エスメラルダ
「遅かったじゃない、エスメラルダ」
レーシアーナは唇を尖らせた。だけれども目は笑っている。すごい胆力だとエスメラルダは思う。
王弟妃となるレーシアーナが開く茶会には、王族に連なるものや大貴族、神殿の権力者の妻や娘が集まる事になっている。
幼い頃、ブランシールの無聊を慰める為だけにレイデン侯爵家から買われたレーシアーナを好き勝手に批評する為に。
だが、レーシアーナは動じない。
茶会が始まるまでまだ間があった。
開始より一時間半前である。
「遅くなってしまってご免なさい、レーシアーナ。貴女、それにしても、綺麗になったわ」
エスメラルダは素直な賛辞の言葉を送った。
「有難う、エスメラルダ。貴女にも好きな方が出来る事を祈っているわ」
エスメラルダはきょとんとした。
好きな方?
「それが綺麗になる事と関係あるの? だってレーシアーナ、初めてわたくし達が顔を合わせた時から、貴女、ブランシール様がお好きだったじゃない」
エスメラルダの言葉にレーシアーナは苦笑する。
「あのね、好きな方が出来てね、その方と肌を重ねると良いと言いたかったの。男を知ると女は変わるわ。わたくしも毎晩感じるもの。日に日に自分が変わっていくのを」
「毎晩? ……なの?」
「墓穴を掘ったみたいね。毎晩に近いわ」
レーシアーナの顔が赤くなるのを見て、エスメラルダは羨ましくなる。
わたくしにも好きな方が出来たら。
その時、不意に初夏の夜の庭園を思い出した。あの時、『花を摘まれた事』。
エスメラルダは怒らなかった。
相手がやんごとない身分の者だからではない。単純に腹が立たなかったのだ。
どうしてだろう。
憤って平手の一撃でも食らわせてやってもおかしくない出来事だったのに。
「ねぇ、レーシアーナ。『花を摘まれて』でも腹が立たないってどういう事かしら?」
エスメラルダの素朴なその問いにレーシアーナは目を丸くした。
「貴女、それって……恋しているって事じゃないかしら? だって好きでもない男との口付けなんて」
「恋なんてしていないわ」
エスメラルダは言い切った。
「胸がどきどきする訳でもないの。どちらかと言うとわくわくしたりもしないわ。ただ、憂鬱に思うの。どうしてあの時、キスを許してしまったのかしらって。そして同じ事が起きたら、わたくしは、きっとまたキスを許してしまうのだわ」
それは立派に恋の範疇に入るとレーシアーナは思った。だけれども、指摘はしない。恋は甘いだけでなく、時に苦いものである事をレーシアーナは熟知している。憂鬱を覚えることもあると解っている。
だけれども、レーシアーナはエスメラルダにそれを指摘するつもりは無かった。
エスメラルダは良い娘なのだけれども、でも、頭でっかちなところがあるわ。それに頑固で手がつけられない事も。
指摘しても反論が返ってくるだけであろう。
しかし、何処の誰がエスメラルダの唇を奪ったのか。レーシアーナはそっちの方に興味がわいたが聞かないでおいた。蛇が飛び出るかも知れぬ藪などつついてたまるか。
「ねぇ、レーシアーナ。恋だの云々はもういいわ。あのね、本当にわたくしがいても大丈夫? 余計な隙を与えないかしら? 母もランカスター様も宮廷でのしきたりは何一つ教えて下さらなかったわ」
エスメラルダを愛した二人は彼女が宮廷だなどという所に行く事など完全にありえないと思っていたのだ。
そこは魔窟だから。
「大丈夫よ。普通にお茶を楽しめば良いの。まぁ、敵陣の中でたった二人でどう楽しめって言うのかって感じはするけれどもね。でも、普通で良いのよ。しきたりだなんだとか言っても皆、全部把握している訳ではないもの。それだけ煩雑に過ぎると言うことね。だから幾らでもごまかしは利くの。それにしても綺麗なドレスね、エスメラルダ」
「武装のつもりよ。短剣の代わりにレースを。レイピアの代わりにリボンを」
「ちゃんと解っているじゃない。宮廷での戦い方。あら、もう三十分しかないわ。一時間お喋りしていた事になるわね。庭園に出ましょう。お茶会は庭園で行うの」
踊るような足取りのレーシアーナをエスメラルダが追う。エメラルドの耳飾りが揺れる。
レーシアーナは唇を尖らせた。だけれども目は笑っている。すごい胆力だとエスメラルダは思う。
王弟妃となるレーシアーナが開く茶会には、王族に連なるものや大貴族、神殿の権力者の妻や娘が集まる事になっている。
幼い頃、ブランシールの無聊を慰める為だけにレイデン侯爵家から買われたレーシアーナを好き勝手に批評する為に。
だが、レーシアーナは動じない。
茶会が始まるまでまだ間があった。
開始より一時間半前である。
「遅くなってしまってご免なさい、レーシアーナ。貴女、それにしても、綺麗になったわ」
エスメラルダは素直な賛辞の言葉を送った。
「有難う、エスメラルダ。貴女にも好きな方が出来る事を祈っているわ」
エスメラルダはきょとんとした。
好きな方?
