エスメラルダ
第十章・螺旋状の想い
晩秋の頃である。エスメラルダとレーシアーナは王城へと急いでいた。
そろそろ朝は寒い。
だが、夜明けと共に王都カリナグレイの城門が開くなり馬車でそこを潜り抜けた少女達は熱い興奮に包まれていた。
『エスメラルダとレーシアーナが乗った馬車』は三日後、カリナグレイに辿り着く筈であった。王家の紋章入りの、派手な馬車は今頃何処を走っているだろうと少女達は噂する。彼女らの帰国は秘密裏に運ばれた。全てアユリカナの手配である。
ブランシールを牢から出したという報せが届いた時、少女らは飛び上がったのだ。
今、ブランシールは『真白塔』にいるらしい。彼にあてがわれた二階の部屋は、一階に続きアユリカナの部屋でもあった。
だから秘密裏に隠す事が出来たのである。
「ブランシール様にちゃんと妊娠をお伝えしていないのよ、わたくし」
レーシアーナが馬車の中で何度言ったか解らない言葉を口に出した。
「その姿を見せれば一目瞭然ではなくて?」
言うエスメラルダに、レーシアーナは惨めな声を出す。
「でも、でも、もし、不義の子だと思われたら……ああ、ブランシール様!」
エスメラルダは扇の陰で溜息を噛み殺した。
妊婦特有のヒステリーであろうか?
レーシアーナはもう百回は同じ事を言ったと、エスメラルダは思っている。
だが、エスメラルダは哀れな親友の事をふと忘れそうになる自分に気付いた。
もうすぐ。
もうすぐ、フランヴェルジュ様にお逢い出来るのだわ。
それは歓喜であり恐怖であった。
逢った途端、魔法が消えるように、フランヴェルジュの胸のうちから自分への想いが消えてしまったらどうしよう?
ただの遊びだったと言われたならどうしよう?
でも、逢いたかった。
逢いたくて逢いたくて逢いたくて。
エスメラルダはレーシアーナに優しく慰めの言葉をかけながら、ひたすらに思った。
早く!
早く王城へ!!
エスメラルダの望むものはそこに在る。
フランヴェルジュはそこに居る。
「さぁ、さぁ、大丈夫だから! ブランシール様が貴女の不貞を疑われる筈無いじゃないの。貴方の貞淑さを一番ご存知の方が」
エスメラルダは務めて明るく言う。自分の心の焦燥を押し隠して。
「でも、例えそうでも、ブランシール様は恥だと思われるかもしれないわ。婚姻前よ?」
「そんな薄情な方に惚れたの? 貴女は」
エスメラルダの少し意地の悪い問いにレーシアーナは慌ててかぶりを振った。
「違うわ! ブランシール様は薄情な方ではないわ!! ……でも、あの方は王族だわ。二ヵ月半、カリナグレイを離れていたでしょう? わたくしね、全て夢だったような気がするの。わたくしがあの方の寵愛を受けた事も求婚を受けた事も」
ずきん、と、エスメラルダの胸が痛んだ。
その気持ちなら解る。自分もあのキスが夢だったのではないかと思えてしまう時があるからだ。
紫檀の箱はレーシアーナには見せられない。
恋人からの手紙がぎっしり詰まった箱などレーシアーナを悲しませこそすれ、喜ばせる事は出来ないだろう。
エスメラルダは知らず、レーシアーナを軽んじていた。共に喜ぶことが出来る存在だとは考えなかった。考えられなかった。
しかし、一概にエスメラルダを責められないであろう。何故ならエスメラルダはまだ十六の乙女であり、いかな美酒より甘美な初恋に酔う少女だったのだ。
「レーシアーナ、王城が近づいてきたわ」
エスメラルダが囁いた。
白亜の王城。名前の無い城。
その建物に名前が無いのは付け忘れたためでは勿論無かった。余りに美しく、どのような名前でもその美を表しきれないという事からただ単に王城と呼ばれているのである。
フランヴェルジュ様!!
