恋の花咲く事もある。
風と炎
エルダナの意味深な呟きに、マリアとラゼリードは言葉を失った。
単なる客人の世話係であるマリアには何が起きているのかさっぱり理解出来ていないし、ラゼリードはルクラァン国王の前で醜態を見せた事で頭が真っ白になっている。
そして騒ぎの根元であるルクラァン国王エルダナは、跪きラゼリードの手を取ったまま青ざめている。
なんとも気まずい沈黙が場を満たす。
真っ先に口を開いたのはマリアだった。
「国王陛下……どうかご退室を」
「うむ。……ラゼリード姫」
「はい」
エルダナはマリアに向かって頷くと、ラゼリードに向き直った。ラゼリードは目を上げて、エルダナの顔を初めて間近に見た。
エルダナは両目共に、きらきらと輝くざくろ石の様な透き通った赤い色の瞳を持っていた。
無論、火精だ。
直毛の黒髪と、陽光により健康的に灼けた肌に、赤い瞳が良く映えている。
そして顎に髭を蓄えている為、若干年長者に見えるが、実はその顔は若々しい。彼の顔から髭を剃るなりして取り除けば、ラゼリードと似たような年の頃に見えるだろう。
エルダナは、ラゼリードと視線を合わせたかと思うと、深々と頭を垂れた。
ラゼリードは吃驚してしまう。彼女は、人目のあるなしに関わらず王は頭を下げるものではないと教わっていたから。
「許可も無く化粧室に押し入るという、真に無礼な真似を致しました。この非礼、どの様にお詫びすれば良いか分かりませぬ」
「いえ……何やら事情がおありのご様子。わたくしは気に致しませんので、どうぞお顔を上げて下さいませ」
エルダナは頭を垂れたまま、顔を上げない。ラゼリードは、ますます胸が気まずい思いで満たされるのを感じて焦りを覚えた。
「お許し頂けますか」
「はい。ですからお顔を上げて下さい」
ラゼリードの返答で、ようやくエルダナが顔を上げた。
「では後程、夜会が催されているホールに面したバルコニーでお会い致しましょう。お話したき事が御座います故」
エルダナは優雅な仕草で立ち上がると、黒衣の裾を翻し、一礼して扉へと向かった。
扉をすり抜けざまに振り返る。
「ところで、姫……その指輪は」
マリアがギロリと国王を睨み付けた。
「いや、いい。後にしましょう。このまま此処に居ては、ロンサーユ夫人に視線で射殺されそうだ」
エルダナはおどけた様に肩を竦める。マリアは一瞬自分を恥じる様に怯んだが、そこは譲るまいとばかりに再び視線を強くした。
「夫人は実にいい目をしている。大事なお客様と化粧室を預けるには非常に心強い。だが、私自身にその視線を向けられるとなれば話は別だ。……失礼するよ」
今度こそ国王は退室した。やや慌てた様子だったが、彼は去り際に茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせるのも忘れなかった。
入室した時同様の派手な足音が去ったのを確認すると、マリアとラゼリードは同時に溜息を吐いた。どちらからともなく顔を見合わせる。
「脚を見られてしまったわ……。はしたないと思われたでしょうね」
「お忘れ下さいませ。陛下が他言されるような事は誓って御座いません。無論、私もです」
「そういう問題じゃないわ。羞恥心の問題よ」
「そうですね。では、お召し替え下さいませ。とびきりの美しさで陛下を吃驚させてしまいましょう。きっと只今の事などお忘れ下さいますわ」
「そうなるといいわね」
一仕事する気満々で腕まくりをするマリアに、ラゼリードは戸惑った様な困った様な曖昧な微笑みを顔に浮かべた。
美女と名高かった母親譲りの美貌を持っていながら、彼女は自分の容貌に無頓着で、器量良しであるという自覚が甚だ薄かった。
故に美しく着飾る作業はマリアの感性に一任し、ラゼリードはぼんやりと中空に視線を彷徨わせた。
マリアは化粧直しの際に腕前を垣間見せた様に働き者で、ラゼリードはあっという間に今まで着ていたドレスを剥がされる。
