魔王に甘いくちづけを【完】
「髪はもう下ろしておけ。その方がいい」


馬車に乗り込むと、早速ラヴルの指が髪を解き始めた。

器用な指が一つ一つアクセサリーを外し、隠れているピンを一つ一つ取っていく。

ストレートの長い髪がサラッと背中に落ち、長い指がそれを丁寧に梳いた。


「うむ、やはり私はこの方が好きだ。この方が落ち着く。で・・・、ユリア。何故あの時声をかけなかった?」

「は・・・?あの時って、何のことですか?」


何のことか分からずにラヴルを見上げると、髪を弄っていたラヴルの手が急に腰にまわってきて、体ごとずるっと引き寄せられた。

もう片方の手も背中にまわってきて、顔が胸に押しつけられ、体がすっかり密着した状態になってしまった。

抱かれる際、咄嗟に手を体の前に出したおかげで、顔と逞しい胸の間に隙間があって何とか呼吸は出来るが、それが無ければ息苦しいほどにラヴルの腕は力強く引き寄せている。



――もしかして、私が逃げるとでも思っているのかしら。

ずっとむっすりしていたし・・。

何でも良いけど、もう少し緩めてくれないと、苦しい・・。



「離して下さい。少し・・苦しいです」


「・・それは無理だ」


胸に置いた手に力を入れて少しでも離れようとしたら、却って腕の力が強まってしまい、余計に苦しくなった。


諦めて大人しくしていると、耳元で囁くような声が聞こえてきた。

鼓膜をくすぐるような、低い声。



「ドアを開けてあっただろう。離れるなと言った筈だ。何故一人で外に出た?おかげで私はかなりの距離を走らされ、あいつの毒を消すはめになった。この代償は大きいぞ?さて、何で返して貰おうか―――」


「・・そんな・・何かで返してと言われても、困ります・・・私、何も持ってませんから。それに、ラヴルは“待ってる”て言ったのに、なのに、何処にもいなくて。だから私、外にいるものだと思ったんです。でも、ドアが開けてあって気付いたとしても、あんな時に声はかけられません。女性の方と、あんな風にしてて・・・」


背中に当てられていた腕がスッと少し弱まり、息苦しさが消えてホッとしていると、ラヴルが訝しげな声を出した。


「あんな時・・・あんな風・・・?何のことを言っている」


考え込むように暫く黙りこんだ後、思い当たる節が無いとでもいうように、顔を覗き込んできた。


「―――ユリア、こっちを見ろ。ちゃんと話せ」


「部屋の中に女性の方と二人でいて、“愛してる”と言ってたわ。切なそうで、とても綺麗で・・・。特別な方なんでしょう?二人でいるのに、私にはとても声をかけられません」


「・・・愛してる―――?あぁ、あれか。あれは・・・」
< 64 / 522 >

この作品をシェア

pagetop