噛みたい
噛みたい
同じ部署で3歳年上の先輩が、酔っぱらった。
「噛ませろ。」
は?
「か ま せ ろ。」
うーん…。
私より遥かに大きな手が握り締めているウイスキーグラスを、やんわりお水にすり替える。
「も、終電だから、ね?お酒やめましょ、先輩。」
既出の話題は華麗にスル―。
ザルなハズなのに今日はどうしちゃったんだろ。8年もバスケを続けたこの身体に体調不良なんて絶対無縁。いつも呑むウイスキーの銘柄も一緒。
噛ませろ…って。
うっかりドキっとしちゃったじゃん。
目の前に気だるく頬杖をつく先輩が、渡したお水のグラスを一気に空けた。喉仏が上下に動くのを、ただじっと見てた。先輩の、好きなトコロのひとつだから、うっとり見てた。
「なあ?俺は前世、吸血鬼だったんじゃないかって真剣に悩んだんだ、寝る前。」
「え、きゅう、けつ、き?」
「んー、そんないいもんじゃねえな、蛇か、蚊か…、ダメな犬。」
「せんぱぁい、しっかりぃ…」
もう、手に負えぬか。
「ダメな犬、うん、ダメな犬だな。俺は。」
「はぁ…。」
もう黙って話を聞く事にした。酔っぱらいと寝言には返事しちゃいかん。
ただ、放っておけないのは、好きだから。
マウスを包み込む大きな手も、「ばぁか。」って言って鼻で笑うのも、さっきのおっきな喉仏も、「ミスなんて気にしないで好きなように仕事しろ。」って目線を合わせて言ってくれたあのセリフも、三年前からコツコツ集めてる私の宝物。
「お前を、噛みたい。」
お酒に負けてとろんとしてたハズなのに、妙に色付いたその眼差し。
茶化す事なんて、到底出来ない。
「噛んでも、舐めても…、お前はうまそうだ。」
「っ、」
先輩の親指は、私の下唇をつつつ、と横断する。
「始めは触れただけで嬉しかった。でも気持ちを押し込めてるうちにキスしたくなって、挙句今は噛みたい。俺は3年前からお前にさかりっぱなしのダメな犬だ。」
その指が、唇から離れようとするから。
「ダメな犬じゃないです。」
息の触れる距離で止まった親指を眺めたまま。
「だって、サカられなかったです…、一度も。」
言われっぱなしは、いや。
チャンスがあったら結果を残せ、と教えてくれたのは、先輩。
「サカっていいのかよ?」
先輩が睨んだから、睨み返した。
「ち、」と舌打ちした先輩は、そこから私を連れ去った。