魔王に甘いくちづけを【完】
今にして思えば、ツバキの顔はいつになく歪んでいた。


赤毛のリリィと一緒にユリアがいなくなった翌日のこと。


あの日ナーダは、今と同じ場所に呆然と立ち竦んでいた。





自分の目が信じられなかった。

ここは本当に屋敷の中なのだろうか。

この惨状は一体どういうことなのか。

ざっと見たところ、掃除をしなければいけないことだけは分かった。

ただ、何処から手をつけて良いのか分からないほどにごちゃごちゃで。

昨日までは普通の部屋だったのに、一晩で見る影もなくなっているなど普通ではない。

こんなになってることを知ったのは、ついさっきのことだ。



「ナーダ。ユリアの部屋を掃除しておいた方がいいぞ。昨夜は随分荒れていたからな」


朝の挨拶もないままツバキからそう連絡を受けた。


「分かりました。手早く清掃致します」



ラヴル様が荒れていたというけれど、少し物が壊れた程度なのだろうと思った。

最近、屋敷のあちこちで水さしやランプシェードが破壊されていたからだ。

事務的に応えて早速来てみたところ、ドアを開けた途端に目に飛び込んだ惨状に絶句してしまった。

軽く考えていたのでショックも一段と大きい。

さすがに、無表情な頬もヒクヒクと動いた。



確か、昨夜も物音はしなかったはず。

こんな風になるのには、普通かなりの破裂音がするだろうに。

それもしなかったということは、どういうことなのか。

恐ろしいことに、瞬時にこうなってしまったのか。



部屋の中の、ありとあらゆるもの全てが、原型を留めないほどに粉々に砕けていた。

かろうじて調度品があったのか、とわかる程度にところどころに瓦礫の山が築かれて、ドレスらしき綺麗な布もチラチラ見える。


数年前に、小島の屋敷の残骸を片付けたことを思い返す。

あの時は、あそこに誰も住んでいなかったことだけが幸いだった。

だがここには、コックから名もない使用人までを含めれば、30名は暮らしている。

もし手加減もなくして屋敷全部が潰れていたら弱い者には命の危険が伴う。

これくらいで済んで良かった、と思わなければ―――




――――今思い出しても震えが来る。

最近は落ち着いておられるけど、つい先日ヴィーラでお帰りになった時にも体から凄まじい怒りの気を発しておられた。


「何があったのか」


と同行したツバキに聞いたけれど、「何も言えない」と口を噤むばかりで聞き出せなかった。

あの時は、幸い何も壊されなかったけれど。



「本当に、困った・・・」



ナーダから先ほどとは違う意味でのため息が漏れる。


兎に角、早く、大切な方をお迎えしていただかなければ。

このままではセラヴィ様と同じく、ラヴル様の健康が害されかねない。


身も精神のほうも―――
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