エスメラルダ
第四章・無花果
ブランシールはレーシアーナが返事を携えて帰ってきたその日から、特に何事も変わった様子は無いように思われた。
少なくともアユリカナもレンドルも、そしてフランヴェルジュまでもがそう思っていた。
ブランシールは胸の中、たぎるような青い炎を燃やしているというのに。
レーシアーナだけが、その事に微かなりとも気付いていた。
わたくしは言いつけられた事をちゃんとこなしたわ。本人に手紙を渡して、返事も書いてもらった。
そう、レーシアーナはブランシールが受け取った手紙の内容を知らない。
それなのに何故、ブランシール様の様子がおかしいのだろう。それとも、おかしいと思うのはわたくしの気の所為かしら?
レーシアーナには判別つかなかった。
ただ、一つだけ思い当たる節があるとすれば、エスメラルダとレーシアーナが少女の清らかな友情を育んでいた事である。
エスメラルダに執着していらっしゃる、ブランシール様。
たかだか侍女が、自分の想い人を敬称もなしに呼び、手紙のやり取りをしている。
それが、ブランシールの不興を買ってしまっているのだとしたら?
だけれども、もう既にエスメラルダはレーシアーナにとってはなくてはならない人間になっていた。
最初は『お友達ごっこ』のつもりだったのだ。王宮の事に詳しすぎるエスメラルダ。だから、『お友達』として、エスメラルダがブランシールに害意を向けないよう、向けることがあったらそれとなく気付くよう、エスメラルダが切実に望んでいた友情の契りを交わしたつもりだった。
罪深い事だといわれたならそうかもしれない。少女の純情を弄んでいるといわれるかもしれない。
だけれども。
レーシアーナは既にエスメラルダに魅了されつつあった。
エスメラルダの手紙はいつも良い香りがした。そして迷いのない筆跡で大胆に綴られた言葉達。その言葉に触れるだけでレーシアーナは元気になれるような気がした。
エスメラルダはマメであった。
レーシアーナは忙しい。
フランヴェルジュには侍女が四十人いるのだが、レーシアーナはたった一人でブランシールの日常が滞りなく行われるように手配しなくてはならなかった。
返事を書くのは必死だった。だがそれすら愉しめる自分がいる事に、レーシアーナ自身が驚いた。
エスメラルダに会いたい。
レーシアーナはそう思う。でもそれは叶わぬ事だ。レーシアーナは侍女なのだから。
それはそれで仕方ないともレーシアーナは思うのだった。何故なら、レーシアーナはブランシールを愛していたから。
そう。
うら若い乙女が抱けるだけの感情全てを持って、レーシアーナはブランシールを愛していたのだ。
だからこそ、ブランシールが何か隠している事にも、レーシアーナは気付いてしまう。
ブランシール様。
画布に閉じ込められたエスメラルダよりも現実のエスメラルダの方がもっと美しいのですよ。
希代の天才にも、エスメラルダは描ききれなかった。
そんな風に思ってしまい、故人に対する冒涜だと、慌てて天上の魂に祈りを捧げるレーシアーナに、転機は唐突に起きたのだった。
ある昼下がり。冷たい檸檬水をレーシアーナは主人であるブランシールに運んだ。
ところが、居間にいない。
いつもそこで学問に励んでいるのに。自由時間の全てを、将来、兄を支える為の力となる為の知識の吸収に勤しんでいるブランシールなのに。
お加減でも悪いのかしら? 午餐の時は特に変わったご様子は見受けられなかったのだけれども。
レーシアーナは続く部屋の数々を見て回り、最後に寝室の扉をノックした。
果たしてそこに、ブランシールはいた。
「こっちへおいで、レーシアーナ」
「大丈夫ですか!? ブランシール様!?」
ブランシールは天蓋付きベッドの帳の中で姿は窺えない。影だけだ。
レーシアーナは無防備にベッドに近づき、途端、腕をつかまれた。檸檬水が零れる。クリスタルのグラスが澄んだ音を立てて割れる。
少なくともアユリカナもレンドルも、そしてフランヴェルジュまでもがそう思っていた。
ブランシールは胸の中、たぎるような青い炎を燃やしているというのに。
レーシアーナだけが、その事に微かなりとも気付いていた。
わたくしは言いつけられた事をちゃんとこなしたわ。本人に手紙を渡して、返事も書いてもらった。
そう、レーシアーナはブランシールが受け取った手紙の内容を知らない。
それなのに何故、ブランシール様の様子がおかしいのだろう。それとも、おかしいと思うのはわたくしの気の所為かしら?
