エスメラルダ
 手紙では、殆ど触れていなかったのだ。
 いつもどおりの封蝋の手紙だった。招待状が入っている以外では。
 『喪服ではなくドレスを着てくるように。万事ブランシールが取り仕切るゆえに』
 ただ、それだけだった。
 フランヴェルジュからの手紙は恋文ではない。いつも思った事や好きなものなどが書かれていた。そして、日々あった面白い事。国王という重責の中、それでもフランヴェルジュの目には面白いものが映ったのだ。
 だけれども、誰かへの誹謗中傷もなく、愚痴もなく、嫌いなものを列挙するわけでもなく、丁寧な手紙だった。
 フランヴェルジュ様は何故わたくしに手紙を送り続けるのだろう? エスメラルダは疑問に思う。
 だから気付かなかった。
 フランヴェルジュが自分の事を学ばせ、自分への興味を持たせようとした事など。
 それは半分成功であった。
 だけれども残り半分は失敗だった。
 エスメラルダに強い影響を与えたのがランカスターである。そのランカスターの甥であるフランヴェルジュは叔父と似ていた。
 ランカスターの外見を引き継いだのがブランシールであれば、中身を引き継いだのがフランヴェルジュだといっても良い。
 だから、フランヴェルジュからの手紙には自分も同感だという事が沢山あった。
 きっと戦友になれたであろうに、と、エスメラルダは己の身分に歯噛みしたくなる。
 位の高い貴族の、そして男であれば。
 だが、そうだったならランカスターに出会っていても、彼の心は動かなかったかも知れぬ。エスメラルダは悔しい。結局。フランヴェルジュの戦友になるのは無理なのだ。
 決して嫌いではないけれども恋愛とは違う。
 エスメラルダはそう思う。
 エスメラルダは恋をした事がない。
 だが、特に興味もなかった。
 エスメラルダは美しい蕾であった。
 花開く事を拒んだ、そんな蕾であった。
 それでも香気が漂うような、そんな蕾。
 フランヴェルジュの視線が離れた。
 恐らく身分あるものなのだろう、灰色の髪をした男がフランヴェルジュに話しかけたのだ。
 フランヴェルジュは五月蝿い事だと思ったが、エスメラルダは正直、『助かった』と思ったのだった。
 何がどう『助かった』のか、エスメラルダには説明できなかったけれども。
 何だろう、あの瞳。
 飲み込まれそうだ。
 何かを命じているフランヴェルジュの顔は真剣そのものだった。
 だけれども余裕がある。
 正しく今のフランヴェルジュは『王者の風格』というものを身に着けているのだろう。
 少し、寂しかった。
 置いていかれたような気がしたのだ。
「エスメラルダ!」
 不意に呼ばれて、エスメラルダは振り返る。
 レーシアーナだった。
 深い青のドレスを着た、『侍女』ではなく『レイデン侯爵令嬢』のレーシアーナは、やはり、美しかった。
「ご免なさい、レーシアーナ。気付くのが遅くなって。お久しぶりね。そちらはどう?」
 エスメラルダは思わず早口でレーシアーナに問いかけた。エスメラルダが誰を見ていたか気付き、レーシアーナは微笑んで見せる。
 レーシアーナはブランシールに付きっ切りであり、それ故、自然とフランヴェルジュの成長を目の当たりにしていた。
 いつも控えている自分ですら、フランヴェルジュの成長に驚いているのだ。エスメラルダは春の夜会のフランヴェルジュしか知らない。衝撃を受ける気持ちも解るのだ。
 だからレーシアーナはぼんやりとしていたエスメラルダに不満をぶつけたりしない。
 仕方のないことだ。そう、レーシアーナは思うのだった。
 でも、と、こっそりと彼女は胸の内で呟く。
 幾ら陛下がご立派になられたとしても、わたくしのブランシール様には敵わないわ。
「わたくしの方は幸せにやっているわ。ブランシール様も、陛下もお優しいし、それに時々『真白塔』にいらっしゃるアユリカナ様にもお会いしているわ。王弟妃として必要な事柄をご教授下さるの」
 そうい言うレーシアーナが、エスメラルダには眩しい。
 レーシアーナは幸せなのだわ。それも、相手がブランシール様だから。
 ちくり、胸に刺さる棘。
 レーシアーナは惚れた男を占有できるのだ。
 何の代償も払わずに。
 少なくともエスメラルダにはそう見えた。
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