馬車は裏門に回り、そこで手配していたものと打ち合わせ『真白塔』の近くの車寄せに馬車が止まった。
今回の旅は御者とエスメラルダ、レーシアーナの三人であった。妊婦ではあるが侍女であったレーシアーナは、自分の面倒だけでなく他人の面倒も見る事が出来たからである。全てを秘密裏に。ただ、その為に。
そろそろ朝は寒い。
だが、夜明けと共に王都カリナグレイの城門が開くなり馬車でそこを潜り抜けた少女達は熱い興奮に包まれていた。
『エスメラルダとレーシアーナが乗った馬車』は三日後、カリナグレイに辿り着く筈であった。王家の紋章入りの、派手な馬車は今頃何処を走っているだろうと少女達は噂する。彼女らの帰国は秘密裏に運ばれた。全てアユリカナの手配である。
ブランシールを牢から出したという報せが届いた時、少女らは飛び上がったのだ。
今、ブランシールは『真白塔』にいるらしい。彼にあてがわれた二階の部屋は、一階に続きアユリカナの部屋でもあった。
だから秘密裏に隠す事が出来たのである。
「ブランシール様にちゃんと妊娠をお伝えしていないのよ、わたくし」
レーシアーナが馬車の中で何度言ったか解らない言葉を口に出した。
「その姿を見せれば一目瞭然ではなくて?」
言うエスメラルダに、レーシアーナは惨めな声を出す。
「でも、でも、もし、不義の子だと思われたら……ああ、ブランシール様!」
エスメラルダは扇の陰で溜息を噛み殺した。
妊婦特有のヒステリーであろうか?
レーシアーナはもう百回は同じ事を言ったと、エスメラルダは思っている。
だが、エスメラルダは哀れな親友の事をふと忘れそうになる自分に気付いた。
もうすぐ。
もうすぐ、フランヴェルジュ様にお逢い出来るのだわ。
それは歓喜であり恐怖であった。
逢った途端、魔法が消えるように、フランヴェルジュの胸のうちから自分への想いが消えてしまったらどうしよう?
ただの遊びだったと言われたならどうしよう?
でも、逢いたかった。
逢いたくて逢いたくて逢いたくて。
エスメラルダはレーシアーナに優しく慰めの言葉をかけながら、ひたすらに思った。
早く!
早く王城へ!!
エスメラルダの望むものはそこに在る。
フランヴェルジュはそこに居る。
「さぁ、さぁ、大丈夫だから! ブランシール様が貴女の不貞を疑われる筈無いじゃないの。貴方の貞淑さを一番ご存知の方が」
エスメラルダは務めて明るく言う。自分の心の焦燥を押し隠して。
「でも、例えそうでも、ブランシール様は恥だと思われるかもしれないわ。婚姻前よ?」
「そんな薄情な方に惚れたの? 貴女は」
エスメラルダの少し意地の悪い問いにレーシアーナは慌ててかぶりを振った。
「違うわ! ブランシール様は薄情な方ではないわ!! ……でも、あの方は王族だわ。二ヵ月半、カリナグレイを離れていたでしょう? わたくしね、全て夢だったような気がするの。わたくしがあの方の寵愛を受けた事も求婚を受けた事も」
ずきん、と、エスメラルダの胸が痛んだ。
その気持ちなら解る。自分もあのキスが夢だったのではないかと思えてしまう時があるからだ。
紫檀の箱はレーシアーナには見せられない。
恋人からの手紙がぎっしり詰まった箱などレーシアーナを悲しませこそすれ、喜ばせる事は出来ないだろう。
エスメラルダは知らず、レーシアーナを軽んじていた。共に喜ぶことが出来る存在だとは考えなかった。考えられなかった。
しかし、一概にエスメラルダを責められないであろう。何故ならエスメラルダはまだ十六の乙女であり、いかな美酒より甘美な初恋に酔う少女だったのだ。
「レーシアーナ、王城が近づいてきたわ」
エスメラルダが囁いた。
白亜の王城。名前の無い城。
その建物に名前が無いのは付け忘れたためでは勿論無かった。余りに美しく、どのような名前でもその美を表しきれないという事からただ単に王城と呼ばれているのである。
フランヴェルジュ様!!
馬車は裏門に回り、そこで手配していたものと打ち合わせ『真白塔』の近くの車寄せに馬車が止まった。
今回の旅は御者とエスメラルダ、レーシアーナの三人であった。妊婦ではあるが侍女であったレーシアーナは、自分の面倒だけでなく他人の面倒も見る事が出来たからである。全てを秘密裏に。ただ、その為に。