スイートなメモリー
今夜も四○四の客は俺一人きりだった。
「仕方ないわよ。不況なのよ不況。週末や祝日前ならお客さんも多いのよ。月曜から木曜までは学人さんひとりでも大歓迎だわ」
なにげに失礼なことを言われたような気もするが、俺は雪花女王の失礼な発言は華麗にスルーして、ジントニックを飲みながらずっとテーブルの上の携帯をにらんでいる。
向かい側のソファに座った雪花女王が、アイスティーのグラスをテーブルに置いてから一本鞭を手に取った。
瞬時に危険を察知して携帯を手元へ避難させる。
雪花女王が舌打ちした。
「勘が鋭いわね。携帯ばっかり見て失礼だと思ったのよ。なにか大事な用でもあるならお帰りになったら?」
「用はないのです。ここに居させてください」
雪花女王が機嫌を損ねたのがわかったので、素直に謝る。
「じゃあなんなのかしら。私には話せないようなこと?」
かろうじて疑問系だが、「話さないと追い出すぞ」という圧力だ。
仕方なく、前崎係長にアドレスを渡したこと、メールが来ないか心待ちにしていること、家に一人で居たら気になって仕方なくってどうしようもないということをかいつまんで話した。
雪花女王の含み笑いが聞こえる。
白い手に握られた乗馬鞭の先端が、俺の喉から顎までを甘美に撫でた。
ぞくりとする。
「係女王様を、奴隷にしたいと。学人さんそう思っているの」
いつにもまして美しい雪花女王にまっすぐに見つめられて、俺は身動き一つできない。やっとのことで肯定の意を示すために首を縦に振る。
今日も黒い服に身を包んだ本物の女王は、俺を見て紅い唇を微笑の形に歪めた。
「どうしてなのかしらねえ」
さあ、どうしてなんでしょう。
俺自身にも、わからないのです。
俺はそのあと小一時間、肉子をまた傍らに座らせて、雪花女王ににやにやと笑われながら、じっと携帯を見つめつつ酒を飲んでいた。
どうしてなんでしょうねえ、と声には出さずに繰り返しながら。

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