恋の花咲く事もある。
「あの……離してもらえないか?」

 引っ張られて走りながらフードを引き上げ、ラゼリードはなるたけ穏便に少年に声を掛ける。もう裏通りからは脱出していた。時折擦れ違う人々が走り抜ける彼らを振り返って見る。

「駄目だ、もう少し、安全な場所、まで……」

 『若様』は遠くから走って来たのか、かなり息が切れている様だった。鋭く息を吐きながらも、速度は少しも緩めない。

 ラゼリードは彼が好意で自分を胡散臭い場所から連れ出そうとしてくれているのだと理解したが、性別と顔立ちにコンプレックスを抱く彼は、複雑な想いを拭えなかった。

「いいから、離せ」

 下手に人通りの多い場所に入られて正体がバレでもしたらまずい。ラゼリードは少年の腕を掴んで、逆に裏通りとはまた別の路地に引っ張り込んだ。

「……はぁっ……」

 少年が荒い息を吐いて崩れる。ラゼリードも少し息が上がっていた。

 お互いにしばらく無言で息を整える。

「あの……」

 『若様』とエカミナや、老人に呼ばれていた少年が顔を上げた。

 ラゼリードは改めて彼の顔をまともに見る事になる。

 少年は確かにエカミナの言う通り、整った顔をしていた。黒い髪に、日に灼けた肌。瞳は真紅。

 人間にはありえない瞳の色に、ラゼリードは彼も精霊だと気付いた。

(……赤い瞳は大体が火属性)

 ラゼリードは昔、先の守護精霊に教わった事を思い出す。

 考え事をしていた彼は、少年が自らの中指から、血色のルビーの指輪を抜いた事に気付かなかった。

「……あの」

「ん?」

 少年が再びラゼリードに話しかけた。心なしか少年が震えている。

「どうしたの」

 ラゼリードは、少年の乱れた髪を左手でそっと整えてやる。すると少年はビクリと震えて目を伏せた。

「あ……触ってごめん」

 てっきり少年が怯えたのだと思ったラゼリードは、手を引っ込めようとした。

 ……が。

 『若様』は、ガシッとラゼリードの左手を掴んで、あやまたずその薬指に手にした指輪を
 
 填めた。
 
「俺と結婚して下さい」

「はあ?」

 指輪のルビーがキラッと光を放ち、環になった部分が彼の薬指にぴたりと貼り付く。

 その時、路地の入り口に狙いすました様に少年を追いかけていた老人が現れた。

「わ、若様! なんという事を!」

「これが、俺の気持ちです」

 少年は茫然自失しているラゼリードの頬に唇を落とすと、路地の奥へと駆け去った。
< 5 / 25 >

この作品をシェア

pagetop