「それが綺麗になる事と関係あるの? だってレーシアーナ、初めてわたくし達が顔を合わせた時から、貴女、ブランシール様がお好きだったじゃない」
エスメラルダの言葉にレーシアーナは苦笑する。
「あのね、好きな方が出来てね、その方と肌を重ねると良いと言いたかったの。男を知ると女は変わるわ。わたくしも毎晩感じるもの。日に日に自分が変わっていくのを」
「毎晩? ……なの?」
「墓穴を掘ったみたいね。毎晩に近いわ」
レーシアーナの顔が赤くなるのを見て、エスメラルダは羨ましくなる。
わたくしにも好きな方が出来たら。
その時、不意に初夏の夜の庭園を思い出した。あの時、『花を摘まれた事』。
エスメラルダは怒らなかった。
相手がやんごとない身分の者だからではない。単純に腹が立たなかったのだ。
どうしてだろう。
憤って平手の一撃でも食らわせてやってもおかしくない出来事だったのに。
「ねぇ、レーシアーナ。『花を摘まれて』でも腹が立たないってどういう事かしら?」
エスメラルダの素朴なその問いにレーシアーナは目を丸くした。
「貴女、それって……恋しているって事じゃないかしら? だって好きでもない男との口付けなんて」
「恋なんてしていないわ」
エスメラルダは言い切った。
「胸がどきどきする訳でもないの。どちらかと言うとわくわくしたりもしないわ。ただ、憂鬱に思うの。どうしてあの時、キスを許してしまったのかしらって。そして同じ事が起きたら、わたくしは、きっとまたキスを許してしまうのだわ」
それは立派に恋の範疇に入るとレーシアーナは思った。だけれども、指摘はしない。恋は甘いだけでなく、時に苦いものである事をレーシアーナは熟知している。憂鬱を覚えることもあると解っている。
だけれども、レーシアーナはエスメラルダにそれを指摘するつもりは無かった。
エスメラルダは良い娘なのだけれども、でも、頭でっかちなところがあるわ。それに頑固で手がつけられない事も。
指摘しても反論が返ってくるだけであろう。
しかし、何処の誰がエスメラルダの唇を奪ったのか。レーシアーナはそっちの方に興味がわいたが聞かないでおいた。蛇が飛び出るかも知れぬ藪などつついてたまるか。
「ねぇ、レーシアーナ。恋だの云々はもういいわ。あのね、本当にわたくしがいても大丈夫? 余計な隙を与えないかしら? 母もランカスター様も宮廷でのしきたりは何一つ教えて下さらなかったわ」
エスメラルダを愛した二人は彼女が宮廷だなどという所に行く事など完全にありえないと思っていたのだ。
そこは魔窟だから。
「大丈夫よ。普通にお茶を楽しめば良いの。まぁ、敵陣の中でたった二人でどう楽しめって言うのかって感じはするけれどもね。でも、普通で良いのよ。しきたりだなんだとか言っても皆、全部把握している訳ではないもの。それだけ煩雑に過ぎると言うことね。だから幾らでもごまかしは利くの。それにしても綺麗なドレスね、エスメラルダ」
「武装のつもりよ。短剣の代わりにレースを。レイピアの代わりにリボンを」
「ちゃんと解っているじゃない。宮廷での戦い方。あら、もう三十分しかないわ。一時間お喋りしていた事になるわね。庭園に出ましょう。お茶会は庭園で行うの」
踊るような足取りのレーシアーナをエスメラルダが追う。エメラルドの耳飾りが揺れる。