スイートなメモリー
「でも」
え? なに? ちょっと待ってよ。こっから俺畳み掛けようと思ってたのに、出ばなをくじくのやめてくれないかしら。
「正直、どうして三枝君が私なんか気にしてくれるのかわからないのよ。仕事ではずっと怒ってばかりいたのに」
それは実は俺もわからないんだけどね。
だけどここは正直に言うしか無いだろうね。
「どうしてでしょうね。気になりだしたらいてもたってもいられなくなって。もっと芹香さんのことを知りたいと思った」
芹香さんがまたうつむいてしまう。もっと顔を見ていたいのに。
「三枝君なら。もっと若くて可愛い子のほうがいいと思う。私なんか釣り合うわけない」
彼女が繰り返す言葉が、俺の自尊心に小さな傷をつけてくる。
もちろん彼女は無自覚にそれをしていて、俺はそれをわかっているから余計に腹立たしい。
ごめんね芹香さん。俺ちょっと我慢できなくなってきた。
もっときちんと色々手順を踏もうと思っていたんだけどさ。
あんまり「私なんか」って繰り返されたらさ。
俺がそんな程度の女を気にしてるそんな程度の男だって言ってるのと同じことだっていうの、わからないかしら。
謙遜しすぎるにもほどがあるよ。

コーヒーを飲み干して、うつむいたままの芹香さんを無視するような形で会計を済ませてしまう。芹香さんが気がついて財布を出そうとしたけれど、俺はそれを制して彼女に「出ましょう」とだけ告げた。
恵比寿駅まで黙って歩いて行って、タクシー乗り場の前で立ち止まる。
「家、どこですか」
「……高円寺」
彼女がなにか言いたそうにしているのが伝わって、俺は悪いことをしているような気になる。
けれど真意を告げずに困らせて、泣きそうになっているのを見た瞬間、俺の心は高揚した。
あとはタイミング。
失敗したら目も当てられないので、芹香さんの動向を盗み見る。
ああ、こんな高度なことにチャレンジする気はなかったんだけど。
だけどねえ芹香さん。あなたのあまりの自信の無さに、俺は逆にチャレンジ精神に火がついたよ。
あんまり男をバカにしないでほしい。
年下だから頼りないって思ってるだろ。
私なんかって言うの、ひっくり返せば「あんた程度の男なんか私には釣り合わない」って言ってるのと同じなんですよ。
だから芹香さん。もっと不安になりな。
あんな素敵なレストランで食事してお酒飲んで、程よく酔ってさ。それで「彼氏居たらここには居ない」なんて喜ばせておいて、そのあとすぐに「私なんか」なんてテンション下げてか。
あ早く。「じゃあ帰る」ってタクシーに乗って。
 そうしてくれないと俺は次の行動が起こせない。
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