報部員を忍び込ませているのであろう。自分が来る時間まで把握してお茶の準備まで。
エスメラルダが席を立った。そして彼女自らレーシアーナのカップに、まだ十分熱いお茶を注ぎ入れる。それから自分のカップにも。
「お砂糖は三つで良かったのよね。ミルクをどうぞ、レーシアーナ」
「あ、有難う」
レーシアーナはまた驚く。砂糖を三つ。自分からは口に出していない。それだけエスメラルダは彼女を把握しているのだ。
先程まで茶を飲む時、レーシアーナはエメラルドの瞳に観察されていたのだと知る。
わたくしに似ているわ。
ふと、レーシアーナはそう思った。
ブランシールに仕える自分は彼の先を読まなくてはならなかった。書斎で読み物をしていたらガウンと膝掛けを、喉が渇いていれば夏は冷たい檸檬水を、冬は砂糖抜きのストレートティーを、レーシアーナは命令される前から準備してきた。それがレーシアーナにとって、『このお方に必要なものだと思われたい』という気持ちの発露であった。先手を打つ事、それがレーシアーナなりの仕え方だったのである。
そしてそれにブランシールが満足している事も、レーシアーナは気付いていた。
だから更に頑張る。
嫌われたくない。
必要とされていたい。
エスメラルダも笑っているけれども本当は怯えているのではないかしら?
そう思った瞬間、不意に甘い痛みが胸を覆った。
レーシアーナは可哀想にと思うのであった。
そんなに神経を張り詰めなくとも良いのよ。
でもそれを誇り高いこの少女に言うのは少し躊躇われた。だから代わりに、レーシアーナは微笑んでみせる。
「有難う、エスメラルダ」
レーシアーナがそう言った途端、エスメラルダの顔がぱぁっと明るくなった。まるで雲間から太陽がのぞくように。
エメラルドの瞳が細められ、レーシアーナを見つめる。
わたくしこそ有難うを言いたいわ、と、エスメラルダはそう思う。
だけれども、具体的に何に有難うと言えば良いのか解らないのでエスメラルダは微笑み返すにとどめた。
「ねぇ、レーシアーナ」
席に戻り座った途端エスメラルダは言った。
「やはり今日の午餐、ブランシール様には諦めて頂かなければならないことよ。だってわたくし、お返事を書かなくてはならないのにブランシール様の事について詳しく知らないのですもの。そんな状態で適当にお返事を書くのは礼を失した事だとは思わなくて? だからレーシアーナ、貴女は『使者』としてわたくしにブランシール様の事を語って下さらないといけないわ」
レーシアーナは返答に困った。エスメラルダの言う事にも一理ある。手紙の内容を知らぬレーシアーナは返事にこう書けば良いのよという事も出来ない。