夏虫
「まあ、話が脱線したけど、その出来事知ってるから朝比奈くんはそんな根が悪いひとには思えないんだ」


朝比奈は黙ってじっとこっちを見てた。表情の読めない瞳だった。沈黙の中、あたしは唾を飲み込んだ。

何だか、あたしの望まない方向に雰囲気が進んでいる気がする。


朝比奈は深いため息をついて、あたしの隣でソファに深く沈み込むようにもたれ掛かった。

カーテンが爽やかな風でゆらゆらはためいていた。心臓の音だけが聞こえている。


あたしは黙って食べ終わった弁当を片付け、朝比奈が使った割り箸を近くのゴミ箱に捨てた。

「なぁ、蒼井はなんで鍵持ってたの?」
彼はしばらく沈黙したのち、いきなり質問した。


私は説明しようか、しらばっくれようか悩んだ。しかし、今更しらばっくれるのも無理だと思い直す。


「内緒にしてくれる?」
私は伺うように隣でソファに沈み込む朝比奈に聞いた。

朝比奈はしばらく沈黙した。彼の面白がるような真意の読めない表情で、私はあきらめた。


「いっこ、頼みきいてくれるなら」
「何?ある程度常識の範囲内のお願いならきけるけど…」 


私は薄々、朝比奈は気がついてるだろうと思った。あまり褒められた手段で手に入れたことくらい、すぐ分かるはず。頼みを断るわけにはいかない。




「俺と付き合って」
< 9 / 13 >

この作品をシェア

pagetop