渇望の鬼、欺く狐
 そして今。

 幼児へと成長した赤子は、昔から変わる事のない真っ直ぐな目を、狐へと向けている。



「雪ー? どうしたのー?」



 心配そうにこちらを見遣る幼児に、狐は我に返って。



「あ……や、悪い。……母ちゃんも父ちゃんも、俺には居ねぇよ」



 思い返した記憶を、再度頭の奥の方へと押しやった。

 出来れば、二度と思い起こす事のないように。

 赤子という存在を受け入れたあの日から、狐が赤子に依存と執着を向ける事に時間など必要なかった。

 赤子もまた狐に懐いた事で、狐の依存心、執着心を助長してしまった事実も否めない。

 狐は思う。

 いつかまた家族の事を思い出す日があったとして。

 思い出に捕われ、憎しみを蒸し返す事があったとしても。



「……雪も居ないの? だったら俺と一緒だねー!」



 それは幼児の笑顔や、鬼の些細な一言で、簡単に鎮める事が出来るかもしれない、と。

 狐が幼児の頭に手を置けば、幼児は満足そうに笑った後、再度野うさぎへと視線を寄せた。



「でも、そっかー。大体の生物には、父ちゃんが居るんだねー」



 幼児の口にした言葉。

 狐には、その声から、羨望や淋しさが現れているように感じられた。
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