魔王に甘いくちづけを【完】
「・・・ユリアさん・・・ユリアさん・・・」


気が付くと、王妃がしきりに名前を呼んでいた。

眉根を寄せて訝しげな表情で除き込むようにしてこちらを見ている。

ペシペシと肩を叩いていたのは、隣に立つ室長だった。

見上げると、ホッとしたのか厳しかった表情を和らげ申し訳なさそうな顔になり、失礼致しました、とスススと後退りをして定位置の壁際に立った。



「―――王妃様、すみません・・・」



「どうかなさったの、大丈夫ですの?

突然意識を失ったように見えましたわ。

―――貴女、ジークを呼んでらっしゃいな」



王妃が後ろに控えていた侍女に指示をすると、膝を折ってすぐさま出ていってしまった。


「あ、まっ―――て・・・」

あまりに早い反応で、呼びとめようと伸ばした手が宙を舞う。

ジークだけじゃなくお医者様全員、今はとても忙しいはず。

こんな大したことがないのに来てもらうのは申し訳なく思う。



「大丈夫です。意識はあったと、思います。ぼんやりしてただけですから、何でもありませんから。ジークは呼ばなくていいです。室長、追いかけてお止めして下さい」



室長は先程の侍女よりも早い反応で部屋を出ていく。

閉まるドアから目をはなして王妃に向き直ると、様子を窺うような眼差しでじっと見つめていた。

その表情は本当に心配げで、真剣で。



「いいんですの?

本当に、何でもありませんの?」

「はい。王妃様、先ほどはお話を聞いてなくて、申し訳ありません。・・・過去のことが・・急に浮かんで・・・」



瞳に涙があふれてくるのが分かる。

王妃の顔がどんどんぼやけていく。



「あ・・私・・・ごめんな・・・さ・・」



喉がつまって最後まで言葉にすることが出来ない。

下睫毛に支えきれなかった滴が頬をつたい落ちていく。

何故だか涙が溢れてきて止まらない。




―――私、何で泣いてるのかしら。

・・・怖い事件があったから?

記憶がよみがえりつつあるから・・・?

それとも―――



心の中で自問自答を繰り返す。

自問全部が、当てはまる。


記憶の中で蘇る過去の切ない想いと、今の想い。

起こった事件とバルの旅立ち。


そして、『カフカ』のこと。

もしそれが祖国なのであれば、今はなき国。

今まで見た記憶の光景を思えば、それが祖国だという確率はとても高くて。

現実が、容赦なく心に突き刺さる。



家族は・・・きっともう・・・この世にいない。

あの不思議で優しい男の子も、今まで見た人たち、みんな。

記憶の中の顔が、現れては消えていく――――
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