渇望の鬼、欺く狐
 雪からの返事はない。

 私も、それ以上は何も口にしなかった。

 ただ静かに視線だけを絡ませて。

 先に視線を逸らしたのは雪の方。



「今日……、俺、自分のところ帰る」


「いいのかい? 今日はここで寝てもいい日なのに」


「うん」



 立ち上がった雪は、こちらに顔を見せないけれど。

 きっと傷付けてしまったのだろうと、予測出来てしまう。



「……また明日。おやすみ」



 そうして傷付けておいて。

 雪から告げられた「また明日」に安堵する自分は、最低なのかもしれなかった。

 室内を出て行く雪の後姿。

 それを見送れば、室内には旭の寝息だけが繰り返される。

 再度、自分の手で撫で付けた旭の頬や髪。

 こうして触れてしまえば、離す事が困難になると知りながら、それでも私の指先は旭に触れる事を選んでしまう。

 そうして旭に触れながら、頭ではたった今見送った雪の背中を思い出していた。



 私だって。

 出来ればずっとずっと一緒に居たい。

 旭が居て、雪が居て。



『――――だ、嫌だ』



 もう。

 あんな思いなどしたくはない、と。

 そう思っているのに。
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