下着姿になった彼女は、冷たい外気にふるりと震えて鳥肌を立てながら、思い返す様にぽつりと呟く。
「わたくし、エルダナ様にあの様に間近でお目通りした事がなかったわ。昔、エルダナ様が我が国にいらっしゃった時は遠くからお姿を拝見しただけだったし、今朝入城する際に行った謁見も、玉座とは距離があったの」
マリアが手元の紙箱から白いドレスを引き出す。先程まで着ていたデコルテではなく、肩も背中も剥き出しのドレスだ。
先程も白いドレスだったので、二の腕まである長手袋はそのまま使い回す。
「我が王のご印象はいかがですか?」
マリアがラゼリードを促して、ドレスに足を通させる。問い掛けながらもマリアはドレスを引き上げたり、紐を締めたりと大忙しだ。
「とても快活な方ね。こう思うのはとても失礼な事だけれども、どこか少年の様な雰囲気を感じたわ。……でもそれだけではないわね」
「と、仰いますと?」
「単純な言葉では表し切れないわ。どう表現していいのかわからない。そうね……底の見えない谷みたい」
ラゼリードは自らの言葉を打ち消しては紡ぎ、また打ち消すのを繰り返してエルダナを形容するが、どれもしっくりこないので、最終的にはよく分からない例えに落ち着いてしまった。
マリアは鋭い音を立てて、新たに着付けたドレスの飾り紐を結んだ。
「陛下は非常に優れた為政者ですのよ。でも、人一倍お仕事がお出来になられる代わりに、遊び心も人一倍あられますの。陛下のお人となりを知る者は皆、あの方の事を敬愛を込めて『遊び心の君』と呼んでお慕いしております」
着付けと髪結いが終わって背中を押され、ラゼリードは渋々化粧室を後にした。
本当はマリアともっと話していたかったけれど、ラゼリードは再びエルダナに会わなければならない。
エルダナの居る場所へとたどり着くには、貴族共の間をすり抜ける必要がある。
またあの連中と話すのかと思うと気が滅入りそうだった。
大広間への通路を歩きながら、彼女は引き締めていた唇を緩めて笑みを作る。
装わなくては勝てないだなんて、自分はなんと弱いのだと痛感した。
単なる客人の世話係であるマリアには何が起きているのかさっぱり理解出来ていないし、ラゼリードはルクラァン国王の前で醜態を見せた事で頭が真っ白になっている。
そして騒ぎの根元であるルクラァン国王エルダナは、跪きラゼリードの手を取ったまま青ざめている。
なんとも気まずい沈黙が場を満たす。
真っ先に口を開いたのはマリアだった。
「国王陛下……どうかご退室を」
「うむ。……ラゼリード姫」
「はい」
エルダナはマリアに向かって頷くと、ラゼリードに向き直った。ラゼリードは目を上げて、エルダナの顔を初めて間近に見た。
エルダナは両目共に、きらきらと輝くざくろ石の様な透き通った赤い色の瞳を持っていた。
無論、火精だ。
直毛の黒髪と、陽光により健康的に灼けた肌に、赤い瞳が良く映えている。
そして顎に髭を蓄えている為、若干年長者に見えるが、実はその顔は若々しい。彼の顔から髭を剃るなりして取り除けば、ラゼリードと似たような年の頃に見えるだろう。
エルダナは、ラゼリードと視線を合わせたかと思うと、深々と頭を垂れた。
ラゼリードは吃驚してしまう。彼女は、人目のあるなしに関わらず王は頭を下げるものではないと教わっていたから。
「許可も無く化粧室に押し入るという、真に無礼な真似を致しました。この非礼、どの様にお詫びすれば良いか分かりませぬ」
「いえ……何やら事情がおありのご様子。わたくしは気に致しませんので、どうぞお顔を上げて下さいませ」
エルダナは頭を垂れたまま、顔を上げない。ラゼリードは、ますます胸が気まずい思いで満たされるのを感じて焦りを覚えた。
「お許し頂けますか」
「はい。ですからお顔を上げて下さい」
ラゼリードの返答で、ようやくエルダナが顔を上げた。
「では後程、夜会が催されているホールに面したバルコニーでお会い致しましょう。お話したき事が御座います故」
エルダナは優雅な仕草で立ち上がると、黒衣の裾を翻し、一礼して扉へと向かった。
