恋の花咲く事もある。
 王宮でエルダナの風向きが悪くなっているまさにその時、ラゼリードも風向き悪く煙に巻かれていた。
 まだ自由に能力を使えないとはいえ、彼とて風の精霊だ。
 いくらなんでも煙で肺を詰まらせる程無力ではないが、災害の前では自分の周りに新鮮な風を纏うだけで精一杯だった。
 しかも尚悪い事に、ラゼリードが今居る場所は屋根の上である。
 西区街の大通りは避難する人々や野次馬、鎮火に当たる魔道隊と救護兵で溢れかえっていて火元に辿り着けなかった為、やむなく民家の屋根に上って移動したのだ。
 煙で燻されている様なものである。
 その煙が……性質が悪かった。
「なんだ、これは。風に混じって……灰、じゃないな……」
 頭が甘く痺れて、ぐらぐらと揺れているような気がする。明らかに悪しきモノが大気に紛れて舞い上がっているのが彼には判る。
 ラゼリードは少しでも煙の被害を防ごうと、屋根の上で伏せたまま辺りを見回した。丁度、大きな通りの十字路の角だ。そこから先に屋根は無い。煙の所為で見えにくいが、通りは避難民と兵隊だらけだ。
「飛べば流石に目立つし……これ以上は屋根伝いは無理か」
 火元はもうすぐそこなのに。
 燃えているのは『アグニーニ』。そしてカティの花かも知れない。
「どうしたら……!」
 その時、ラゼリードが行使したものではない自然の強い風が吹いて、煙が大きく向きを変えた。
 視界が明瞭になり、下の大通りが見渡せる。
 未だ避難民が逃げ惑う中、立ち尽くす黒髪の少年の姿が見えた。
 押し寄せる避難民と肩をぶつけようともその場から動かない。
 その少年が風の吹いて来る方向に振り向いて空を仰いだ。
「!」
 ラゼリードが息を飲んだ。
 赤い瞳。昨日の昼にエカミナの店ですれ違い、その後路地裏でラゼリードを見上げて指輪を填めた、あの顔。
 少年が動いた。
 事もあろうに火元へ向かって勢い良く駆け出す。
 消火の為に前線に立つ魔道隊の隙間をすり抜けた。
 魔道隊の一人が捕まえようとするも、少年はそれをもかいくぐり、そのまま煙の中に消えてしまう。
「ハルモニア!」
 ラゼリードは思わず叫び、屋根の上で立ち上がると、吹いて来る風に乗る様に一気に通りと通りの間を。

 飛んだ。

 彼はそのまま迷う事なく煙の中へ飛び込み、一度、魔道隊の遥か前方に着地してから燃え盛る建物の中へ突っ込んだ。


 建物の中は火の海だった。その真っ只中を少年──ハルモニアは意も介さずに歩く。
 途中で落ちている梁に足を取られて転びそうになり、とっさに燃えている柱に手を付いたが、ハルモニアは無傷だった。
 この世のどんな炎も彼を害する事は無い。幼くして彼はあらゆる炎の支配者だった。
 ハルモニアはやがて焼け残った扉を見つけると、指で差し示した。
 扉が音も無く炎に包まれる。
 少年が口元を外套で覆いながら部屋の中に踏み入る。
 室内には布袋が山と詰まれていた。
「信じられない。まだこんなに残っていたのか」
 彼はとりわけ小さな袋を選んで腰の荷袋に押し込むと、両手をいっぱいに広げて爪先立ちになった。そのまま勢い良くしゃがみ込む。
 そう広くは無い室内が、ボッと音を立てて炎に包まれた。
 少年が額の汗を手の甲で拭う。
「魔道隊如きに俺の炎は破られないだろうけど……。早く燃やしてしまわないと、雨が来る。そうしたら終わりだ」
「何を燃やした?」
 声に驚いてハルモニアが素早く振り向く。
 部屋の入り口に険しい表情のラゼリードが立っていた。
「あなたは……?」
 ハルモニアが口をぽかんと開ける。
 ラゼリードは業を煮やしてハルモニアに近寄った。そのまま自分の胸元辺りまでしかない背丈の少年の胸倉を掴む。
「何を燃やしたと聞いている! こんな所で何をしているんだ!? ハルモニア王子!!」
 ラゼリードの剣幕に一瞬息を詰めたハルモニアだったが、直ぐに落ち着いた表情に戻った。
「昨日の今日で俺の事を知ったのか。素性が判るまではあれが何かは話せない。あなたは何者なんだ? まさか『アグニーニ』の一味じゃあるまいな」
 ギリ、とラゼリードが奥歯を噛んだ。低く抑えた声で早口にまくし立てる。
「私はカテュリアから来たエイオン・アーシャだ。盗まれたカティを追っている」
「そうか。あなたの言葉を信じる。敵ではないのだと、俺自身が信じたいから」
 ハルモニアがラゼリードの右耳の側に手を差し伸べる。
「敵だったら、燃やさなきゃいけなかった」
 ハルモニアがニィッと微笑む。ラゼリードの背筋を寒気が這い上がる。
 敵を『燃やす』と言った。おそらく彼は人を殺す事に躊躇いも、罪悪感も覚えていない。
 ラゼリードより2歳年上で、外見的には12歳程の少年が。

 これが同じ王族か!?

 ラゼリードの頭の後ろ、ハルモニアの手元で魔力が凝縮される。ハルモニアが呟いた。
「そのまま動くな。手加減はしてやる」

 轟音と共に炎が爆ぜた。
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