渇望の鬼、欺く狐
「俺はもういいから。後は藍にも言ってやれ」


「母ちゃん怒らない……?」


「だから。藍は怒ってるんじゃねぇって。お前に嫌いって言われて悲しんでんの」


「……っ、母ちゃん……泣くの……?」



 震えた声で訊ねた幼児は、すでに涙を流してしまっている。

 その涙を着物の袖で拭いながら笑って見せた狐の意図は、きっと幼児を安心させたかったのだろう。



「お前が、ちゃんと謝れば泣かねぇよ。だから、そろそろ戻ろう」



 頷いた幼児を、こんな時でも可愛いと感じながら。

 狐はしっかりと幼児の手を握り歩き出す。

 握った小さな手に込められた、手を握り返す力が狐の心を温かくさせて。

 足場の悪い道を、来た時と同じ道を辿りながらに足を進めた。



「雪ー」


「あ? 何?」


「俺ね、母ちゃんにちゃんとごめんなさいするのー!」


「頑張れよ。見ててやるから」



 大丈夫。

 口調も表情も、普段通りに戻っている。



 二人が抱きしめ合う光景を、微笑ましく思いながら目に映す自分の姿を。

 狐はその頭で想像していた。
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