魔王に甘いくちづけを【完】
と。一緒に、庇う体勢をとるジークもじりじりと下がる。


ジーク、貴方も一緒に逃げてくれるの?


独りじゃないことがありがたくて感謝するのと同時に、ますます“捕まるわけにはいかない”と強く思う。



私は今ここで、彼の思うとおりになるわけにはいかない。

突然に覚悟も何も出来ないまま、しかもお世話になった皆に別れの挨拶も出来ずに『贄』として連れて行かれてしまうなんて。


その先を想像すると胸が苦しくなる。


きっと、二度とそこから出られない。

愛なんてないもの、誰にも会えず自由も貰えずに、命が無くなるまでそこで過ごすのだわ。

テスタに捕まっていたときのような、あんな日々を。



今までに出会ったヒトたち皆の顔が次々現れては消えていく。

ナーダにツバキとライキ。

バルにジークにアリ、王妃さま、優しい狼族の方たち。

リリィ、ザキ、白フクロウさん。

それになによりも、ラヴル、貴方に会えなくなる―――


唇をきゅっと引き結ぶ。



―――そんなのは、嫌。



それに、この平和な国が乱れるようなことに、この身を使われたくない。

謀反の片棒を担ぐことなんてしたくない。


逃げなくちゃ。

なんとしても。




「成程。私を知ってるとは、噂どおり聡いお方ですね、アリ・スゥラル殿。あの時、表立ったのは数秒のことだった筈。それを覚えているとは」

「貴方には自覚がないのですか。ひときわ目立つその金の髪に柔らかな物腰。どうして忘れられましょうか。それに数秒だからこそ印象深いのです。しかし、まさか貴方のようなお方が全部仕掛けたとは思いませんでした。我が城の者に術を掛けたのも講師のインクに細工をしたのも、全て貴方の仕業でしょう」



よくも掻きまわしてくれましたね、と語気を強めてケルヴェスに迫るアリ。

それに対し、ケルヴェスは呆れたといった感じで小さなため息を吐いた。


「やれやれ・・・先程『待ったかいがあった』と言った筈です。貴方の言うそれは、私は全く知らぬこと。それに、あんなに中途半端で野蛮な術はかけません。欲しいものが傷ついたらどうするんですか。あとから治せるとはいえ、一歩間違えば人間はか弱く簡単に命が落ちる。そんな危険なことできませんよ」


私が術を使ったのはヘカテの夜だけ。

マリーヌ講師にだけです。

そう言ったあとの微笑む顔が、こちらを確認するように覗き見るので慌てて動きを止める。
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