扉をすり抜けざまに振り返る。
「ところで、姫……その指輪は」
マリアがギロリと国王を睨み付けた。
「いや、いい。後にしましょう。このまま此処に居ては、ロンサーユ夫人に視線で射殺されそうだ」
エルダナはおどけた様に肩を竦める。マリアは一瞬自分を恥じる様に怯んだが、そこは譲るまいとばかりに再び視線を強くした。
「夫人は実にいい目をしている。大事なお客様と化粧室を預けるには非常に心強い。だが、私自身にその視線を向けられるとなれば話は別だ。……失礼するよ」
今度こそ国王は退室した。やや慌てた様子だったが、彼は去り際に茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせるのも忘れなかった。
入室した時同様の派手な足音が去ったのを確認すると、マリアとラゼリードは同時に溜息を吐いた。どちらからともなく顔を見合わせる。
「脚を見られてしまったわ……。はしたないと思われたでしょうね」
「お忘れ下さいませ。陛下が他言されるような事は誓って御座いません。無論、私もです」
「そういう問題じゃないわ。羞恥心の問題よ」
「そうですね。では、お召し替え下さいませ。とびきりの美しさで陛下を吃驚させてしまいましょう。きっと只今の事などお忘れ下さいますわ」
「そうなるといいわね」
一仕事する気満々で腕まくりをするマリアに、ラゼリードは戸惑った様な困った様な曖昧な微笑みを顔に浮かべた。
美女と名高かった母親譲りの美貌を持っていながら、彼女は自分の容貌に無頓着で、器量良しであるという自覚が甚だ薄かった。
故に美しく着飾る作業はマリアの感性に一任し、ラゼリードはぼんやりと中空に視線を彷徨わせた。
マリアは化粧直しの際に腕前を垣間見せた様に働き者で、ラゼリードはあっという間に今まで着ていたドレスを剥がされる。
下着姿になった彼女は、冷たい外気にふるりと震えて鳥肌を立てながら、思い返す様にぽつりと呟く。
「わたくし、エルダナ様にあの様に間近でお目通りした事がなかったわ。昔、エルダナ様が我が国にいらっしゃった時は遠くからお姿を拝見しただけだったし、今朝入城する際に行った謁見も、玉座とは距離があったの」
マリアが手元の紙箱から白いドレスを引き出す。先程まで着ていたデコルテではなく、肩も背中も剥き出しのドレスだ。
先程も白いドレスだったので、二の腕まである長手袋はそのまま使い回す。
「我が王のご印象はいかがですか?」
マリアがラゼリードを促して、ドレスに足を通させる。問い掛けながらもマリアはドレスを引き上げたり、紐を締めたりと大忙しだ。
「とても快活な方ね。こう思うのはとても失礼な事だけれども、どこか少年の様な雰囲気を感じたわ。……でもそれだけではないわね」
「と、仰いますと?」
「単純な言葉では表し切れないわ。どう表現していいのかわからない。そうね……底の見えない谷みたい」
ラゼリードは自らの言葉を打ち消しては紡ぎ、また打ち消すのを繰り返してエルダナを形容するが、どれもしっくりこないので、最終的にはよく分からない例えに落ち着いてしまった。
マリアは鋭い音を立てて、新たに着付けたドレスの飾り紐を結んだ。
「陛下は非常に優れた為政者ですのよ。でも、人一倍お仕事がお出来になられる代わりに、遊び心も人一倍あられますの。陛下のお人となりを知る者は皆、あの方の事を敬愛を込めて『遊び心の君』と呼んでお慕いしております」
着付けと髪結いが終わって背中を押され、ラゼリードは渋々化粧室を後にした。
本当はマリアともっと話していたかったけれど、ラゼリードは再びエルダナに会わなければならない。
エルダナの居る場所へとたどり着くには、貴族共の間をすり抜ける必要がある。
またあの連中と話すのかと思うと気が滅入りそうだった。
大広間への通路を歩きながら、彼女は引き締めていた唇を緩めて笑みを作る。
装わなくては勝てないだなんて、自分はなんと弱いのだと痛感した。