レーシアーナには判別つかなかった。
ただ、一つだけ思い当たる節があるとすれば、エスメラルダとレーシアーナが少女の清らかな友情を育んでいた事である。
エスメラルダに執着していらっしゃる、ブランシール様。
たかだか侍女が、自分の想い人を敬称もなしに呼び、手紙のやり取りをしている。
それが、ブランシールの不興を買ってしまっているのだとしたら?
だけれども、もう既にエスメラルダはレーシアーナにとってはなくてはならない人間になっていた。
最初は『お友達ごっこ』のつもりだったのだ。王宮の事に詳しすぎるエスメラルダ。だから、『お友達』として、エスメラルダがブランシールに害意を向けないよう、向けることがあったらそれとなく気付くよう、エスメラルダが切実に望んでいた友情の契りを交わしたつもりだった。
罪深い事だといわれたならそうかもしれない。少女の純情を弄んでいるといわれるかもしれない。
だけれども。
レーシアーナは既にエスメラルダに魅了されつつあった。
エスメラルダの手紙はいつも良い香りがした。そして迷いのない筆跡で大胆に綴られた言葉達。その言葉に触れるだけでレーシアーナは元気になれるような気がした。
エスメラルダはマメであった。
レーシアーナは忙しい。
フランヴェルジュには侍女が四十人いるのだが、レーシアーナはたった一人でブランシールの日常が滞りなく行われるように手配しなくてはならなかった。
返事を書くのは必死だった。だがそれすら愉しめる自分がいる事に、レーシアーナ自身が驚いた。
エスメラルダに会いたい。
レーシアーナはそう思う。でもそれは叶わぬ事だ。レーシアーナは侍女なのだから。
それはそれで仕方ないともレーシアーナは思うのだった。何故なら、レーシアーナはブランシールを愛していたから。
そう。
うら若い乙女が抱けるだけの感情全てを持って、レーシアーナはブランシールを愛していたのだ。
だからこそ、ブランシールが何か隠している事にも、レーシアーナは気付いてしまう。
ブランシール様。
画布に閉じ込められたエスメラルダよりも現実のエスメラルダの方がもっと美しいのですよ。
希代の天才にも、エスメラルダは描ききれなかった。
そんな風に思ってしまい、故人に対する冒涜だと、慌てて天上の魂に祈りを捧げるレーシアーナに、転機は唐突に起きたのだった。
ある昼下がり。冷たい檸檬水をレーシアーナは主人であるブランシールに運んだ。
ところが、居間にいない。
いつもそこで学問に励んでいるのに。自由時間の全てを、将来、兄を支える為の力となる為の知識の吸収に勤しんでいるブランシールなのに。
お加減でも悪いのかしら? 午餐の時は特に変わったご様子は見受けられなかったのだけれども。
レーシアーナは続く部屋の数々を見て回り、最後に寝室の扉をノックした。
果たしてそこに、ブランシールはいた。
「こっちへおいで、レーシアーナ」
「大丈夫ですか!? ブランシール様!?」
ブランシールは天蓋付きベッドの帳の中で姿は窺えない。影だけだ。
レーシアーナは無防備にベッドに近づき、途端、腕をつかまれた。檸檬水が零れる。クリスタルのグラスが澄んだ音を立てて割れる。