薔薇を食する少女達
プロローグ
幾重もの薄い皮膚の層に覆われた、細静脈が、ふつりと切れた。
一定の規則で循環していた血液が、ほんの小さな綻びから、外の空気にこぼれ出す。
得体の知れない人間の肉体──すなわち自分自身の身体に、たった今まで傷一つなかった。
その一部である右手首から、今、赤い血液が滴っている。
少女は、自分の手首を眺めていた。
傍らにいた心友が、少女の手首を支えて、赤い赤い生命の水に舌を這わせていく。
「痛い?」
「よく分からない」
本当は、恍惚だけがそこにはあった。
「私が貴女の血をもらったら、貴女が……私の血を、飲んで」
「ああ、君の血をもらう」
「神様に、叱られるかしら」
少女の、手首から滴り落ちる血という血が、同い年の心友の喉に収められていく。
甘い甘い蜂蜜を貪る童女のような心友に、少女の血が啜られてゆく。
「さ、交代」
少女が、心友の手首を捕らえた。
鋭利な針をちくりと刺して、歯を立てる。少女の口内に、みるみる鉄錆の匂いが広がる。
「甘い」
「貴女のも、多分、同じ味がしてよ」
「私の命が、君のものに。君の命が、私のものに。これで……なるのだろうか」
「なるわ、きっと。私達は、二つで一つの命になる」
「血の伯爵夫人みたいに、永遠の身体を」
「手に入れられる。彼女にも手に入れられなかった永遠が、私達には可能だから」
少女は、夢のような未来を語る心友を、疑わなかった。
遡ることおよそ三百年前、トランシルヴァニア国公の家系に、「血の伯爵婦人」の異名を持つ貴人がいた。彼女の名を、エリザベート・バートリーという。
彼女は、若い娘の血を浴びて、啜って、時には肉片を食したらしい。
彼女はひときわ美しかった。
まことしやかに囁かれる一説によると、その行為は、美と不老不死のための儀式だったという。
長らく鎖国していた日本が、とうとう開国を決めて、十年余りが経つ。
少女達が万一にも、もう少し早く生まれていたなら得られなかった、遠い異国の有り難い知識だ。
少女は、不老不死の身体が欲しかった。
今まさに互いの血を分け合っている、心友と、永遠の時間(とき)を一緒に過ごすためだ。
< 1 / 13 >